スズナ、特別な授業に息を呑む
教室に着いたスズナ――既に生徒達の姿はなく、教室は静寂に包まれていた。
黒板にはそれぞれの学科の集合場所が記されている。スズナの学科――治癒学科は旧校舎にある特別室Aと書かれていた。
今スズナがいる校舎の反対側に位置する旧校舎。そこは、一つの渡り廊下で繋がれている。
老朽化により旧校舎は今は使われていないと聞いていたスズナ。その場所で授業を行う事に少し違和感を感じつつも、向かう準備をした。
(……今日は何が学べるんだろう!)
やっと心待ちにしていた学科授業にテンションが上がり、一人顔を綻ばせるスズナ。
鼻歌混じりでスキップをしながら渡り廊下を通過し、特別室Aに向かっていった。
学科授業は本来ならば入学後すぐに行われるはずだった。そもそも学科自体が総合魔法学科と治癒学科の二つに分かれていたからだ。
しかし、人員不足で学科が統合されてしまった為に授業内容が合同となり、国の情勢など魔法からはかけ離れた授業しか行われていなかった。
入学後に学校で魔法を使えたのはあの入学時――クラスメイトたちの前で魔法を披露した以来だった。
早く魔法を上達させたいのに――とスズナの中で鬱憤が溜まっていたところだった。
更にもう一つ楽しみにしていたことがあった。向かっている教室に集まるのは――治癒魔法を使える人のみ。初めて会う自分以外の治癒魔法使いの生徒。その者たちの魔法を見るのが楽しみだった。
同い年の治癒魔法使いに思いを馳せていると、集合場所へと辿り着いた。
(どんな人がいるかなぁ〜、仲良くなれると良いなぁ〜!)
目的の教室に辿り着いたスズナは勢いよく扉を開けた。
しかし、扉の向こうには誰も居ない。締め切られたカーテンの隙間から外の光が漏れている。
(あれ……まだ誰も来ていないのかな?)
他クラスの生徒は移動していなかったのか、それとも部屋を間違えているのか。スズナは念のため、もう一度教室の入り口を確かめた。
「特別室A……間違い無いよね」
ひとまず教室に入ったスズナは、黒板に目を向けた。しかし、黒板には何も記載がない。
特別室と書いてあるが、中は何の変哲もない教室だ。いつもの教室と同じように机と椅子が配置されている。
どの席に座れば良いのかわからず、スズナはいつもの教室と同じ窓際の席に腰掛けた。
時計を見ると、もうすぐ授業が始まる時間だ。しかし、ほかに人が来る気配はない。
黒板に書かれていたのは、果たして本当にこの教室のことだったのだろうか――そんな疑念がスズナの中に芽生え始める。
(確か……炎は教室E、水は教室F、風は体育館で、土は裏庭だった。氷と雷は校庭で、治癒が特別室A……合っているはず……)
スズナは教室の窓へ視線を向け、カーテンを開けた。外には校庭が広がり、その向こうに見慣れたクラスメイトの姿がある。シノとリースだ。
(氷と雷の魔法使いは校庭にいる――という事はやっぱり間違っていないはず)
二人の姿を見て、やはり自分の記憶は間違っていないのだと再認識する。
校庭にいる二人は、他クラスのご令嬢たちにまで囲まれていた。見慣れた光景に、スズナは呆れを通り越して、もはや賞賛すらしたくなる。毎日あれほど付きまとわれるなど、自分ならとっくに耐えきれず逃げ出しているだろう。
王族であるリースは立場上、無下にすることはできないにしても、シノなら蹴散らすことくらい容易いはずだ。
しかし、当のシノはというと、相変わらず無表情のまま、ご令嬢たちに囲まれていた。いや、ご令嬢たちの目にはただの無表情に見えているだろうが、スズナにはわかる。あれは、心底不快な思いをしている時の顔だ。
そんな事にも気づかず一様に話しかけている様子のご令嬢達。
(あんな朴念仁どこがいいんだか……)
一方リースはというと、シノに群がるご令嬢達の相手をしているように見えた。
以前はリースの周りに集まっていたはずのご令嬢たちが、今はこぞってシノに群がっている。その変化の理由は、おそらく最近広まった一つの噂話にあるのだろう。
リアから聞いたところによれば、リースには幼い頃、王政の都合で結ばれた婚約者がいるらしい。
その相手は隣国の姫で、治癒魔法を操る才を持つという。容姿もまた麗しく、その癒やしの奇跡を目にした人々からは“聖女”と呼ばれ、敬われているそうだ。
隣国の姫が婚約者――そんな事実を知れば、ご令嬢たちが勝ち目なしと悟るのも無理はない。そして今や、彼女たちが媚びる相手はシノただ一人。以前にも増して取り囲まれている彼は、少々気の毒に思えるほどだ。
ただの婚約者なら興味も湧かなかっただろう。だが、相手が治癒魔法の使い手と聞けば話は別だ。“聖女”と称えられるほどなのだから、その力は相当なものに違いない――そう思わずにはいられなかった。
(リース王子に言って、その婚約者様に会わせてもらえたりしないかな……)
そう考えていた矢先、教室の扉が勢いよく開いた。最初は、誰かが遅れてきたのだろうかと軽く思い、何気なくそちらへ目を向ける。
しかし――先頭に立つ女性の顔を見た瞬間、息が止まった。
カツン、と硬質な靴音が床を打ち、黄金色に輝く長い髪が歩みに合わせてゆるやかに揺れる。
その顔立ちは、まるで天女を思わせるほど美しく、そして何より――この国に住む者であれば誰もが知る人物。
その背後には、無骨な軍服に身を包んだ兵士たちが、整然とした足並みで教室へと踏み入れてくる。
「――お、王妃様!?」
「初めまして、モリス・アルケミラと申します」
現れたのは、この国の王妃――モリス・アルケミラであった。王妃の顔は、国中の全員が知っているだろう。
というのも、王都の至る所には王妃の石像が置かれており、王妃は国王と婚約する前から、歴代の聖女として名を馳せていたからだ。
治癒魔術師として、彼女はスズナの憧れの存在でもあった。
まさか王妃がこの学校に現れるとは思っていなかったスズナは、突然の登場に思わず慌てふためいていた。
絢爛な紅色のドレスを身に纏い、王妃は優雅に教卓の前に立った。その姿は、まるで教卓が神前のように見えるほど威厳に満ちていた。リースと同じ琥珀色の瞳でスズナを見つめ、王妃は衝撃的な言葉を口にした。
「私が、治癒魔法の講師を務めさせていただきます。――生徒はスズナさん、あなた一人と聞いているわ」
「王妃様が講師…………?――し、しかも、私、一人……!?」
「えぇ、そして、ごめんなさいね。――私の立場上あまりいろんな生徒の目についてはいけないから、この教室を指定させていただいたわ」
「――いえ、そんなっ!よ、よろしくお願いします!」
これから治癒魔法の講師を務めるのが、この国の王妃であり、最高の治癒魔術師と謳われている人物だという。スズナはその言葉に驚き、集合場所が自分だけ離れていた理由にも納得した。王妃が突然生徒の前に姿を現したら、パニックになるのも無理はない。
さらに衝撃的だったのは、治癒学科にはスズナ一人だけだということだった。自分一人のために学科を統合せざるを得なかったのか、と混乱する頭で考える。
そんな恐縮しているスズナに、王妃は優しい声色で話しかけた。
「そうあんまり、固くならないでちょうだい?そうね、まずは治癒魔法の基本から授業を初めて行きましょうか」
王妃がにっこりと微笑むと、スズナにはまるで後光が差しているかのように見えた。その笑みはまるで天女のようで、美しさと優雅さに満ちている。どう見ても、子を持つ母親とは思えないほどの若々しさだった。
(これは、王様も一目惚れするわけだ……)
あまりの美しさにスズナは一瞬、惚けてしまったが、すぐにハッと我に返った。これから講師として指導してくれる王妃に対して、不敬のないようにしなければと気を引き締め、もう一度頭を深く下げた。
「――よろしくお願いします!」
「はい、お願いしますね」