向日葵(ひまわり)1-2
月曜日。今日も暑くなるだろう。
天気予報のお姉さんが『気温が高いので熱中症に気をつけて下さい』と話していた。朝から陽射しが強い。
「行ってきまーす」
お気に入りのハンカチを探していて五分程、家を出るのが遅れてしまった。
慌てて靴を履いて家を出た。カチャ、と扉を開けるとお隣さんの扉も開いた。
「あ、たくみ。お早う!」
「……おはよ」
眠たそうに挨拶を返してきた。
「早く行かないと遅刻するわよ」
私は玄関から出ると早足で学校へ向かった。いつの間にか、たくみは先に出たはずなのに、私に追いついて来ていた。
「あ、そうそう。昨日『例の』古本屋に行ってきたわよ」
そう私が言うと、たくみは私の横に並んできた。
「へぇ。どうだった?」
「ずっと探していた本を見つけたの!」
笑顔で私は答えた。古本屋で本を見つけた時を思い出した。
「それって……」
たくみを見ると複雑そうな顔をして立ち止まっていた。
「何?」
私も早歩きをやめて立ち止まった。朝から強い陽射しが、制服の半袖から出ている腕にジリジリとあたって暑い。もうすぐ蝉が鳴き始める頃だ。
「何でもないよ」
たくみはそう言って走り出して私を追い抜き、先に学校へ行ってしまった。
「……なによ」
私も遅刻しないように、走り出した。
月曜日の怠い授業が終わり放課後……。
皆が部活に行ったり家に帰って人はまばらで、教室はガランとしていた。
「あやねー、たくみ君とケンカでもしたの?」
ドキリとした。友達の真希ちゃんだ。私の席までやってきた。はっきりと物を言うが、根は優しい子だ。
「ケンカなんてしてないよ」
頬杖をついて答えた。ケンカなんてしてない。ただ……、避けられているのかな?
「そう? なら良いけど」
ガタンと椅子を動かして前の席に座り、後ろを向いて私を見た。真希ちゃんは髪の毛をポニーテールにしていて、活発な真希ちゃんに似合っている。私は肩までの長さのボブなので、長い髪が羨ましい。私も髪の毛を長く伸ばそうかな。
「あれ? この本……」
机の上に置いていた本を見つけて真希ちゃんは言った。
「あ、そうなの。やっと見つけて……」
言いかけた途中で、真希ちゃんが焦ったように言葉を被せてきた。
「え! あやねが見つけちゃったの!?」
真希ちゃんは、そう言ってからハッ! と自分の口を塞ぎ、ガタガタと椅子から立ち上がった。
「……何? どういう事?」
私が『見つけちゃったの!?』 ってどういう意味?
「いや、間違い! 見つかって良かったね! ……そうそう! もう帰らなくちゃ!」
カバンを手に持って机から離れた。
「え! 真希ちゃん?」
何で急に?
「じゃ、また明日!」
引き留める間もなく真希ちゃんは、バタバタと帰ってしまった。
「……何よ」
たくみも部活に行ったし、どうしようかな。
私は商店街の裏道にある古本屋の前にいた。店先にある、プランターに植えてある向日葵の花が咲いていて、夏だなぁ……と当たり前のつまらない事を考えていた。
「また来ちゃった……」
しばらく店先で向日葵を見ていた。夏の黄色い花。見る者を元気にしてくれるような……。
「あれ? いらっしゃい」
「わあ!」
びっくりして、ぴょんとジャンプしてしまった。また背後から気配を感じずに声を掛けられた。
「びっくりさせてしまったみたいだね? ごめん」
古本屋のお兄さんだった。
昨日と似たような格好をして、手には何か持っている。
「今ちょっと出かけてたから入れなかったでしょ? 開けるね」
ガチャガチャと鍵を開けてお店に入った。
「どうぞ」
そう言ってスタスタと、店の奥へいなくなった。出かけてたのか……。向日葵を見ていて気が付かなかった。入れなかったら帰ってたな。
「こんにちは……」
そっと店に入る。昨日と同じく店の中はヒンヤリしていた。外は眩しいくらいの陽射しなのに少し薄暗い。店内をゆっくり見て回ることにした。
難しい哲学書や外国語で書かれた本、古い地図に絵本。数え切れないほどの本たち。
時間を忘れてしまいそうだった。夢中で本棚にきっちりと整理された本達を眺めていた。
「ちわっす!」
チリリン! とドアが開き、ベルがなる。
ん? ドアにベルなんてあったかな?
「いらっしゃい」
お客さんが店の中に入って来たが、この声は……。ドガドガと、店の奥まで歩いていった足音が聞こえた。
「……この本、売りたいんですけど」
やっぱり、たくみの声だ。私は本棚から顔を出した。
「たくみ!」
私はたくみに声をかけた。
「あやね!?」
するとたくみは驚いた様子で私の名を呼び、固まった。
「お前、昨日ここに来たから今日は来ないと……」
後ずさり、レジ横の壁に背中をぶつけた。
「来ちゃ悪いの?」
朝から先に学校へ行くし避けられていたし、少しイライラして、たくみに詰め寄って言ってしまった。
「そんな事、言ってないし!」
たくみもイライラし始めて私にキツく言ってきた。お互いにらみ合い、ピリピリとした空気が流れた。
「この本、売るの? 新品みたいだけど」
シレッとお兄さんが話しかけてきた。
「え! あっ!?」
たくみは、急にお兄さんに話しかけられたので動揺しているようだ。あたふたとしている。
「あれ?」
レジカウンターに置かれた、たくみが売ろうとしていた本を見た。あれは……。
「私が探していたファンタジー小説の第三巻!!」……だった。しかも新品らしい。
たくみを見ると俯いて握りこぶしをしていた。顔がよく見えないけれど、唇を噛んでいるようだった。
「たくみ?」
黙り込んでいるので話しかけてみた。
「……俺、友達のお姉さんが出版社で働いていて無理矢理お願いして、苦労してやっとこの本を手に入れたんだ!」
ガバッと顔をあげて話し始めた。
「なのに……」
苦い顔をするたくみ。
「何でそんな苦労して手に入れた本を、売ろうとしたの!?」
思わず私は何も考えず、たくみを責めた。
「私、やっとここで手に入れたのに!!」
「お前にあげるつもりで苦労して手に入れたんだ!!」
たくみは顔を真っ赤にして大声で叫んだ。
「え……」
今度は私が固まった。私にあげるつもりで手に入れた? 嘘……。
「だって私、昨日ここで……」
ここでやっと見つけた。
「だから売ろうとした!」
ああ。
だから朝、複雑そうな顔をしていた訳だったの?
「私を避けていたのは……」
「だってせっかくお前にあげるつもりでいたのに、よりによって昨日手に入れたとか! 今日、渡そうとしたのに」
なんてタイミングが悪いの。……どうしよう。
「じゃ、その古本を売って新品を貰って下さい」
にっこりと笑い、お兄さんが話に割り込んできた。
「「はあ!?」」
お兄さんの提案に、思わず二人ハモってしまった。
「お兄さんに得が無いじゃん!」
たくみはレジカウンターに両手を置いてお兄さんに突っ込んだ。確かにお兄さんには得が無い。
「これがあなた達にとっては、一番最良な方法だと思いますが?」
お兄さんの真っ直ぐな視線に二人は黙った。有無を言わせないような迫力があった。
「お兄さんはそれで良いの?」
私は勇気を出して聞いてみた。
「ええ、もちろん。ケンカせずに、また店に来て頂けたら私に得がありますから」
そう言ってにっこりと笑った。
古本屋から外に出るともう夕方だった。まだ気温が下がってなくて一気に汗が出て来た。長い時間お店に居たようだった。日が傾いていた。
「あっつーい!」
結局、お兄さんの提案に私達は従った。昨日手に入れた古本は売り、たくみから新しい本を貰った。
「あの、本……有難う」
気まずさで小声になってしまった。
「……ああ」
それきり無言で、二人は歩き始めた。
「嬉しい」
素直に、たくみに言うと照れたのか横を向いた。
「そっか、良かった」
たくみから貰った本を両手で抱いて二人は並んで帰った。
二人が帰った後の古本屋。
「よお、要! お前甘いな!」
レジカウンターの上に、猫の大きさ位の『羽のある何か』がいた。
「そんな事は無いですよ」
“かなめ” と呼ばれた古本屋のお兄さんは、お肉の切れ端を『羽のある何か』の口元に近づけた。
パカッと大きな口を開けて、ガブリと手ごと噛みついてきた! しかし、お兄さんは肉をサッと離し噛まれるのを避けた。
「相変わらず素早いな。可愛くない」
『羽のある何か』はそう言うと、グチャグチャと咀嚼始めた。
「いらないのですか? あげませんよ?」
お兄さんはお肉の乗ったお皿を遠くに離した。
「イヤイヤ! 食べる! 食べるから!」
パタパタと羽を広げる。
「分かれば良いのです」
そう言ってまたお肉を食べさせた。
「実は売ったあの本にですね……」
「ン?」
グチャグチャ食べていた口がとまる。お兄さんがさっき引き取った本を開く。
「ア!?」
本を開くと、突然眩しい光が店いっぱいに溢れた。
「アア!? まだ食べてないのに!」
お兄さんは後ろに立て掛けてある立派な剣を掴んだ。
「あの子が買った本に【入り口】があったらしくて、開いちゃったみたいです」
ペロリと舌を出した。
「あの子はこのページまで読んで無かったみたいで。いや~良かった!」
ハハハハ! と古本屋のお兄さんは笑った。
「バカ! かなめ! 笑い事ジャ、ナイー!!」
ハハハハ……! と笑う声とともにお兄さんと『羽のある何か』は本に吸い込まれていった。シーンとした店内。
本が自然に閉じた時、眩い光と共に跡形もなくお兄さんは居なくなった。
一章 向日葵 終。 二章へ続く