トラブルは付き物ですよお坊っちゃん
「はい注目ー。今日の体育は“二人一組”で行動するからなー!」
その言葉に、俺はイヤな予感しかなかった。
体育の時間、種目は――障害物競走。
ただし、今回は“二人三脚”付きのペアバージョン。つまり、誰かとペアを組んで走らないといけないということだ。
「ペアは……えー、じゃんけんで負けたやつから、くじ引いて決めるぞー!」
(くじ、か……まあ、変なのに当たらなければ)
淡い希望は、いつも裏切られる。
「おう、小野寺ー。お前は神楽坂とペアな!」
(ですよねぇええええええええ!?)
「……よろしくお願いしますね、お坊ちゃん」
隣から、爽やかスマイルで手を差し出してくる葵。
ジャージ姿でもキマってるのが腹立たしい。しかも汗ひとつかいてねぇ。
「先生……他のペアじゃダメですか……?」
「おう? 神楽坂、お前はいいのか?」
「もちろん。お坊ちゃんとご一緒できるなんて、光栄の極みです」
即答。
「ほら、こういうのはノリが大事だぞ、優〜!」
大輔の茶化す声が遠くに聞こえる。
「……クソッ」
こうして、俺は人生で最も逃げたい体育時間を迎えることとなった。
※
「じゃあ、ペア同士でまずは足を縛るぞー!」
「はい、僕が結びますね」
しゃがみ込んだ葵が、俺の足元に手を伸ばしてくる。
「ちょ、ちょっとくらい距離取れって!」
「え? 足を結ぶのに、どうやって“距離”を取ればいいんですか?」
無表情でまっすぐな目を向けてくる葵が、なんかズルい。
しかも――
「……はい、ちょっと動かないでくださいね」
足を結びながら、軽く手が膝に触れた。
その動作が、なぜかやたら丁寧でやわらかくて――
(近い! 近い! 顔が近いって!)
やめてくれ、こんなシチュエーション、少女漫画でも読んでる気分だ!
「よし……完成です」
見上げたその顔は、微笑んでいた。
けれど、なぜか少しだけ距離が――
「……優くんって、意外と照れ屋ですよね」
「だ、だまれっ!」
「ふふ、可愛い」
(いや、俺が女子でお前が男子だったら絶対惚れてたわ)
なんてツッコむ暇もなく、先生のホイッスルが鳴る。
「位置についてー、よーい……スタート!」
スタートの合図とともに、俺と葵の地獄の二人三脚が始まった――。
「いっせーの!」
「せっ!」
俺と葵は、タイミングを合わせて地面を蹴る。
足を結ばれているのに、なぜか妙にテンポが合うのが腹立たしい。
「……お坊ちゃん、意外とリズム感あるんですね」
「うるさい! お前の合わせ方がうまいだけだろ!」
「ふふ、それは光栄です」
葵はまったく息一つ乱さず、横で涼しい顔をしている。
こっちはもう内心ボロボロだってのに!
ゴールまでは、あとわずか。
(このままいける……このまま何事もなく終わってくれ……!)
――だが、人生はそんなに甘くない。
「おっと……!」
段差に引っかかった俺の足が、微妙に外へ流れる。
それに巻き込まれるようにして、バランスを崩した俺と葵は――
「わっ――」
――そのまま、地面に倒れ込んだ。
ドサッ。
痛みは……思ったより、ない。
(あれ?)
と思って目を開けると――目の前に、あの透き通るような青い瞳があった。
状況を整理する。
俺は地面に倒れている。
そして、その上に、神楽坂葵が――覆いかぶさるような体勢で俺を見下ろしていた。
「だ、大丈夫ですか?」
額が触れるか触れないか、というくらいの距離。
その声は、驚くほど優しくて、真剣で、でもどこか色っぽかった。
「お、おう……って、はやく退けよ!」
「動いたら痛めてるかと思って……ごめんなさい。僕、つい反射で庇ってしまって」
庇ったって――お前が俺の上に乗っかってたら意味ねぇだろ!!
いや、それどころか、周囲の視線が……!!
「ね、ねぇ優……なにしてんの……?」
声の主は、少し離れた場所にいた楪だった。
唖然とした顔で、固まっている。
その隣には、口を開けて呆れてる大輔と、無言で目を伏せる清隆。
(あぁああああ……これは完全に……!)
俺が顔を真っ赤にして口をパクパクさせていると、葵が小さく笑って言った。
「……事故、ですよね? お坊ちゃん」
「……っ、そ、そうだよ! 事故だよ! 100%事故だよ!!」
すると、葵はふっと目を伏せて――小さく、でも確かに囁いた。
「……事故じゃなかったら、困りますか?」
「――なっ……」
その瞬間、また心臓の音が跳ね上がった。
冗談か本気か分からない。けどその声が、ひどく俺の胸に響いて離れなかった。
「こ、こらぁ! 神楽坂、小野寺! 公衆の面前で何やってる! とっとと立ち上がれー!」
先生の怒号にビクッとなり、ようやく俺たちは起き上がる。
その後も、クラスメイトの視線がチラチラと突き刺さり続け――
結局、俺の“平穏な体育の時間”は、またしてもぶち壊されたのだった。