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朝日をのぞむまで

作者: 七海

「弓さ、引いてしまったのか」

 東北で行われた祖母の葬儀もひと段落し、茶の間で一息ついていると祖父が血相を変えた。

 ただ弓道部に所属したと言っただけなのに。


 まるで祠を壊してしまったホラー小説の冒頭のようだ。


 などと呑気に考えているとあっという間に四畳半の部屋に閉じ込められてしまった。




 閉じ込められてからどのくらい時間が経っただろうか。窓から入ってくる光はとうに無く、暗闇が入ってきている。

 そうなってくると渡されたキャンプ用のカンテラと石油ストーブの青い火だけでは心許ない。

 電気のないこの部屋は、外のように暗いのだ。東北の夜は墨のように深い黒色をしている。厚い雲が星あかりを遮るなか、雪が街灯や民家の明かりを反射して辛うじて夜を保っている。



 かさりと音が聞こえた。

 部屋の四隅に置いた盛り塩が崩れている。

 不可解なことに隙間風も入らないこの部屋で、かさり、かさりと一粒ずつ崩れていく。


「何もいれちゃなんね。何があっでも呼んじゃなんねかんなし。呼だらギョウコウサマさ、首とらっれがんな」

 ひどい東北訛りのじいちゃんの声が思い起こされる。

 ただ、じいちゃんは、何を質問してもずっと朝がくれば大丈夫だからと繰り返していたため、何の情報も得ることができなかった。


 仕方ないのでスマホでギョウコウサマを検索する。電波が悪いのかネットが重く《《受信》》に時間がかかる。


 AI要約によるとギョウコウサマというのは昔、この地方を荒らしていた鬼のことらしい。渡邉というお侍さんが弓で討ち取ったらしい。その後、鬼渡神社に祀られた。けれども、鬼の恨みは深く、今でもこの地方で弓引く者は、ギョウコウサマに首を刎ねられるらしい。


「ああ、だから弓道部の話をしたら、じいちゃんは慌てたのか」


 理解はした。

 馬鹿らしいとさえ思う。けれども盛り塩が一欠片ずつ崩れる原因が分からないから、薄らと本当なのではないかと思ってしまう。


 ため息を一つ。

 カンテラのオレンジ色をした光が、色濃い影を《《正面》》のカーテンに映し出している。やる事もなくただ、カンテラを挟んで影と見つめ合う。ストーブを焚いているとはいえ、湿度のないこの部屋は、乾燥していて体感温度が低い。

 外はきっと都心の体の芯から体温を奪っていく寒さと違い、耳を引きちぎられるような暴力的な寒さだろう。


 不意に影が動いた。窓に張り付くようにして、ガンガンと両の手でガラスを叩いてくる。


 がんがんがんがん。

 ばんばんばんばんばんばんばん。


 心臓が跳ね上がり、呼吸ができなくなる。酸素を取り込んでいるのに取り込めない。


 がんがんがんがん。がんがんがんがん。

 ばんばんばんばんばんばんばん。

 ばんばんばんばんばんばんばん。


 喘息のようにぜひゅーぜひゅーと口から空気が漏れ出ていく。


「開けてくんろ」

 懐かしい祖母の声が窓から聞こえてくる。


 がんがんがんがん。がんがんがんがん。

 ばんばんばんばんばんばんばん。

 ばんばんばんばんばんばんばん。


「寒いから開けてくんろ。中さ入れてくんねがっし」


 がん。がんがんがん。がんがんがんがん。

 ばんばんばんばん。ばんばんばん。

 ばんばんばん。ばんばんばんばん。


『何もいれちゃなんね。何があっでも呼んじゃなんねかんなし。呼んだらギョウコウサマさ、首とらっれがんな』


 祖父からの戒め。


 そもそもこの地には《《祖母の葬儀》》で来ているのだ。祖母が語りかけて来ることなどない。


 怖い。

 恐れが染み込んでくる。

 一人で一晩耐えなければならない。という事実にとてと耐えられそうにない。


 祖父に連絡を取ろうとスマホの電源ボタンを押すとカメラロールが立ち上がっていた。


 いつ、立ち上げただろうか。


「ひっ」


 写真を見て声が漏れてしまった。


 全ての写真は、首から上が消えていた。


 執拗に、丁寧に、虱潰しに、過去に遡り、一枚一枚首が捥ぎ取られている。


 いつのまにか窓を叩く音は聞こえなくなっていた。

 代わりにしんしんと雪が降り積もる静寂の音が聞こえる。


 窓に張り付いた影はどこに行ったのだろうか。


 中に入り込まれたのかもしれない。

 けれどと思う。この部屋には何も招き入れていないはずだ。ルールを破っていない。なら、きっとギョウコウサマの策だ。


 策かもしれないと自分に言い訳しつつも恐怖から、カンテラの光が届かない夜色の四隅へと素早く目を向ける。

 が、そこには黒が揺蕩っているだけで何もいない。


 ばんばんばんばんばんばんばん。

 がんがんがんがん。


 手にしていたスマホが内側から叩かれ、激しく暴れるまわる。


 思わず、スマホを放り投げてしまった。買ったばかりのスマホの画面には大きな亀裂が走り、青白い闇が滲み出てきた。それはスマホが出す燐光のようでもあり、屍蝋の青のようでもあった。

 真っ黒な亀裂の先に、こちらを睨みつける画面いっぱいの眼があった。


「あっ……」

 パクパクと自然に口が開閉を繰り返してしまう。冷たく乾いた空気が口内に入り込み、気道は罅割れ、痛みが走る。


 目はすぐに消え、画面には青白い人影が映り込んでいるだけとなった。恐怖で蒼白となった自分かそれとも鬼なのか最早、判断がつかない。


「何なんだよ」


 50%。

 何かが受信されている。


「まさか」


 《《電波を引き入れてしまった。》》ギョウコウサマはその電波に乗って入ってきてしまったのか。


 投げ捨てたスマホに慌てて駆け寄り、電源ボタンを長押しする。


 早く早く早く早く。消えてくれ。


 1秒が10秒。10秒が100秒のように永遠に続いていくように感じる。


 80%。


 まだか。早く早く。恐怖で震える右手を左手で掴み、電源ボタンから指が離れないようにする。


 90%。


 もうダメだ。完全に入りこまれる。

 早く朝になってくれ。朝日よ《《部屋に入ってくれ。》》


 100%。








 全てが同時だった。

 スマホから鬼の手が現れるのも。

 電源を消すことができたのも。

 シャットダウンにより手が消えたのも。

 朝日が部屋に差し込んだのも。





「助かった」


 どさりと音を立てて畳に倒れ込む。







 夜明けの青空を首一つとなって見上げたのも。

 


 全てが同時だった。





 ああ、暁光あさひを望んでしまった。

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