隠し事
嫌な気配がする。
ジャミーラは授業中、教室の窓から外を眺めながら、そっと胸に手を当てた。
朝、目覚めてからずっと、胸の奥が重く沈み、ざわりと波立つ感覚が続いている。
まるで——あの日のように。
家族を失った、あの忌まわしい日の朝に似ていた。
暗く、冷たく、肌にまとわりつくような気配が胸を掠めて離れない。
(……気のせい、よね?)
そう思い込もうとするたび、不安は逆に膨らんだ。
講師の声は遠く、黒板の文字は霞み、時間だけが胸騒ぎの中で淀んだように感じられた。
そのざわめきは、放課後になっても消えることはなかった。
⚜️⚜️⚜️
夕刻の生徒会室。
廊下の窓から差し込む淡い夕日が扉を撫で、静かな光を落としていた。
ジャミーラが軽く扉を叩くと、すぐに聞き慣れた声が返る。
「シャマル様、お待ちしておりました」
アルテリスに出迎えられ、一礼して室内へと入る。
机上には整然と書類が並び、窓辺ではムスタファが筆を置いて振り返った。
「ムスタファ殿下にご挨拶申し上げます」
「ああ」
アルテリスは、二人をそっと見守る。
(……お二人の間に良い変化があったようですね)
先日の勉強会を思い返す。
お茶を運んで戻ってきてから、二人の口調にはわずかな変化があった。
ライルと目が合い、互いに気づいた時の、
“言葉にし難い微笑ましさ” が胸の奥に静かに灯る。
ジャミーラはふと、室内を見回した。
(……イルハン様はいらっしゃらないのね)
「ライル様は所用で席を外しております」
まるで心を読んだかのように、アルテリスが静かに告げた。
「そうなのですね」
案内され、昨日と同じ席に腰掛ける。
だが、いつもと違う。
室内には、どこか張りつめたような空気が漂っていた。
「……何か、ございましたか?」
その一言に、ムスタファがわずかに目を細める。
「何か、とは?」
穏やかな声。
しかし、その穏やかさが“作られたもの”であることを、ジャミーラだけは気づけなかった。
「いえ……ただ、今朝からずっと胸騒ぎがしていて。何となく、落ち着かないのです」
言葉にした瞬間、脳裏に嫌な記憶が甦る。
ジャミーラは急いで視線を伏せた。
「シャマル様?」
心配そうに声をかけるアルテリス。
その声音にハッとし、ジャミーラは小さく首を振る。
(……変なことを口走ってしまったわ)
学園は結界石に護られている。
悪魔が入り込むはずがない——そう何度も自分に言い聞かせる。
「申し訳ございません。わたくしの思い違いですわ。どうか、お気になさらずに」
無理にほころばせた微笑み。
ムスタファはその笑みをじっと見つめた。
瞳の奥に、かすかな影が揺れたように見えた。
アルテリスもまた、何も言わず、その沈黙に寄り添う。
夕陽はゆるやかに落ち、窓辺の光は朱へと染まる。
静かな空間の中で、三人の影だけが細く、長く伸びていった。




