〜番外編〜 迷子と氷の魔法
「んじゃ、始めるぞ〜。体力試験の内容は、この学校の外周を一周することだ!タイムを測ってより早く一周し終えた者から順位をつけるからな〜」
「外周!?」
(嘘でしょ………………)
ルドの言葉に絶句している人達は少なくない。それもそのはず、この学校の敷地は広大だ。その外周というと、大人でも相当キツいものだった。
みんな空いた口が塞がらない様子。
「あ、それと、内申に響くからみんな頑張るんだぞ〜!」
ルドの言葉で火がついた生徒たち。体力に自信がありそうな男子は、気合を入れて準備体操を行ない始めた。
「スズナちゃん、あんな約束しちゃって本当に大丈夫……?」
「……だ、大丈夫!ハンデももらってるし……大丈夫よ」
リアに心配され、確信していた勝ちが少し揺らいでいく。スズナは自分に言い聞かせるように「大丈夫」とポツリと呟いた。
(まさか、ハンデをつけたのに勝てないなんてことないでしょ……)
位置についた生徒たち。スズナはなるべく前の方に立ち、息を整えた。
ルドが笛を鳴らすと、生徒たちは一斉に走り出した。ペースを落としてゆっくり走る人、序盤から差をつけようとする人など様々だ。ちなみに、スズナは後者であった。
リアに一言、「先行くね!」と告げ、猛ダッシュで走っていった。
「スズナちゃん……あんな調子で走り続けられるのかな……」
――と後方でリアが呟いていたのをスズナは知らなかった。
*
十分後――――
「ぐ、ぐるしい……ハァ……ハァ」
スズナは全力で駆け抜けたため、後ろには誰の姿も見えなかった。今はおそらく、自分が一番だろう。しかし、まだコースの十分の一も走っていない。序盤から飛ばしすぎたせいで、少ない体力がすぐに限界を迎えようとしていた。
(ちょっと…………休憩………………)
「わぁ……綺麗……」
学校はやや高台に建っているため、スズナの目に入る景色には王都の街並みが広がっていた。行き交う人々や賑わう街の様子が、一望できる。
少し先に進むと、右手に雑木林が見えてきた。このルートは初めて通る場所だったが、こういう景色になっていたのかと、スズナは思わず視線を留める。
(……えっ!あれはっ……………………)
雑木林の中で、スズナは一つの薬草を見つけた。それは森の中でも滅多にお目にかかれない、非常に希少な薬草だった。
「ゲツライコウだぁ…!!何でこんなところに!!」
スズナは薬草のもとへ駆け寄った。しかし、そこが崖になっているとは知らず――。
*
「ほんと馬鹿……」
崖の上を見上げてスズナはポツリと呟いた。三メートルほどの高さの壁から転落したスズナ。ひとまず足の傷を癒し、誰かが通りかかるのを待っていた。
あいにく、スズナは庶民ゆえ通信魔導機など持ち合わせていなかった。そのため、原始的に誰かが通りかかるのを待つしか方法はない。
しかし、待てど暮らせど誰も上を通る気配はない。もう落ちてから十分は経っただろうか。クラスメイトたちが通ってもおかしくない時間だが、全く気配は感じられなかった。
何度も叫んでみたが、助けにくる様子はなくスズナの声は段々と枯れてきていた。
(流石に、ずっと戻らなかったら先生が探しに来てくれるだろう……)
――と高を括っていたスズナだったが、それから一時間、一向に誰かが来る気配はない。授業も既に終わっているはずだ。
どうにかして崖を登ろうと足をかけるが、滑り落ちてしまう。
(そう言えば……勝負……)
スズナはふと勝負のことを思い出し、一人小さく呟いた。
「はぁ……また負けか」
「そうだな」
「うん…………………………ん!?」
返事が返ってきたことに驚き、顔を上げると、頭上にはシノの姿があった。幻覚かと思い目を擦るが、やはり鮮明に見えている。
「…………なんでここに」
「それはこっちの台詞だ」
そう言うと、シノの周囲に氷の渦が巻き起こり、それが縄のようにスズナの身体を縛り上げた。スズナの身体は抵抗も虚しく、宙へと浮かび上がっていく。
「……どうしてここがわかったの」
スズナは素直にお礼を口にできず、そっけない言葉で問いかけた。だがシノはその問いに答えることもなく、魔法も解かないまま、宙に浮かぶスズナを連れ、淡々と歩き出した。
「ちょっと、これ解いてよ。歩けるから」
「方向音痴は黙ってろ」
「……方向音痴じゃないし」
(方向音痴だなんて言われたのは小さい頃以来だ……あれ、誰に言われたんだっけ…………あ、ルドか)
そんな回想に浸っていると、ふと冷ややかな空気を感じ、思わずブルッと身震いした。シノの背中から漂う殺伐とした雰囲気に気づき、恐る恐る声をかける。
「ね、ねぇ」
シノは振り向くことなく無言のまま歩いていく。
(怒ってるの……?何か変なことでも言った……?)
スズナがシノの背中をじっと見つめていると、突然シノが振り返った。その表情は複雑で、感情を読み取ることができない。たじろぐスズナを前に、シノは静かに口を開いた。
「…………ルド、担任とはどういう関係だ」
「えっ?どういう関係って……教師と生徒だけど……」
スズナの答えを聞いてもなお不服そうなシノ。その意図が分からず、スズナは混乱していた。沈黙を破るように、シノは再び口を開いた。
「あいつが言っていた。お前が方向音痴だとな」
「…………あぁ!小さい時の話ね。父の仕事について行った時に一度ルドに会ったことがあるのよ」
(ルドめ、やっぱり私の事覚えてたのか……。私の情けないエピソードをこいつに話すとは…………!)
ルドへの恨みを募らせていたスズナの前に、突然シノが顔を近づけて覗き込んできた。
「わっ」
目の前に突然、整った顔が現れ、スズナの心臓は跳ね上がった。しかし、シノの表情は微動だにせず、何の感情も読み取れなかった。
(び、びっくりしたぁ……)
「ルドと何があったんだ」
スズナが目を逸らしても、シノは再び顔を近づけてきた。その圧に耐えきれなくなったスズナは、仕方なくルドとの出会いについて話し始めた。
「父が王宮に出向いた時の話何だけど――」
*
スズナはあの日のことを思い返し、話し始めた。あの日、父は狩人として村に現れたC級魔物を討伐し、その功績を称える勲章授与式に王宮へ招かれていたのだ。
当時八歳のスズナは、オークロードに襲われた経験から魔法に強くのめり込んでおり、王宮騎士団の治癒魔術師を一目見たくて、父に同行したのである。
しかし、王宮の広大な敷地で、スズナは父とはぐれてしまい、迷子となってしまったのだった。
長い廊下の先から、たくさんの人の声が聞こえてきた。声のする方向へ進むと、そこには王宮の騎士団の姿があった。
訓練に励む団員たちは、魔法の撃ち合いをしながら身体に多くの擦り傷を負っている。
その光景を目にしたスズナは、迷わず訓練所の中へと入り、あろうことかその兵士たちに向かって治癒魔法を放った。傷を癒そうとする一心で、ただ魔法を使ったのだ。
すると、突然傷が癒えていくのを目の当たりにして驚く団員たち。一人ぽつんと訓練所に立ち、手を掲げる小さなスズナに、団員たちの視線は一斉に注がれた。
「あ、あの娘がやったのか……?」
「嘘だろ……あんな子どもが……?」
どよめいている兵士達の言葉に反応し、スズナは声を発した。
「嘘じゃないよ!スズナがやったんだよ!」
自信満々に手を挙げるスズナの姿に、団員たちはさらにどよめいた。ざわつく訓練所の中、一人の男性がスズナの方へと歩み寄ってくる。その人物は、当時まだ騎士団に入ったばかりのルドだった。
「おい、こら!!子どもがこんなとこにいたら危ねぇだろ!!」
スズナの首根っこを掴み、そのまま持ち上げるルド。驚きと反発で、追い出されそうになったスズナは咄嗟に声を上げた。
「スズナはみんなの痛いの治したかっただけなのに!」
「あぁ?お前の仕事じゃねーよ、帰れ」
ルドはそう言いながらスズナを放り投げようとした。しかしスズナは必死に抵抗し、ルドの腕にしがみついて投げられまいと踏ん張った。
「おい!離せ!!」
「どうしたの〜?」
「ルド?何しているの?」
ルドが腕をブンブンと振り回している時、二人の女性が現れた。一人は騎士団と同じ鎧に身を包んでおり、もう一人は優美な衣服を纏い、大きな杖を持っている。
「アラマンダとエキナ!」
二人の女性が現れると、ルドはスズナを離し、その女性たちの元へ向かった。
「……二人とも今日も美しいな」
ルドはそれぞれの女性の前で跪くと手の甲に口付けをし始めた。その光景にスズナは思わず手で目を隠しながらも隙間から覗き見る。
(あの人……女好きだ………………)
口付けされた一人――鎧を着た女性は手を振り払い、口付けされた箇所をタオルで拭きながらスズナの方へ視線を向けた。
「この子は……?」
「エキナさん!この子ども治癒魔法を使えるみたいなんです!」
他の団員がエキナと呼ばれた赤髪に茶色のメッシュが入った凛とした女性にスズナのことを説明し始める。すると、エキナはスズナの前にしゃがみ込み頭に手を置いた。
「治癒魔法が好きなんだな?でもここは危ないから入ってきちゃだめだぞ」
「……ごめんなさい」
エキナと呼ばれた女性は微笑みながらもスズナに問いかけた。
「今日は誰とここに来たんだ?」
「お父さん!」
「そうか、お父さんのいるところ分かるか?どこからこの場所に入ってきたんだ?」
「……こっち!」
エキナの言葉にスズナは来た道を指差した。すると、後ろから呆れたようにルドが声をかけてくる。
「お前そっちから来てねえだろうが。方向音痴かよ」
「あれ、こっちじゃなかったっけ?あ、こっちか!」
「そっちも違うだろうが、…………はぁ」
ルドが溜息を吐くとエキナがルドを見て一言。
「ルド、一緒について行ってやれ」
「えぇ、何で俺が」
「団長命令だ」
「……………………はいはい、その代わり後で一緒にご飯行ってくださいね」
「…………早く行け」
そして、ルドはスズナの手を引き、一緒に父の元へと向かった。道中、スズナがルドのことを「おじちゃん」と呼ぶと、ルドは酷く怒り、それ以降は「ルド」と呼ぶことになった。とはいえ、その後もスズナが道を間違えるたびに叱られ続けることになったのだが。
*
「――ってわけ。王宮は広いから迷うのも仕方ないじゃない?」
話し終えると、シノは肩をすくめ溜息を吐いた。
「お前……王宮内には迷わないよう至る所に案内図があっただろ………」
「知ってるわよ。でも、ほら、同じ道に見えるし……」
そう、似たような廊下が続いているし扉も同じでわかりにくいのだ王宮は。そんな造りにしたのが悪い。
(案内図だって分かりにくいし……決して私が方向音痴なわけではない)
校門が視界に入ると、スズナは焦りを感じ始めた。こんな情けない姿をクラスメイトたちに見せるわけにはいかない。
「ていうかこれ、早く下ろしてよ。このままクラスメイトの前に行きたくないんだけど!!」
「暴れるな、方向音痴」
氷の蔓を解こうとジタバタして必死に降りようとするが、びくともしなかった。そして、スズナはこの情けない姿のまま、クラスメイトたちの元へと連れて行かれることになった。