少年と少女
「まったく……何なのかしら……」
初めての外国。初めての学園生活。
胸のどこかで少しは期待していたはずだった。
それなのに──
少年への仕打ち、そしてランデュートに対する侮蔑。
これからの学園生活を思うと、ジャミーラの胸は早くも重く沈んでいた。
体育館に残されたのは、ジャミーラと少年だけ。
ジャミーラは少年を見つめる。
擦り切れ、薄汚れた白黒の制服。
血の滲む白い肌。
柔らかそうな金糸の髪がうつむき気味に揺れている。
「貴方……大丈夫ですの?」
“悪魔の民族”からの施しなど、拒絶されるかもしれない。
それでも見捨ててはおけず、手を差し伸べた、その瞬間──
少年が顔を上げた。
時が止まったようだった。
ふわりと揺れる金糸の髪。
陶器のように白い肌、淡い頬の色。
そして、つぶらな金色の瞳。
だがその瞳には、感情の揺らぎが一切ない。
まるで完璧に造られた陶器人形のように。
「あの……」
「え?」
反射的に聞き返してしまい、息をのむ。
「大変申し上げにくいのですが……お手を汚してしまいますので、自分で起き上がります」
静かな声。
少年は痛む身体を押し上げ、ゆっくりと立ち上がった。
差し出したジャミーラの手は行き場を失い、そっと戻る。
少年は深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ジャミーラ・シャマル様。
先ほどはお助けいただき、誠に感謝申し上げます。
アルテリスと申します」
絹のように柔らかく、鈴のように澄んだ声だった。
「お初にお目にかかります、アルテリスさん。
……礼など、どうぞお気になさらないで」
思わず、ジャミーラの声にも柔らかさが宿る。
先ほどまで蹂躙されていた少年とは思えない、洗練された身のこなし。
そして何より──
“悪魔の民族”ではなく、同じジャルダンの民として接してくれることが嬉しかった。
(姓を名乗らない……持っていないのかしら)
アトランティス学園には特別枠での入学もある。
アルテリスは容姿端麗だが、貴族ではない。
それが、彼がいじめられていた理由なのだろう。
改めて見ると、少年の身体には痛々しい傷が残っていた。
「わたくし、多少の治癒術なら使えますの。
よろしければ……治療させていただけますか?」
アルテリスは小さく驚き、こくりと頷いた。
ジャミーラが目を閉じ、祈りの言葉を捧げる。
「どうか、かの者の傷を癒したまえ」
金色の光がふたりを包み、アルテリスの傷がみるみる癒えていく。
(……これは、神聖力?)
アルテリスは目を見開いた。
「……良かった。上手くいった様ですわね」
ジャミーラは満足げに微笑む。
「ありがとうございます」
「いいえ……。ただ、その……制服がひどく汚れてしまっていますわ。
よろしければ、新しいものをお持ちいたしましょうか?」
「いえ、そこまでは……。人目のない道を行きますので。お気遣い痛み入ります」
「そう……わかりましたわ」
行き過ぎたか、とジャミーラはそれ以上踏み込まなかった。
「では、わたくしは先に失礼いたしますわ。
またお会いいたしましょう」
「はい。誠にありがとうございました」
「こちらこそ、普通に接していただけて嬉しかったですわ。
あの方々には、どうかお気をつけになって。
何かありましたら、いつでもわたくしのところへいらしてね」
そう言い残し、アルテリスの丁寧な礼に見送られながら、ジャミーラは寮へ向かった。
⚜️⚜️⚜️
「……ジャミーラ・シャマル様」
アルテリスは少女の名を呟き、その容姿を思い返す。
漆黒の髪。宝石のような赤い瞳。褐色の肌。
そう、まさに──
探していた肖像画の少女。
(怪我の功名、というべきでしょうか)
当初の目的を果たせた安堵が胸に広がる。
貴族としての気高さと、弱者を思う優しさ。
ほんのひととき交わしただけでも分かる。
(……良い報告ができそうですね)
アルテリスは満足げに微笑み、静かにその場を後にした。




