駆け引き
それは、俺のブラフが見破られるには十分な時間だった。
「……やっぱり嘘か。んー。お前らを殺して、女を好きにしてから逃げても、まだ余裕はありそうだな」
背筋がゾッとした。
今すぐ警察に電話をかけたかった。
でも——ナイフを持った相手の前でスマホを出すなんて、自殺行為に近い。
男が思った以上に冷静なのを見て、俺は悟り始めていた。
もう、戦う覚悟を決めるしかないのかもしれない。
「人を殺したら、罪がもっと重くなるだろ……落ち着けよ」
なんとか声を絞り出すと、男は鼻で笑った。
「罪……?
そんなもん、俺には関係ねぇよ」
その目を見た瞬間、背中に氷を流し込まれたみたいに冷たくなった。
——あ、こいつは本当にダメなやつだ。
話なんて通じる相手じゃない。
胸の奥がカッと熱くなり、気づけば俺は反射的にスマホへ手を伸ばしていた。
震える指で“110”を押そうとした、その時——
「おっと……動くな」
一拍遅れて、桜の短い悲鳴。
「っ!?」
男が桜の腕を乱暴につかみ上げていた。
細い体がぐいっと引き寄せられ、ナイフの冷たい刃が喉元へ迫る。
俺の呼吸が、一瞬で止まった。
刃が夜の光をわずかに反射して、
次の瞬間には桜の首筋にぴたりと押し当てられていた。
「携帯を地面に置け。
それから——両手を上げろ」
低く湿った声が、夜の空気を切り裂く。
桜の肩がびくりと震え、
郁美は声も出せずに目を見開いていた。
俺の喉はカラカラに乾き、息がうまくできなかった。




