少女の夢
あれからジャミーラは、毎日放課後に図書館に通い、アルテリスを見つけて、共に勉強をするようになった。
図書館以外で顔を合わせることは無い上に、お互い各々の勉強をしているので長く話すことは無いが、ジャミーラはアルテリスと過ごす時間をとても有意義なものに感じていた。
「ねえ、アルテリスさん。今度一緒にお茶をしましょう」
図書館の帰り道、ジャミーラはふとアルテリスともう少し話をしてみたくなってそう尋ねてみた。
「ふたりで、でしょうか」
「そうよ」
沈黙。
予想外に、アルテリスの反応は良いものではなかった。
アルテリスは何か思い悩んだように視線を逸らして、
「ご婚約されているのに、これ以上異性とふたりきりというのはいかがなものかと」
真剣な眼差しで、ジャミーラを静かに見据えた。
「知っていたの?」
「この学園で知らぬ者はいないと思います」
ジャミーラは、ランデュート王国シャマル公爵家の令嬢であると同時に、第二王子の婚約者。
確かに、かなり有名な話のはずだった。
しかし、図書館でふたりで勉強をすることに対して何も言わなかったから、てっきりアルテリスは知らないのだと思っていた。
アルテリスが知っていたことを知って、ジャミーラは何故かあまりいい気分ではなかった。
それなら、きっと“あの噂”も知っているのだろう。
「私は今更どのような噂がたっても気にしないわ。それに私は、異性としてではなくお友達としてお茶にお誘いしているの。でも、貴方には迷惑かしら」
我ながら卑怯な聞き方だと思う。
アルテリスは、ジャミーラの期待通り、いいえと短く答えた。
「明日の放課後、裏庭でお待ちしております」
ジャミーラは嬉しそうに笑みを浮かべた。
⚜️⚜️⚜️
「風が気持ちいいわね」
学舎から少し離れた裏庭の一角。
美しく整えられた色鮮やかな花園に、ひっそりと佇むガゼボ。
ぽかぽかとした陽気の中、景色を楽しみながらジャミーラは茶を嗜んだ。
「こんなにいい所なのに、どうしてあまり知られていないのかしら」
溜息とともに思わず零れた独り言。
アルテリスに案内してもらわなければ、ジャミーラも知らずに過ごしていたかもしれない。
「ここは本来、生徒会の役員しか利用できない場所ですので」
少し言いにくそうなアルテリスの答えに、ジャミーラの心臓が跳ねた。
そういえば、ここに来る途中に門があった。
アルテリスはそこで、門番に何かを確認されていた。
その時はここにも門があるなんてと、呑気なことを考えていた。
学園には生徒会の役員だけが利用できる場所がいくつかあるが、ここがその1つだったとは。
「私達が利用しても大丈夫なの?」
「生徒会長にご許可をいただいております」
ジャミーラを安心させるように、アルテリスは落ち着いて言った。
「そういえば、アルテリスさんは生徒会の役員なのよね」
アトランティス学園では、生徒会の役員の大半は、生徒の投票によって決められる。
しかし幾つか例外も存在し、その1つとして特別に入学を許された所謂“特別生徒”は入学と同時に生徒会の役員となる規則があった。
つまり、特別生徒である時点で、アルテリスは生徒会の役員でもあるわけだ。
「ねぇ。アルテリスさんは、どうしてこの学園に入学しようと思ったの?」
アトランティス学園は、王侯貴族の子女と特別生徒だけが通うことの出来る全寮制の名門校である。
王侯貴族の子女は家柄さえ伴えば入学が可能であるのに対して、特別生徒の入学は、王侯貴族の推薦と超難関の試験の合格が必要だった。
アルテリスは特別生徒だ。
つまり、王侯貴族の誰かと繋がりがあって、試験に合格するために人並外れた努力をしたはずだった。
ジャミーラは、ふとその理由が気になった。
「私には、生涯お仕えしたいと心に決めた方がおります。その方がこの学園に入学されましたので、その方にお願いして試験を受けさせていただきました」
アルテリスはいつも独りでいて主君がいるようには見えなかったから、少し意外な答えだった。
「どなた?」
「それは」
アルテリスは少し迷って、今はまだお答えできません、と困ったように言った。
“まだ”ということは、いつかは教えてくれるのだろうか。
釈然としないがアルテリスを余計に困らせたくなくて、ジャミーラはそれ以上触れなかった。
「私からも質問をよろしいでしょうか」
アルテリスは改まって尋ねてきた。
「何かしら?」
「ジャミーラ様は、聖歌騎士にご興味がおありですか?」
突然、アルテリスの的を射た言葉にどきっとする。
「どうして」
聖歌騎士とは、歌によって神々の愛や栄光を称え、その対価として与えられる加護によって魔を祓う騎士のことだ。
ランデュート王国の民は、神界の王の所業から長年“悪魔の民“と冷遇されている。
そのため、神々を信仰する聖教会とそれに準ずるものを疎ましく思う者が多い。
まして、聖歌騎士は、ランデュート王国の民に嫌煙される職業だった。
ジャミーラがランデュート王国の令嬢であると知る彼なら、そのような考えに至らないはずだが、
「よく聖歌騎士に纏わる本をご覧になっているので」
確かに図書館では、聖歌騎士に纏わる本も読んでいた気がする。
そんなに頻繁に読んでいただろうか。
「アルテリスさんの仰る通り、聖歌騎士に興味はあるわ。でもご存知の通り、私はランデュート王国の民で、王子の婚約者だから」
ジャミーラは肩を竦める。
アルテリスはその言葉の意味を察して、どのような言葉をかけるべきか、迷っているようだった。
ランデュート王家は、王国の中でも特に、神々への憎しみが強いと聞く。
それは他国の王族のみならず民からも蔑まれ罵られた結果だろう。
彼等の反応を予想していたから、聖歌騎士になりたいと、これまで口には出せなかった。
でも、アルテリスなら聞いてくれるだろうか。
ジャミーラは何となく身の上話をしたい気持ちになって、ゆっくりと昔話をすることにした。
「結界が壊された時にね、魔界から侵入した魔族に私の住んでいた屋敷が襲われたの。私には兄と弟がひとりずついて、父と母と5人家族だったのだけれど、父も母も兄も弟も皆、目の前で殺されて。私もって思った時に、聖騎士団の方が来て、私だけ助け出されたの」
当時のことは、昨日のことのように鮮明に覚えている。
穏やかな日常が突然終わりを告げ、目の前が家族の血で真っ赤に染ったあの日。
刃が自分の方に向かってくるのが見えても、恐怖で逃げることも出来ず、ただ立ち尽くすことしか出来なかった自分自身。
「何が起こったのか頭の整理もつかないまま連れて行かれて、気がついたら教会に保護されていたわ。魔族に襲われて突然家族を皆失ってしまったから、しばらくの間は水さえ喉を通らなくてね。泣き方も分からなくなって涙も出なくて。真っ暗で。辛くて。これからどうしていいかもわからなくて。死にたいとさえ思っていたの」
ジャミーラは当時の心境を思い出し、遠くを見つめる。
「でもそんな時、聖歌騎士の方が歌を歌ってくださってね。その方の歌声は、とても綺麗で、優くて。その歌を聴いているうちに行き場を失っていた思いがどんどん溢れ出てきて、久方ぶりに大きな声で泣いたわ。まるでその方の歌が私の心を優しく包み込んで、真っ暗な闇の中から私を救い出してくださった様だった」
漆黒の髪に赤い瞳、褐色の肌。同じランデュート王国の民でありながら、聖教会に所属する聖歌騎士の女性。
純白の制服に身を包み、凛々しく美しいその姿に、憧れを抱かずには入れなかった。
「あの日のことを思い出す度に思うの。私もあの方のように、苦しい思いをしている人を救えるような、素敵な聖歌騎士になりたいって」
ジャミーラは静かに首を振った。
「でも、叶わない夢なのよね」
沈黙の帳が降りる。
結局、アルテリスは最後まで何も言わなかった。