スズナ、挑戦の始まり
快晴の空とは裏腹に彼女の心は、雨が降る前のように、じっとりと薄暗く曇っていた。
同年代の少年少女たちが掲示板の前に集まっている。少し遠く離れた場所で、その光景を険しい表情で見つめている少女。肩まである銀髪が微かに風に揺れ、翡翠色の大きな瞳は猫のように細く絞られていた。
「小さすぎて見えないのか?」
聞き覚えのある声に溜息を吐きながら後ろを振り向いた。今日の空のように澄んだ水色の髪の毛がサラサラと風で靡いている。そして、透き通るような浅葱色の瞳がこちらを捉えていた。
端正な顔立ちをしたその男は、冷たい表情で少女を見下ろしている。
「受かってるんだろうから、見る必要ないだろ?」
どの口が言う、それはこっちの台詞だ。少女は心の中で思ったことを口に出さず、表情に出す。それを気にもせず、隣に並び、掲示板を見つめ始めた男。少女は、その男に向かって同じように言葉を放った。
「……そっちこそ、見る必要ないでしょ」
「あぁ」
当然だとでも言わんばかりの即答に腹が立ち、感情を抑えようと深呼吸をする。大人な対応に切り替え、微笑みながら男に問いかけた。
「で、何か用?」
「いや、別に」
思わず舌打ちが出そうになる。「何もないなら話しかけてくるな」その言葉を呑み込んで。少女は男から目線を外し、再度、掲示板の方へと目を向けた。
一際目立つように貼られた大きな張り紙。掲示板の前に集まった人達の視線はそこに注目している。
【ズィーベン魔術学校 第127回 合格者】と記載された張り紙。それを見て、友人と抱き合い喜ぶ者や喜びを噛み締めガッツポーズする者、名前がなかったのかひっそりとその場を去っていく者など――その様子は千差万別だ。
結果が分かりきっていた少女は、その張り紙をチラリと一瞥した。問題はそれではないからだ。
少女を憂鬱な気持ちにさせたのは、隣に小さく掲示された張り紙だった。
『〜お知らせ〜 治癒学科の人数不足に伴いまして、今年度より、総合魔法学科及び治癒学科を合同クラスとします。尚、統合に伴い、入学試験の順位も両学科合わせたものを掲示いたします。』
そのお知らせと共に上位十名の名前と総合点数が記載されている。
少女の名前――スズナと書かれているのは上から二番目。一位との差は僅か五点。
「残念だったな」
少女の心を読んだかのように男は、耳元で囁いた。少女は驚きで、思わず飛び跳ね、男から距離を取る。
猫のように臨戦態勢となりながら、思い切りその男を睨みつけた。
「あれだけ啖呵を切っていたのにな」
そしてそんな少女を見下ろしながら、男は表情を変えることなく淡々と毒を吐いた。
しかし、この男の言った通り少女は悔しい気持ちでいっぱいになっていた。それを何とか表情に出さないよう、必死に振る舞っていた。
けれど、隠しきれず、少女の屈辱的な表情に、男はフッと笑い、告げた。
「二位になれてよかったな」
「う、うるさい!!」
必死に取り繕っていたが、意味がないことを察し、感情を露わにする。
(く、悔しい……こんなやつに負けるなんて…………)
無意識に拳を握りしめながら、少女はキッと男を睨みつける。
その顔が視界に入るたび、脳裏に過るのはあの日の記憶。胸の奥の苛立ちは増すばかりで、この場に留まれば心が荒んでいくのは明らかだった。
(早急にこの場を去ろう、でないと手が出そう……)
少女はフンッと鼻を鳴らし、男に背を向けて歩き出した。後ろでクスクスと笑う声が聞こえた気がしたが、振り向く事なく校内へ向かっていった。
「スズナ、入学手続き終わったけど……どうかしたの?」
「お母さん!――ううん、なんでもない、帰ろ!」
「今日はお祝いしなくちゃね〜!お父さんも早めに帰ってきてくれるって!」
"お祝い"という言葉が聞こえた瞬間、少女の瞳が大きく見開かれた。
「お祝いってことは……!――もしかしてケーキ!?」
「ケーキはないわよ〜、貴族じゃないんだから〜」
「――ちぇっ」
喜びは一瞬で地に落ちた。
母と共に校門へ向かう。門の前には大きな馬車が何台もとめられていた。そこに乗り込んでいくのは、煌びやかなドレスや紳士服を纏った少年少女たち。
見るからに貴族と分かる人々が少女たち親子を見ては陰でヒソヒソとしている。その原因は、一般家庭の人が居るというだけではない。おそらく、少女が手にしている赤い封筒のせいだ。
この学校に入学する者に渡される封筒。それを一般家庭の者が持っているのだから、注目を浴びるのも無理はなかった。
周囲を見渡しても、一般家庭らしき者で赤い封筒を持っている者はほとんどいなかった。そもそも、この学校を受ける一般家庭の者自体が少ないのだろう。
(あの子たちは、帰ったらきっとケーキが山ほど出てくるのだろうな……)
貴族の子どもたちを眺めながら、少女の心に羨望の気持ちが芽生える。
「――あ、そうだ!ケーキはないけど、スズナの好きなナッツバーグを作るわね〜」
「えっ!やったあ!楽しみ!」
母の手料理の中で、少女が一番好きなのはナッツバーグだった。ケーキの次に好きな食べ物といってもいいくらい。
好物が待っていることを知り、少女の機嫌はすっかり戻った。ルンルンとした足取りで、家へと向かっていった。
*
「スズナ!おめでとう!!あの名門学校に受かるなんて……お前は自慢の娘だ!!」
「本当、すごいわよね〜」
「おねえちゃん、すごい!」
小さな蝋燭が一つ灯された部屋で、今日は一段と豪華な食事を囲みながら父と母が当の本人よりも嬉しそうに話している。
4歳の妹――セリは何も分かっていない様子。家族の言葉を真似し、パチパチと拍手をしている。
「それにしても、貴族の子達ばっかりだったわね〜……スズナやっていけるかしら……」
「スズナなら大丈夫だろう!!母さんに似て図太いからな!!」
「……それはどういうことかしら〜」
「えっとなんていうかそのっ!ゴホン……。スズナ!明日から頑張れよ!」
家族内の力関係が露わになっていたが、少女にとってはいつもの光景だった。見慣れた様子に気を取られることもなく、彼女は学校案内のパンフレットを開いた。
明日から通うことになるのは、王都にある『ズィーベン魔術学校』。魔力や知力に一定の水準を満たす者しか入学を許されない、名門の魔術学校だった。
王都直属の魔術学校だけあって、噂では王の子どもたちも通っているらしい。
王族とのつながりが得られる学校ということもあり、校門前で見た通り、貴族の者たちが多いようだった。
「…………でも入学試験は二位だった……」
「――え! 二位なんて十分凄いじゃないか!」
「そうよ、沢山いる中で二位なんて……凄いことよ〜」
張り紙のことを思い出し、少女はぽつりと呟いた。それに父と母は少女を励ますように、賞賛の言葉を口にした。
確かに、両親の言う通り、英才教育を受けてきたであろう貴族の者が多い中、一般家庭の出身である少女が二位になれたのは、凄いことだった。
しかし、本来ならば首席を取るはずだった。それも、今年から変更された学科統合のせいだった。
元々、この学校の学科は総合魔法学科と治癒学科に分かれていた。総合魔法学科では炎や水などの属性魔法を学び、治癒学科は治癒魔法に特化している。少女は後者の学科に入学する予定だった。
そして、この学校には学科ごとに首席となった者の学費が免除される制度がある。本来なら、治癒学科で首席を取れたはずだったが、学科統合の影響でその恩恵を受けられなくなってしまった。とはいえ、半年後にも試験があるため、首席を維持できなければ恩恵は消えてしまうのだが。
学費が免除されることは、貧しい家庭にとっては願ってもないことだった。
自分の我儘であの学校に通わせてもらっている以上、少女は家族に迷惑をかけたくなかった。首席になるために必死で勉強し、魔力を高める努力も惜しまなかった。だからこそ、今回の結果には腑に落ちない思いと悔しさが募るのだった。
(なんで今年からなの……)
タイミングの悪さにため息を漏らす少女を見て、父はどうしたのかと慌てふためき始めた。
「どうしたスズナ!! そう暗い顔するな!!」
「そうよスズナ。 家のことは心配しなくても……お父さんが死ぬ気で働いてきてくれるから大丈夫よ〜」
「そ、そうだな…ハハハ……」
「おとーさん がんばってはたらいて!」
「は、はい……」
この学校に入りたいと願ったときも、両親は渋ることなく二つ返事で了承してくれた。贅沢な暮らしではないが、優しい家族に恵まれている。
少女は、家族のためにもさらに勉強しなければならないと改めて決意した。
「もうそろそろ片付けよ。お父さんも明日早いんでしょ?」
「そうだな!スズナも明日の準備しっかりしておくんだぞ!」
「スズナよりもお父さんの方が忘れっぽいんだから、夜のうちに準備しておいてくださいね〜」
「……はい」
少女は自室へ行き、明日の準備をした後、ベッドへと寝転んだ。首席になれなかったことは悔しいが、少女の胸には、やっと夢の第一歩に近づけた喜びが込み上げてきた。
「次こそは一位になってやる!」