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第七話 迷子の子供

# 第七話 迷子の子供


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 夕陽が森を優しく染める頃、聖域はいつものように穏やかな時間を迎えていた。


 小鳥たちがねぐらに帰る準備を始め、リスたちは最後の木の実拾いに精を出している。小川のせせらぎも、どこか眠たげに響いているように感じられた。


 一日の終わりのこの時間が好きだった。森全体がゆっくりと息をつき、静寂に包まれていく瞬間。全ての生き物が安らぎの中で眠りにつく準備をしている。


「今日も平和な一日じゃったな」


 心の中でそうつぶやきながら、暖かな夕陽を感じていると——


「うえええん...」


 小さな、か細い泣き声が聞こえてきた。


 それは明らかに人間の子供のものだった。しかし、エリアーナや今まで訪れた大人たちとは全く違う、純粋で無垢むくな響きがある。


 泣き声は次第に近づいてきた。そして聖域の入り口付近で、よろめくような小さな足音が止まった。


「ぱぱ...ぱぱあ...」


 しゃくり上げる声と共に、小さな人影が木々の間から現れた。


 それは3歳ほどの、とても小さな男の子だった。茶色い髪をぼさぼさにして、泥だらけの服を着ている。頬には涙の跡があり、怖さと疲れで震えていた。


 男の子は聖域の中心部まで来ると、力尽きたようにその場にぺたんと座り込んだ。


「ぱぱ...どこお...」


 その姿を見て、心は締め付けられた。


 この小さな子供が、一人で夜の森をさまよっていたのだ。どれほど怖く、心細かったことだろう。


「よしよし、もう大丈夫じゃよ」


 優しく語りかけながら、できる限りの温もりを放った。聖域全体をほんのりと暖かな光で包み込む。


 男の子は驚いたように顔を上げた。


「あ...きれい...」


 涙で濡れた目に、聖域の優しい光が映る。泣き声が少しずつ小さくなっていった。


 さらに力を込めた。近くに甘い香りのする花を咲かせ、柔らかな苔の絨毯じゅうたんを厚くする。男の子が座っている場所を、まるでふかふかのベッドのように変化させた。


「わあ...」


 男の子は不思議そうに周りを見回した。恐怖よりも好奇心が勝ったようで、泣き止んでくれた。


 その時、一匹の小さなウサギが現れた。真っ白で、とても人懐っこそうなウサギだ。


 ウサギは男の子の前まで来ると、鼻をひくひくと動かして挨拶をした。


「うさちゃん!」


 男の子の顔が、初めて笑顔になった。小さな手を伸ばして、ウサギの頭を優しくでる。


 ウサギは嬉しそうに男の子の膝の上に飛び乗った。


 続いて、リスやヒヨドリ、キツネの子供まで現れて、男の子の周りに集まってきた。まるで聖域の動物たちが、この小さな迷子を慰めようとしているかのようだった。


「いっぱい...どうぶつさん...」


 男の子は目を輝かせて、動物たちと触れ合っている。さっきまでの恐怖は、すっかり忘れてしまったようだった。


 微笑ましく見守っていた。


「この子も、誰かが心配して探しているじゃろうな。明日になったら、きっと迎えが来るはず」


 夜もけてきたので、男の子が寝られるような場所を作った。大きな木の根元に、苔と花びらで作った柔らかなベッド。暖かな光を放つ蛍のような光苔で、優しく照らす。


 男の子は、動物たちに囲まれながら、安らかに眠りについた。小さな手にはウサギを抱きしめて、とても幸せそうな寝顔だった。


「おやすみ、小さな子よ。明日はきっと、お父さんに会えるからな」


 一晩中、男の子を優しく見守り続けた。


---


 朝日が森を照らし始めた頃、男の子はゆっくりと目を覚ました。


「あれ...ここどこ?」


 男の子は寝ぼけ眼で周りを見回したが、昨夜の出来事を思い出すと、ウサギをぎゅっと抱きしめて微笑んだ。


「うさちゃん、おはよう」


 その時、森の奥から急いだ足音が聞こえてきた。


「トミー! トミーはどこだ!」


 男性の声が響く。疲れ果てているが、必死さが込められた声だった。


 男の子——トミーは、その声を聞いて飛び上がった。


「ぱぱ! ぱぱの声!」


 トミーは立ち上がると、声のする方向に向かって走り出した。


「ぱぱー! ここだよー!」


 すると、森の向こうから一人の男性が駆けてきた。30代前半の、がっしりとした体格の木こりだった。服は泥だらけで、一晩中探し回っていたことが分かる。


「トミー!」


 父親は息子の姿を見つけると、安堵あんどの表情を浮かべて駆け寄った。


「ぱぱ!」


 トミーも父親に向かって走り、二人は聖域の中心で抱き合った。


「よかった...本当によかった...」


 父親は息子を抱きしめながら、目に涙を浮かべている。


「心配したんだぞ、トミー。どこに行ってしまったんだ?」


「えーっと...迷子になっちゃった。でも、ここのお友達がいっぱい遊んでくれたの!」


 トミーは無邪気に、昨夜の出来事を話し始めた。光る森のこと、優しい動物たちのこと、ふかふかのベッドのこと。


 父親は最初、子供の空想だと思っていたが、聖域の美しさと異様な調和に気づいて驚いた。


「この場所は...一体...?」


 父親は周りを見回した。確かに、普通の森とは明らかに違う。空気が澄んでいて、動物たちが人を恐れることなく近づいてくる。そして何より、この圧倒的な平和な雰囲気。


「ぱぱ、見て! うさちゃんがいるよ!」


 トミーは昨夜一緒に眠ったウサギを指差した。ウサギは人懐っこそうに、父親の足元まで来る。


「本当だ...こんなに人に慣れたウサギなんて...」


 父親は不思議そうにしながらも、ウサギの頭を優しく撫でた。


 その時、聖域全体がほんのりと温かな光に包まれた。それは静かな歓迎の意思表示だった。


 父親は、この場所に何か特別な存在がいることを直感的に理解した。


「ありがとうございます」


 父親は聖域全体に向かって、深く頭を下げた。


「息子を一晩、守ってくださって...本当にありがとうございました」


 その感謝の言葉に、心は温かくなった。


 トミーは、別れの時が来たことを理解したようで、ウサギや他の動物たちに手を振った。


「また遊びに来るね! バイバイ!」


 動物たちも、まるで別れを惜しむかのように、トミーの周りに集まってきた。


 父親はトミーの手を取ると、もう一度聖域に向かって深く頭を下げた。


「この恩は、一生忘れません」


 そして、親子は手をつないで森の奥へと歩いていった。


 二人の後ろ姿が見えなくなるまで、温かな光で見送り続けた。


「また会える日が来ることを、願っておるよ」


 聖域に再び静寂が戻り、動物たちも普段の生活に戻っていく。


 しかし、昨夜の出来事は、心に深く刻まれていた。


 純粋で無垢な心を持つ者を守ることの喜び。そして、家族の絆の美しさ。


 それらは、聖域を守る意味を改めて教えてくれた大切な出会いだった。


---


**第七話 完**


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