友達
「朝……」
新入生歓迎会翌日。
ジャミーラは、カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ました。
鉛のような上体を何とか起こし、目を擦る。
ジャミーラの髪は乱れ、瞼は薄ら腫れている。
「結局全然眠れなかったわね」
ムスタファ王子のこと、聖歌騎士のこと、そしてアルテリスのこと。
色々な事が一度に起きたせいか、気持ちが昂って、ほとんど寝付けなかった。
(殿下は自由にしていいって仰っていたけれど、お飾りでも婚約者を演じ続けるのなら、ある程度一緒に過ごした方がいいのではないかしら。放課後一緒に勉強をしたり、外出許可をいただいて街へお出かけしたり……あまり頻繁にお会いするとあの噂が真実味を帯びてしまうけれど、寧ろ噂を利用した方がお飾りであることを周りから悟られにくいのではないかしら。でも、事を荒立てると、殿下が想いを寄せている方にも誤解されてしまうかもしれないわよね)
などなど。
一晩考えに耽っていたお陰で、これからのことを前向きに考えられるようになっていた。
殿下と婚約している現状も、あれ程好ましくなかった噂も、昨晩までと違ってあまり気にならず、長年の重圧から開放された様に心が軽い。
加えて、ジャミーラは新しい遊びを発見したような心持ちで、楽しいとさえ感じるようになっていた。
(いずれにしても、今後の過ごし方について殿下とお話しなければいけないわね。その足で、騎士団を見学させていただけないか、殿下にお伺いしてみようかしら。でもその前に…)
ジャミーラの脳裏にアルテリスの顔が浮かぶ。
正直気まずいと思う一方で、彼に直接会って話をしたかった。
「やっぱり、放課後、図書館に行ってみようかしら」
最終的に会わないという選択肢がないのなら、早いうちに会う方が良いだろう。
そのためにも、放課後までに彼に話すことをまとめておかなければ。
(って、まずは支度しなきゃ)
考え始めては切りがない。
ジャミーラは何とか思考を止め、布団から出ることにした。
⚜️⚜️⚜️
「いないわ……」
放課後、ジャミーラはいつものように図書館を訪れて、アルテリスを探した。
入口から奥の方まで、居る人居る人を隈無く確認する。
しかし、いつも居るはずの彼の姿は、何処にも見当たらなかった。
「まだ来ていないのかしら」
彼は、放課後必ず図書館にいたので、今日も来ると思うのだが。
「目的を果たしたから来ない、なんてことはないわよね」
彼にとって、放課後図書館にいることも、自分と過ごすことも主の命令に過ぎなかったのかもしれない。
そんな悪い想像が頭を過ぎる。
「シャマル様」
ジャミーラが落胆していると、後ろから馴染みのある声が聞こえた。
「アルテリスさん」
思わず声の調子が上がってしまった。
蟠りなど嘘のように、ジャミーラの顔に自然と笑みが浮かぶ。
対するアルテリスは真剣な面持ちで、深々と頭を下げた。
「シャマル様。改めまして、ランデュート王国第二王子ムスタファ・ランデュエル殿下の側近を務めております、アルテリスと申します。この度はシャマル様に不愉快な思いをさせてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」
細部まで洗練された身のこなし。
彼の謝罪を受け現実に引き戻されて、ジャミーラはもう一度アルテリスに会ったら伝えようと思っていたことを思い出した。
正直に話すべきか、否か。
一呼吸置いて、
「わたくしね、貴方と過ごす時間が楽しかったのよ。わたくしにもお友達ができたようで、嬉しかった。貴方もそう思ってくれていると、期待していたわ。でも、貴方が殿下の側近とわかってから、貴方は違う気持ちだったのかもって、貴方のことを信じたのはわたくしの勝手だけれど、騙されていたのかもって、すごく傷ついたの」
色々悩んだ末、ジャミーラは自分の思いを正直に伝えることにした。
ジャミーラはアルテリスの顔色を伺いながら、ゆっくりと続けた。
「だから、もし貴方がわたくしに本当に申し訳無く思っているのなら、ひとつだけお願いを聞いてくださるかしら」
「何でございましょう」
ジャミーラは手に汗を握りながら、
「わたくしのお友達になってくださらない?」
それは、ジャミーラの人生で最も勇気のいるお願いだった。
アルテリスは、驚いたように目を見開いた。
「わたくしね、貴方のこと本当にお友達だと思っていたの。そして、これからもそうであって欲しいと思っているの。だから、わたくしと、お友達になって欲しいの」
「それは」
アルテリスは言葉に詰まった。
しかし、何かを決したようにジャミーラをしっかりと見据えた。
「いたしかねます」
瞬間、ジャミーラの心臓が跳ねた。
ジャミーラが何かを言う前に、アルテリスは続けて言った。
「私はあくまでシャマル様のご婚約者、ムスタファ殿下の側近です。貴族でさえありません。ですから、シャマル様に友人として接することはできません」
ジャミーラとアルテリスは、同じ学園の生徒である以前に主君の婚約者と側近。そして貴族と平民。
ジャミーラは同じ学園の生徒であることを優先したかったが、彼は身分を優先して線を引いていた。
自分の立場を弁えること。それは社交界では賞賛に値することのはずなのに、それがすごく悲しかった。
「それは、そうかもしれないけれど」
ジャミーラは、言葉を紡ぐことが出来なかった。
どうにもできない自分がもどかしかった。
「シャマル様」
ジャミーラが黙っていると、アルテリスは耳を疑うお願いをしてきた。
「もし宜しければ、私ではなく、殿下のご友人になって差し上げてくださいませんか」
「え」
婚約者に友人とは。ジャミーラは怪訝な顔をした。
「殿下には敵が多いのです。味方だと信じていた者から命を狙われることさえあります。そんな境遇ですから、殿下は滅多に他者を信じません。信じられる者がほとんどいないのです。それは当たり前のことではありますが、一方で、殿下のお傍に心から信じられる者が一人でも多くいればと、私はそう思うのです」
アルテリスの顔は、少し悲しそうだった。
ジャミーラは、彼の話を静かに聞いた。
「夫婦は戦友であるとも言われます。政略結婚であっても、殿下には心を許せる相手と結婚していただきたい。誠に勝手ながら、ジャミーラ様には、殿下とそのような関係になっていただきたいと願っております」
(そう言われても、ね……)
ジャミーラは、新入生歓迎会の時のムスタファ王子とのやり取りを思い出す。
ジャミーラとムスタファ王子は、偽りの婚約者同士になった。
アルテリスはムスタファ王子の側近だが、
(もしかして、殿下と私の契約について、殿下から何も聞かされていないのかしら)
アルテリスの発言は、ジャミーラとムスタファ王子がいずれ本当の意味で番になると思い込んでいる様だった。
契約どころか、ムスタファ王子に想い人がいることすら知らない可能性もあるかもしれない。
ジャミーラは、確証が得られるまで契約の事をアルテリスには話さないでおこうと誓って、
「わかったわ。但し、私のお願いも聞いてね」
「それは」
アルテリスの言葉を遮って、ジャミーラは首を振った。
「友人でなくてもいいわ。でも、親しくして欲しいの。せめてふたりの時だけでも、今までの様に接して」
アルテリスは悩んでいた。
ジャミーラはそれ以上捲し立てることはせず、アルテリスの返答を待った。
「かしこまりました。では可能な限りお望みのようにいたします」
「ありがとう」
アルテリスは優しく微笑んだ。
ジャミーラの顔にも笑みがこぼれる。
「アルテリスさんのこの後のご予定は?」
「殿下の護衛に戻る所存です」
「そう。では放課後にアルテリスさんと過ごすのは難しそうね」
ジャミーラは残念そうに言った。
「あの。宜しければ、殿下とご一緒に自習されるのはいかがでしょうか」
「殿下と?」
「ええ。私も参りますし、殿下との親睦も深まるかと」
ムスタファ王子とジャミーラの距離を縮めようと計らうアルテリスに、ジャミーラは苦笑いした。
(この様子だと、最初は3人で、途中から殿下と2人きりにされそうね。殿下とこれからの立ち居振る舞いについて話し合いたいし、彼が契約について何も知らないのなら、私にとってもその方が都合がいいのだけれど)
ジャミーラは少し複雑な面持ちだった。
「わかったわ。では殿下のところに案内してくださる?」
「かしこまりました」
そうして、ジャミーラは、アルテリスに従って図書館を後にした。