第177話 選ぶ理由
王都の朝は、慌ただしかった。
昨日までとは、明らかに違う。
通りには騎士団の姿が増え、交差点ごとに冒険者が立っている。
普段なら喧騒に満ちている市場は、開いている店の数が半分ほどに減り、通りを歩く人々の足取りも早い。
「退避区域の住民は、こちらへ!」
騎士の声が響く。
だが、すべてが命令通りに動くわけではなかった。
老人が、荷物を抱えたまま立ち尽くしている。
子供が、母親とはぐれて泣き叫んでいる。
家に戻ろうとする者を、冒険者が必死に止めている。
決断は下された。
だが、現場は混沌としていた。
王都西区。
通りの一角で、空気が歪んだ。
昨日と同じ――いや、違う。
影は一つではなかった。
三つ。
黒い靄が絡み合い、ゆっくりと人型を形作る。
「……またか!」
冒険者たちが武器を抜く。
魔法が放たれ、剣が振るわれる。
だが、影は完全には消えない。
斬っても、裂いても、形が崩れるだけで、すぐに集まり直す。
「くそっ……昨日より、濃いぞ……!」
誰かが叫ぶ。
騎士団が陣形を組み、時間を稼ぐ。
だが、その間にも、別の通りから悲鳴が上がる。
ギルド本部。
地図の上に、赤い印が増えていく。
代表は、無言でそれを見つめていた。
一か所ではない。
二か所でもない。
散発的。
同時多発。
(……退避と通常戦力だけでは、追いつかない)
理解はしている。
だが、それでも――
「ユウは、まだ出さない」
代表は、静かに言った。
周囲の幹部たちは何も言わない。
反論できないのではない。
理解しているからだ。
今、切り札を切れば、敵の思惑通りになる。
中央通り近く。
一組の親子が、路地に追い詰められていた。
逃げ遅れたのだ。
影が、ゆっくりと距離を詰める。
「……たす、け……」
母親は、子供を背に庇いながら、必死に立っている。
そこへ、冒険者が飛び込む。
剣を振るい、影を押し返す。
だが、衝撃で冒険者は壁に叩きつけられ、動かなくなる。
「誰か……!」
母親の声は、震えていた。
「ユウがいれば……」
誰かが、そう呟いた。
その言葉は、空気に溶けた。
だが、確かに残った。
ユウは、その光景を遠くから見ていた。
避難誘導を手伝っていた。
泣いている子供に、水を渡した。
震える老人の肩を支えた。
だが――
目の前で、冒険者が倒れる。
影が、まだ残っている。
胸の奥で、光核が強く鳴る。
出れば、止められる。
それは、分かる。
(……でも)
前に自分が言った言葉が蘇る。
呼ばれたから行くんじゃない。
行くと決めたから行く。
(……俺は)
立ち尽くす。
拳が、震える。
そこへ、レオが来た。
血が滲む腕を押さえながら、それでもまっすぐユウを見る。
「……選ぶのは、お前だ」
それだけ言って、視線を外す。
説得しない。
背中を押さない。
ユウは、深く息を吸った。
出なければ、守れない人が増える。
出れば、敵の狙いに近づく。
それでも――
目の前で誰かが壊れるのを、
見続ける方が、もっと嫌だ。
ユウは、静かに呟いた。
「……準備しよう」
その瞬間。
光核が、これまでで一番はっきりと応えた。
熱ではない。
衝動でもない。
理解。
同意。
ユウは、まだ前に出ない。
だが――
もう、後ろには戻らない。
王都は、揺れている。
そして。
次に動くのは、ユウ自身だ。




