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黒いもや
「……もう、十分だろ……! もう二人の間に諍いはないから……!」
しかし、そんな言葉とは裏腹に、文の周囲に黒い靄のようなものが、じわじわと集まり始めた。
「……え……なに……?」
それに気づいた瞬間、文の声が裏返る。
「やだ……やだやだやだやだやだやだやだ!!
やだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!
いやああああああ!!」
黒い“何か”が、文の身体に絡みつく。
「文ちゃん!!」
郁美が駆け寄ろうとするが、見えない壁に阻まれて、それ以上近づくことができない。
文の悲鳴は、途中から言葉ですらなくなっていった。
靄は完全に文を覆い、次の瞬間――そこには、何も残らなかった。
……音も、気配も、存在の痕跡すら。
沈黙。
俺たちは、誰一人言葉を発せずにいた。
「……こんなの……」
桜の声が、かすかに震える。
郁美はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「……ふ……み……ちゃん……?」
和政は目を伏せ、拳を強く握りしめていた。
俺も、何も言えなかった。
郁美は助かったはずなのに、胸の奥に残ったのは、勝利でも安堵でもなく――
ただ、どうしようもない後味の悪さだけが、胸の奥に残っていた。




