アイビー、未来を賭ける覚悟
「アイビー、遅かったじゃないか。迷ったのか?」
「いいえ、お父様。アイビーはすでに王子様を見つけましたわ」
「ん?それはどういう事――」
父と再会したアイビーは嬉しそうに報告を始めた。センテッドは娘の言っている意味が分からず、言葉の意味を確認しようとする。しかし、それを遮るように盛大な音楽が流れ始め、同時に国王と王妃が会場内へと現れた。
拍手喝采の中、父はアイビーのことなど忘れ、王の息子達へと目を向けた。二人の王子がそれぞれ姿を現した。
(あれが、王の子……次男はアイビーと同い年だが、継承権は最も低い……ならば、狙うのは長男ウルガリス・アルケミラだな……アイビーとの歳の差は十ほどだが問題ないだろう……)
「皆様、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。エリスロポダ・アルケミラです。しばしの御歓談をお楽しみ下さい」
アルケミラ国王の挨拶後、全貴族達が我先にと娘を引き連れて挨拶に行こうとしている。
センテッドも負けじとアイビーを連れてその列へと並びにいった。何故並んでいるのか分からないアイビーはキョロキョロと辺りを見渡している。
(アイビーの容姿を見てもらえれば上手くいくだろう……)
そして、アイビーの番となった時、アイビーが「あっ」と声を上げてある方向を指差した。
「お父様!!あの人が私の王子様よ!!私、あの人と結婚するわ!!」
アイビーがそう言いながら指差したのは国王と、王妃の間に座る子ども達、ではなく沢山の貴族に紛れ、隅で立っている少年だった。
辺りはざわつき始め、王子の婚約者候補であるアイビーの言葉を聞いた国王は顔を顰めている。慌てたセンテッドは娘の顔を国王達の方へと向けた。
「ア、アイビー!!!王子はあの方だぞ!!」
「え?嫌よ!私の王子様はあの人よ!」
その様子に貴族達はヒソヒソと声を漏らし始めた。
「王様の前で何て無礼な……」
「それにみて、あの娘のドレス……」
「王妃様の象徴ともいえる赤色のドレスなんて……」
「……確かあいつらはゼラニウム家の……」
「成り上がり貴族がお呼ばれされて、浮かれてしまったんだな」
センテッドは貴族達の言葉に慌てふためき辺りを見渡した。王妃と同じ赤いドレスを着ている者は誰一人としていない。そもそも、王妃と同じ色のドレスを着てはいけないなどセンテッドは知らなかった。
センテッドは自分の無知さを棚に上げ、娘のとった行動により最悪な状況に陥ったのだと怒り心頭した。
そんな父に気づかず、アイビーは無垢な表情で言葉を続けた。
「お父様!私の望みを叶えてちょうだい!あの子私と婚約するのが嫌だっていうのよ!ねえ!聞いてる?お父様!」
「……黙れ!!!!」
センテッドは娘の戯言を掻き消すように、小さな娘の頬を叩いた。アイビーは突然の事に硬直し、後から来る頬の痛みに涙を浮かべた。
「……痛い、痛いよぉ」
周囲の者達の注目が更に集まり、その場に居るのに耐えられなくなったセンテッドは娘の事など気にも止めず、足早にその場を去っていく。
「うっ……ひっく……」
そして、残されたアイビーの泣き声だけが会場内に響き渡った。
その様子を見つめる一人の少年。音を立てずアイビーの元へと近づいて行く。アイビーが婚約を申し込んだ少年だ。
そして、少年はアイビーの頬へと魔法をかけた。
「…………冷たい」
「……痛みは取れないけど」
アイビーの頬は冷たい空気に纏われている。先程までジンジンとしていた痛みと熱が引いていく。
アイビーにとって優しくされるのは日常茶飯事だった。けれど、この状況で助けてくれたのは彼だけだった。
冷たく無表情なのにどこか優しい少年。
アイビーの心臓が今までにない鼓動を打っていく。冷やされた頬とは反対に顔がどんどん赤くなっていった。
この時、初めてアイビーは恋を知った。
(…………やっぱり私の王子様はこの人しかいない)
その後、アイビーは案内人から手当を受けると、兵士に足止めされていた父と共に宮廷を後にした。
それからというもの、父はアイビーに冷たく接するようになり、アイビーもまたそんな父への対応がわからなくなり二人の距離は離れていった。
事件の後、王の温情によるものか、爵位は変わることはなかった。しかし、周囲を取り巻く環境はあの一見以降酷くなり、今まであった縁談の話は全て途絶えた。
それは、アイビーにとって都合が良かった。アイビーには一人の王子様しか見えていなかったのだから。
その王子様と結婚する為に、アイビーは嫌いだった礼儀作法を学んでいった。
侍女達から見たアイビーのその必死さは汚名を返上しようと努力している様に見えていた。しかし、父センテッドにとってはそんな事どうでも良く、世間の批評を巻き返すのに必死にだった。
舞踏会への参加がめっきりなくなったアイビーはどうにかして王子様と再会するために、国王の息子も入学するとされる名門学園への入学を目指して魔法と勉学に励んだ。そして、念願通り、王子様と再会したのだった。
*
翌朝、アイビーは鏡の前で自身の酷い顔を見ながら憂鬱な面持ちで侍女達に着飾られていた。涙で腫れ上がった瞼を隠すように濃い色の化粧が施されていく。厚く塗りたくられた化粧は、もはやアイビーの元の美しさを打ち消している。
唇に真っ赤な口紅を塗られながら、自分の顔を見つめアイビーは失笑した。
(酷い顔……むしろ嫌がられそうで願ったり叶ったりですけれど……)
準備ができたタイミングで、アイビーの部屋の扉がノックされる。扉が開かれ、アイビーに父は告げた。
「アイビー、出るぞ」
「…………承知いたしました」
アイビーに施された化粧を見ても、何の気にも止めず歩き出していくセンテッド。アイビーの容姿などどうでも良いのだろう。
(私が別の人と入れ替わっていても気づかないんでしょうね……)
アイビーは父の背中を見つめ、キツく絞められたドレスを引きずりながら父の後を追った。
これから向かう場所は父が縁談を取り付けたヴァイン家という公爵家の邸宅だ。
ヴァイン家の当主はスティンク・ヴァインは成り上がり貴族として有名で貴族で悪い噂が絶えない人物だ。アイビーとは歳が二十以上も離れている。
噂では、私腹を肥やし顔も醜く、貴族の女性の間で汚物貴族と罵られ忌み嫌われている。
アイビー自身、直接会ったことはないが、噂だけでも会いたいとは到底思えないような人物だった。
そして、急激に爵位をあげ、最近になって公爵家まで上り詰めたのだ。裏では何か悪どい事をしているのではないかとも噂されている。
アイビーは知らないが、アイビーとの婚姻が成立すれば、他の公爵家よりも多額の金を出すと言われたセンテッド。あのパーティーの日から縁談の話が入ってこなくなってたセンテッドにとっては願ってもないことだった。
父と二人馬車に乗りこんだアイビー。重たい空気で息が詰まりそうになる。窓の方を見ると、自分の気持ちを表すように曇天の空が広がっている。そして、今にも雨が降り出しそうだった。
「お父様」
「……………………」
「お父様、一つ提案があります」
アイビーが二度父を呼ぶとようやく目を開けアイビーの方を見る。久しぶりに近くで見る父の顔は、目は虚で痩せこけており、肖像画の父とはまるで別人のようだった。
「お父様、もし私が王子の側近、シノ・グロッサム様との婚姻を取り付けましたら……この縁談はなくなりますでしょうか?」
アイビーの言葉にセンテッドは眉をピクリと動かした。考え込んでいるのか無言の時間が続いている。
そして、先に口を開いたのはセンテッドだった。
「………………グロッサム家か。謎は多いが王家との繋がりが強い……」
「お父様の紹介いただいた方よりも、王家に近しく、爵位も上のはずです……」
"王家に近しい" その言葉はセンテッドの心に甘い蜜のように染み込んでいく。王子との婚約は難しくとも王家に近い者と婚姻を結べるならばそれはとても大きな事だった。
「以前の失態を私の手で取り戻しますので、どうかお願いいたします」
「……お前にできるのか?」
「必ず卒業までに話をつけてきます。一年もしないで王家との繋がりを得られる可能性があるのです。この機会を無下にしてよろしいのでしょうか?……それに、もし卒業の時点で婚姻を取り付けることができなければその時はヴァイン様の所に嫁がせれば良い話です。お父様にとって何も不利益はないと思います」
アイビーの言葉に更に考え込み始めるセンテッド。
(後もう人押しね……)
「お父様の信頼を得るためにもまずは次の中間試験で必ず三位以内に入ります。平民の上にいかなければその時はお父様の好きなようにしてください」
「…………そうか。分かった、良いだろう」
「……っ、ありがとうございます」
父との交渉が成立したアイビーは嬉しさで拳を強く握った。話を終えた時、馬車の揺れが徐々に少なくなっていき、停止する。目的地に着いたようだ。
「到着致しました」
「ご苦労、行くぞ」
「はい、お父様」
父の後ろにつき、アイビーはヴァイン家の敷地へと降り立った。そこには数十人の若いメイドが出迎え、メイド長らしき人物が二人をを屋敷へと案内していった。
「こちらでお待ちください」
いやらしいほどに装飾が施された椅子や長机。金色が五月蝿いぐらい輝いている。
アイビーはそんな中でも小さな希望を抱いていた。
(噂はあくまで噂。実物は噂とは違うかもしれない……)
「お待たせしてすまない!」
勢いよく開かれた扉の前に立つのは噂通りの見た目をした中年の男性だ。腹は肥え太り、髪は整髪剤をつけすぎてベタベタになっている。醜悪な容姿に思わずアイビーは後退りした。
「アイビー様、初めまして、ヴァイン家当主のスティンク・ヴァインです。いやぁ、本当に美しい……」
気味の悪い笑顔で全身を舐め回すように見てくるヴァイン家の当主、スティンク・ヴァイン。
(噂通りね……本当に気持ちが悪いわ……)
アイビーは引き攣った笑顔で会話を続けていった。
しかし、流石のアイビーでも「子作りを沢山しようね」と気色の悪い笑顔で言われた時は更に顔が引き攣った。早くこの話し合いが終わることを願いながらアイビーは相槌を打っていた。
「ヴァイン様、申し訳ないのですが、アイビーはまだ十五。学園にも通ったばかりですので……縁談のお話ですが少しお時間をいただけないでしょうか?」
「うむぅ……そうか……。それはどのくらいだ?あんまり長いと私の気も長くないんでねぇ」
「ひとまず、三ヶ月ほどお時間をいただければ……」
「三ヶ月か!本当はすぐにでも婚姻の儀を済ませたいが、貴殿がそう言うなら待ってやろう!三ヶ月後、良いお返事を期待しているぞ!」
「……ありがとうございます」
談笑が終わると、アイビーは足早に席を立ち礼をした。ヴァインがニヤリと胸元を凝視しているのが視線から感じられる。
そして、頭を上げると、見ていたことがバレないようにフイッと顔を逸らした。
アイビーは最後に笑顔を振り絞り言った。
「本日はお招きいただきありがとうございました。スティンク様に会えてとても光栄でした。……では、失礼致します」
「また会える日を楽しみにしているよ愛しのアイビーちゃん」
ヴァインに見送られる中、アイビーとセンテッドは屋敷を出て、帰路へと着いた。
アイビーは帰路の馬車の中で強く決意する。
(必ず中間試験であの平民に勝って、シノ様と婚姻を結ばないと……どんな手を使ってでも……)