アルテリスの提案 前編
夕刻の寮への帰り道。
沈みゆく陽光が、二人の影を長く伸ばし、石畳にやわらかな揺らめきを落としている。
アルテリスはいつものようにジャミーラの隣を歩いていたが、その纏う気配はどこか普段と違っていた。
静かで、慎重で——まるで言葉を選びかねているような。
ふいに、彼が口を開いた。
「シャマル様。ひとつ、お伺いさせていただきたいことがございます」
呼び止められ、ジャミーラは立ち止まった。
「何かしら?」
アルテリスはわずかに視線を伏せ、慎重に息をついた。
それは彼には珍しい仕草で、ジャミーラの胸にわずかな緊張が走る。
「——シャマル様は、“聖騎士団の見習い制度”をご存じでしょうか」
「……見習い制度?」
「はい。特定の団員による推薦と、審査を通過すれば、学園在籍中でも訓練に参加し、任務に同行することを許される制度です」
ジャミーラの胸がふわりと高鳴る。
(そんな制度が……本当に?)
驚きと期待が、ゆっくりと胸の奥に広がっていく。
「もちろん、見習いは正式な騎士ではありません。扱える術も限られ、任されるのも補助的な任務です。
ですが——“騎士を志す者”にとっては大きな一歩となります」
アルテリスはまっすぐ彼女を見つめた。
「もしシャマル様に、その機会が巡ってきたのなら……どうなさいますか」
琥珀の瞳は真摯で、一点の迷いもない。
ジャミーラはその視線に背中を押されるように、迷いなく答えた。
「それは……とても光栄なことね。ぜひ、志願したいわ」
アルテリスの表情がほんの僅か、柔らかく緩む。
ジャミーラは問い返した。
「でも……どうして急に、そのようなお話を?」
アルテリスは夕空を一瞬仰ぎ、穏やかな声で言った。
「シャマル様は以前、“聖歌騎士になりたい”と仰っていましたね」
その一言に、頬がほんのり紅潮する。
「ええ……わたくしの秘かな夢よ」
夕風がそよぎ、制服の裾を揺らした。
アルテリスは続ける。
「もしシャマル様がお望みでしたら……殿下へ、見習いへの推薦をご提案させていただきたいと考えております」
ジャミーラは息を呑む。
「わたくしの推薦を……殿下にお願いしてくださるの?」
「はい」
胸がじんわりと熱を帯びる。
ジャミーラは胸元に手を添え、慎重に言葉を紡いだ。
「ありがとう。……でも、審査があるのでしょう?もし実力が伴わなければ、殿下にご迷惑をお掛けしてしまうわ」
アルテリスは小さく首を振った。
「初めてお会いした日のことを……覚えておいででしょうか」
「もちろんよ」
入学式典の日の光景が蘇る。
「あの時、シャマル様が私を治療するためにお使いになったのは、神聖術ですね」
ジャミーラは驚き、そして静かに頷いた。
「ええ。……あの日は、つい」
「やはり、独学で学ばれたのですね」
ジャミーラは小さく苦笑する。
「ええ。……神聖術を習いたいなんて、誰にも言えなかったもの」
アルテリスは優しく目を細めた。
「シャマル様。……シャマル様のお使いになられた神聖術は、独学とは思えぬほど洗練されておりました。
相当な修練を積まれたのでしょう」
その言葉は、ジャミーラの胸に静かに染み込んでいく。
「折角努力されたのです。……ご自身の実力を試してみたいと、思われませんか」
誠実で、揺るぎなくて、温かい声音だった。
まるで、彼女の未来をそっと押し出すかのように。
ジャミーラは胸に灯る力を感じ、まっすぐ頷いた。
「……そうね。折角努力してきたんだもの。
少しでも可能性があるのなら、試してみたいわ。——先程のお話、お願い出来るかしら」
アルテリスは静かに微笑んだ。
「承知いたしました。殿下に申し上げます」
気づけば、寮の灯りが静かに灯り始めていた。
二人の影は寄り添うように長く伸び、黄昏の道に溶けていく。
——この瞬間、二人の未来はそっと同じ方向へ動き出した。




