それはまるで王子様
(おいおい、面倒なことになりそうだな……)
「優くん、この人は?」
葵が困ったような笑みで俺に問いかける。
「ああ、この人は俺の幼馴染の――」
「楪! 私に黙って、二人でどこに行ってたの!?」
楪の声は教室内に響き渡り、クラスの一部がこちらをちらちらと見る。
俺と葵は目を合わせたまま、無言で肩をすくめ合った。
「いや、俺はただ葵に学校を案内してただけだって」
「ふ、ふーん……。じゃあ、別にその……いかがわしいことはしてないってことね」
「いかがわしいって……お前、俺たちを何だと思ってるんだよ」
俺が冷静に突っ込むと、楪はムスッと頬を膨らませる。
「ごめんね、楪ちゃん。僕、邪魔だったかな?」
葵は柔らかく微笑むと、すっと楪のパーソナルスペースに入り込むように近づく。その柔らかな物腰に、教室の空気すら和んだ気がした。
だが――。
「私、負けないから!」
楪は勢いよく葵を指さし、宣戦布告とも言える言葉をぶつける。
「負けない?」
葵は意外そうに目を瞬かせた。
※
(……なんか落ち着かねぇな)
葵が隣にいるせいか? いや違う。楪の「負けない」というあの宣言が、頭から離れないだけだ。きっとそれだけだ。
(……とはいえ、葵が隣ってのも……いや、気にするな俺!)
変な汗が滲む中、授業は進行していた。
「じゃあ、小野寺、この問題はどう解く?」
先生に突然名を呼ばれ、俺は反射的に立ち上がる。
(うわ、やべぇ……)
さっきから全然聞いてなかった。黒板の問題すら、まともに見ていなかった。
(終わった……)
口を開こうとした瞬間――。
「優くん、落ち着いて」
隣から、低く落ち着いた声が囁かれた。
視線を動かすと、葵が教科書を片手に、片肘をつきながら俺の方を向いている。指先で、教科書の該当ページを軽く叩いているのが見えた。
「ここだよ」
その指し方も、言い方も、妙に大人びている。慌てる様子など一切ない。どこか余裕を感じさせる表情だ。
「……っ」
俺は咄嗟にそのページに目を走らせ、答案を口にする。
「……こ、こうです」
「はい、正解だ」
先生の言葉にホッと胸を撫で下ろす。
ふと横を見ると、葵が少しだけ唇の端を上げて微笑んでいた。
「ふふ、どういたしまして」
さらっとそんな台詞を言うその顔は、冗談抜きでクールすぎた。
(……ズルいって、お前)
心の中でそう呟くが、口には出せない。隣の美少女が、まるで“王子様”のような仕草で助けてくれたこの状況が、どうにも照れくさかった。
だが――。
(ん?)
視線の端で、誰かの気配を感じた。ゆっくりと目線を動かすと、そこには楪が俺たちを見つめていた。
頬を膨らませて、ぷいっと目を逸らす楪。
(お前……)
空気が一気に重くなるのを感じた俺は、思わずため息をついた。
※
「ねぇ! 優! 私と一緒にお昼、一緒にしない?」
昼休み、弁当箱を掲げながら、楪が俺の席に現れた。
「……ああ、いいけど」
(なんだこの流れ……)
俺はバッグから弁当を取り出す。
「おーい! 優! 一緒に食おうぜ!」
陽気な声をあげながら、大輔と清隆がやってくる。
だが、その瞬間、楪が大輔たちにギロリと鋭い視線を送った。
「……こ、これは……」
「……大輔、巻き込まれたらマズイ、逃げるぞ」
「お、おう、じゃあな優!」
そそくさと去っていく二人を見送り、俺はため息をつく。
「行ってらっしゃい、優くん」
隣で葵が静かに微笑む。
「お前は行かないのか?」
「今日は……僕の存在、あまり歓迎されてないみたいだから」
葵は冗談めかして言うが、その眼差しはどこか鋭かった。
(なんだ、その含みのある言い方……)
俺は首を傾げつつ、楪と共に食堂へ向かう。
※
「ねぇ、優、葵さんとはどういう関係なの?」
食堂で弁当を食べながら、楪が神妙な顔で問いかけてきた。
「え? 葵は俺の……」
(や、やべぇ! 危うくメイドって言いそうになった!)
「……昔からの友達、みたいなもんだ」
「ふぅん、なるほどね」
楪はニヤリと笑い、すぐさま追い打ちをかける。
「じゃあ! 私の勝ちだね!」
「勝ちってなんだよ」
「私は優とは幼稚園からの、昔ながらの“幼馴染”だから!」
(勝負にすらなってねぇ……)
心の中でそうツッコミを入れつつ、黙々と弁当を食べる。
「さてと、俺は教室戻るわ」
箸をしまい、席を立とうとした時だった。
「……ねぇ」
楪が俺の袖をそっと掴む。
「?」
振り向いた俺の目に映ったのは、どこか決意を秘めたように揺れる彼女の瞳だった。
「優、放課後……時間、ある?」
「……お、おう」
ドクン、と胸が高鳴った。
(これって……まさか……)
俺は心の中でその予感を否定できなかった。