ジゼルの判断
「本日放課後、シャマル様の神聖術を、殿下とオリヴィエ隊長にご覧いただくことになりました」
始業前。
女子寮の前へ出てきたジャミーラを、アルテリスは既に待ち構えていた。
いつもの柔らかな微笑みは影を潜め、沈むような緊張を背負った面差しだ。
ただその一言を告げるために、わざわざ寮前へ来ていた。
ジャミーラの胸に、鋭い緊張が走る。
(……こんなに早く、殿下とオリヴィエ隊長の前で……)
アルテリスは深々と頭を下げた。
「シャマル様であれば大丈夫です。講義が終わりましたら、教室の前までお迎えに参ります」
「……ありがとう」
頷いたものの、握りしめた袖口に力がこもる。
朝の鐘が鳴り響き、二人は静かに別れた。
⚜️⚜️⚜️
夕暮れ。
聖騎士団支部の訓練場には、沈みゆく陽を追い払うような冷たい風が吹いていた。
西空の赤がわずかに残り、その光を受けて松明が一つ、また一つと灯されていく。
揺らぐ橙の灯は石畳の上に文様を描き、昼と夜の狭間の静けさが、訓練場全体を包み込んでいた。
その静寂を破るように、硬い靴音が近づく。
「……まったく。この多忙な折に呼び出されるとは、どういう了見ですの」
黒の団服を纏った銀髪の女性——
ジゼル・オリヴィエが姿を現した。
声には明白な不満。
そしてその眉間には深い皺。
「祈祷班は今、昼夜を問わず結界石の修復に当たっておりますのよ。余裕など、どこにもございませんわ」
「悪いな、オリヴィエ隊長。しかしこれは“例の件”に関わる。学園防衛のためだ」
ムスタファの声は低く落ち着いていた。
ジゼルは一度だけ険しい息を吐き、やむなく頷く。
「……かしこまりました。けれど手短に願いますわ」
視線が訓練場へ流れる。
中央には、既にジャミーラとアルテリスが整列していた。
アルテリスが前に進み、一礼する。
「お越しいただきありがとうございます、オリヴィエ隊長。こちらがジャミーラ・シャマル様です」
「貴女がシャマルさん。話は殿下より伺っております。——始めなさい」
ジゼルは言葉を飾らず、鋭い眼差しを向けた。
ジャミーラはゆっくりと息を整え、一歩前に出た。
胸の前で指を組み、そっと目を閉じる。
「……はい」
薄闇の中に柔らかな祈りの旋律が解けていく。
その声は静かでありながら芯があり、澄んだ空気を振動させた。
掌に灯る白光は細い金糸を生み、ふわりと舞い上がる。
光の花弁が夜気に咲き、訓練場に漂う瘴気を静かに洗い流していった。
風は凪ぎ、松明の炎の揺れが止まる。
空気が清められたような静寂が訪れる。
ジゼルの瞳が、ほんのわずかに見開かれた。
(……ランデュートの民でありながら、ここまでの制御を……しかも独学で?)
光が収まり、残響のみが空中に溶ける。
少しの沈黙のあと、ジゼルはゆっくりと息を吐いた。
先ほどまで漂っていた苛立ちは完全に消え、代わりに深い敬意が瞳に宿っていた。
「——見事です、シャマルさん。
学ぶべき点はもちろんございますが……正しく導けば、いずれ立派な聖歌騎士になられるでしょう」
ジャミーラは驚き、深く頭を下げた。
「もったいないお言葉ですわ、オリヴィエ様」
ジゼルはムスタファへ向き直る。
「この方ならば我々の戦力となるでしょう。騎士団長には、私からも推薦いたします」
ムスタファは短く頷いた。
「助かる、オリヴィエ」
ジゼルはジャミーラを振り返り、微笑む。
「良いものを見せていただきました。
今回の件が落ち着いたら、ゆっくりお話ししましょう」
そう告げ、松明の灯に銀髪を照らされながら静かに訓練場を後にする。
やがてその姿は夜気へと溶けた。
残された空気は、まだ少し冷たく——
けれど確かな未来の気配を含んでいた。
「お前の見立ては正しかったようだな」
ムスタファの小さな呟きに、アルテリスは控えめに微笑む。
それは
“満足” と “誇り” が静かに滲む、温かな笑みだった。




