アイビー、絶望の果てに
高い天井に煌びやかなシャンデリアが吊るされている。壁には装飾の多い燭台、中の蝋燭には火が灯されており、それは少女の心のように揺れ動いていた。
赤いカーペットの上を俯きながら歩くアイビー・ゼラニウム。その目には大粒の涙が浮かんでいた。
事の次第は数日前のグループ分けの日に遡る――
*
アイビーはあの日、呼び出したスズナに啖呵を切られ、挙句その瞬間をシノに見られてしまった事から、絶望に打ちひしがれていた。
そして、家に帰ると更に絶望的な事を聞かされた――
「そんなっ!なんでですかっ!?自由にして良いと仰ってたではありませんか!」
悲痛な声をあげるアイビー・ゼラニウムを前に、ゼラニウム家の当主であり、アイビーの父であるセンテッド・ゼラニウムは怪訝な表情をした。
センテッドは娘を一瞥すると強い口調で告げた。
「……自由にしろと言ったのはお前に初めから期待などしていなかったからだ。だが、センテッド家の名を背負いながら、あの学校で四位だと?王子とその王子の側近が上位なのは仕方がない。しかし、もう一人、お前の上に平民がいるらしいじゃないか」
入学試験で三位以内には入れると思っていたアイビー。しかし、スズナがいた事によりアイビーは惜しくも四位の座についた。その事が父にとっては屈辱的でならなかった。アイビーは必死に弁解をしようとするがセンテッドに言葉を遮られてしまう。
「下がれ」
センテッドは娘に対してゴミでも見るような酷く冷たい視線を向けた。決して、それは娘に向けるような視線ではない。しかし、アイビーは屈せず反論した。
「次の試験で必ずその平民の上に立ちます!!だからお願いです、お父様!!どうか縁談の話を取りやめてください!!」
アイビーは必死の思いで父へと頭を下げた。アイビーがここまで必死になっているのは父から持ちかけられた縁談によるものだった。しかし、センテッドは娘の思いを聞き入れる様子はなくアイビーに向かって怒りをあらわにした。
「学校に行くよりも、女はさっさと良い縁談を掴んだ方が良いに決まっている!私がわざわざ、忙しい中でお前のためを思って見つけてきてやったんだぞ!?」
父の言葉を聞いたアイビーは悔しさで唇を噛み締めた。じわりと口の中に鉄の味が広がっていく。
自分を学校に通わせてくれたのは、父にとって娘が何しようが興味がないからだとアイビーには分かっていた。それが、今になって縁談の話を持ちかけてきた。つまり、父にとって有益な話がきたということだった。
「明日、縁談相手のヴァイン家に向かう、準備をしておくんだ」
「明日は学校が――」
「もうすでに休むことは知らせてある。分かったら下がれ、もう話すことはない」
部屋を追い出されたアイビーは度重なる絶望に、部屋へ着くと溜まっていた涙が溢れ、泣き崩れた。
(これは、あの時の報いなの……?)
アイビーは幼い頃の自分を思い出し、滲んだ瞳で部屋に飾られた肖像画を見つめた。そこには笑顔な父と小さなアイビーの姿があった。
アイビーの母はすでに亡き者となっている。アイビーが物心つく前に亡くなってしまったため、アイビーは亡くなった理由を知らない。
唯一自分の部屋にだけ飾られている母の肖像画が、父には聞いてはいけない事なのだと幼いながらにして感じていた。
(私があの時失敗したばかりに……)
アイビーは溢れ出る涙を抑えるように、布団に顔を埋めた。そして、あの日自分の人生を大きく変えた日の事を思い出していた。
*
「ねえねえお父様!今から行く場所にアイビーの王子様がいるのよね!」
「そうだぞ。王子様にアイビーの可愛さを知ってもらうんだ」
「アイビーは世界で一番可愛いから大丈夫ね!」
当時七歳を迎えたアイビーは赤色が映えた豪華な衣装を身に纏い、父センテッド・ゼラニウムと共に馬車で宮廷へと向かっていた。
センテッドは浮かれていた。それは一つの手紙によって。手紙の封書には王宮のマークが刻印されている。
そこには、王宮へのパーティーの招待が記載されていた。パーティーの内容は要約すると、王子達の婚約者候補を探すためと言う事だった。
どのくらいの人数を招待しているのかは分からなかったが、センテッドは自信に満ち溢れていた。アイビーよりも可憐な者などいるはずがない、アイビーこそが王女にふさわしいと。
アイビー達を乗せた馬車が宮廷に到着すると、案内人が出迎えた。会場へと向かっていく途中、招待されたであろう様々な貴族達の姿を見かけられた。
センテッドは婚約者候補の娘達を見て、尚自信に満ち溢れていった。
(アイビーより可憐な子は全くいないではないか……)
この時のアイビーはセンテッドから多大な愛情を受けて育っており、センテッドは親バカだったとも言える。
会場の扉の前へと案内されたアイビー達。扉を開こうとした案内人の前で、アイビーが突然お腹を抱えてうずくまった。
「ア、アイビー?どうしたんだ?」
「……お父様、私お手洗いに行きたいです」
「……お手洗いでしょうか?ご案内致します。」
そう言うと案内人はセンテッドとアイビーの二人をお手洗い場へと案内しようとする。しかし、アイビーは一人になる為に父へこう告げた。
「お父様は先に会場に行ってて下さい、私一人でも大丈夫ですわ」
「……あぁ、分かった」
「……では、お手洗いの場所だけご案内いたします」
案内人に教えられ、アイビーは一人お手洗いへと向かった。そして、アイビーは案内人がその場から去るのを見送ると、くるりと反対方向へと歩き出した。
アイビーが一人になったのには理由があった。幼いながらに考えがあったのだ。
(よし!みんなより先に王子様に会いに行って仲良くなるんだから!)
子どもながらの考えを持ったアイビーは公爵家の位を持つ者としてはいささか教養が足りなかった。それもそのはず、元々ゼラニウム家の爵位は子爵だったからだ。
アイビーが幼い頃にセンテッドが爵位を引き継いでから、土地の領土改革や経済発展が認められ、公爵家まで上り詰めた。
つまり、センテッド家はヴァイン家と同じ成り上がり貴族なのだ。しかし、アイビーはその事を知らずに自分が一番身分が高い者だと驕っていた。
「私の王子様はどこかしら」
奥まった廊下を進んでいくと、一際明るい場所に出た。たくさんの木々や花々が咲き誇っているその場所は宮廷内の庭園だった。
その庭園の真ん中に一人の少年が立っている。
(あの子が王子様かなあ!)
アイビーは小走りでその少年へと近づいて行った。すると、足音に気づいた少年がアイビーの方を振り返った。
「…………きれい……」
アイビーはその姿を見て、思わず声が漏れ出る。
透き通るような肌に人形のように整った顔立ち、少し物憂で影のある瞳。溜息が出そうなくらい美しい少年を前にアイビーはそれ以上言葉が出てこなかった。
「……誰だ」
少年の言葉にハッと我に帰るアイビー。
(……この人だわ。私の王子様はこの人しかいない……!)
そう思い立ったアイビーは、自信満々に少年に告げる。
「私は、アイビー!あなたを私の婚約者にしてあげるわ!」
「……いや、遠慮する」
「……どうして?アイビーの婚約者になれるのよ?断るなんてできないわ」
「……は?」
アイビーは少年の返答に対して、不満気に頬を膨らませた。しかし、少年は無視してその場を去ろうとする。背中を見せる少年を止めようとアイビーは必死に声をかけた。
「あなたと私は結婚するの!絶対だからね!!」
けれども、アイビーの言葉に足を止める事なくスタスタとその場を去っていく少年。
アイビーはその場へ立ち尽くしたが、アイビーの心はそんな事でへこたれる訳がなかった。
(きっと、恥ずかしくて話せなかったのね!)
「お父様に報告しないと!」
アイビーは来た道を引き返し足早にパーティー会場へと向かって行った。