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契約

漆黒のコートを身に纏う主君ムスタファ・ランデュエル殿下と、薄紫色のドレスに身を包む婚約者ジャミーラ・シャマル姫君。

ダンスホールの中央で舞うふたりの幻想的な姿を、アルテリスは壁際に立ちながら遠目に見守っていた。


美男美女。

傍から見てもお似合いなふたりだと思う。

いつもは悪魔の民族だなんだと非難している令息令嬢達も、今回ばかりはただ見惚れているようだった。

喜ばしいことのはずなのに、何故か少し複雑な気分だ。


「よお、アル。踊らないのか?ご令嬢達がお前と踊りたそうにしてるぜ」


感慨に耽っていると、ライルがずかずかとやって来て声をかけてきた。

横目に見ると、両手に飲み物を持ってにやにやしている。

彼の口の端にはお菓子の欠片が付いていた。

随分とパーティを楽しんでいるようだった。


「私はムスタファ殿下の側仕えですから」

「お堅いねぇ。お前も生徒なんだし少しは楽しまないと損だぞ。ほれ」


アルテリスの真意を知ってか知らずか、ライルは意気揚々と片方の飲み物を差し出す。


漆黒の髪に深紅の瞳、色黒で体格の良い青年。

ライル・イルハン。

彼はランデュート王国イルハン侯爵の次男である。

同じムスタファ殿下の側近でも貴族と庶子。

彼とアルテリスとでは身分が違うのだ。

そう思いながら、彼の好意を無下にすることも出来ずに、アルテリスは渋々飲み物を受け取った。


「おふたりの様子はどうだ」

「良い雰囲気だと思います」

「そうか」


飲み物を口にしながら、2人並んで主と婚約者の踊りを見守る。

主と婚約者の踊る姿は、本当に綺麗だと思う。


「甘いな」


曲が終盤に近付く中、ライルのぼそっとした呟きが聞こえてきた。


⚜️⚜️⚜️


曲が終わり、ジャミーラはムスタファに連れられて庭の一角へ移動した。

人気はなく、講堂から微かに音楽が聴こえること以外、ひどく静かなところだった。


噴水のそばまで行って、ムスタファが振り返る。

同じ深紅の瞳と目が合った。

一呼吸置いて、


「失礼を承知で申し上げます。私は貴殿を愛することはできません」

「え……?」


突然の告白に、ジャミーラは言葉を失った。

まさかそんなことを言われるとは思いも寄らなかったので、理解するのに大層時間がかかってしまった。


ジャミーラとムスタファの婚約は、ふたりが物心つく前から決められていたことだった。

そしてジャミーラは、ムスタファの妃となるべくその修業に人生の大半を捧げてきた。

だから、例え今日が初対面であっても、この仕打ちには堪えるものがあった。


「理由をお伺いしても宜しいでしょうか」


ジャミーラは敢えて視線を逸らさず、毅然と尋ねた。


婚約者を追いかけてきたという噂のせいだろうか。

それともアルテリスから何か聞いたのだろうか。

しかしアルテリスの前で評価を落とすようなことはしていないはずだ。

では何故。


色々な考えが脳裏を巡る。そんなジャミーラの思考を他所に、


「私には想い人がおります」


ムスタファはきっぱりと、そう告白した。

向かい合う深紅の瞳はとても真剣だった。


「そう、ですか」


どんな理由より納得のいく答えだと思った。

ジャミーラは、自身でも驚く程酷く冷静だった。


「では、殿下のお話とは、わたくしとの婚約を破棄したいというお話ですのね」


尋ねながら、ジャミーラは難しいかもしれないと思った。

ムスタファとジャミーラの婚約は、王家とシャマル一族が決めたことだ。本人達の意向がどうであれ簡単に破棄できるものではないだろう。


「いいえ。姫には婚約を破棄せず、表向きは婚約者として振舞っていただきたいのです」

「は?」


ムスタファが余りにも失礼極まりないことを言うので、ジャミーラも思わず失敬な態度を取ってしまった。

だが、ムスタファはそれを気にする様子もなく続けた。


「承諾していただけるのであれば、それ以外は姫の好きにしていただいて構いません。何不自由のない生活をお約束いたします」


ジャミーラは不快感を隠し切れず、


「仰っている意味が分かりかねます。想い人がおられるのであれば、私との婚約は破談にして、正式にその方と婚約なさればいいのでは?」


冷たく言い放った。


「それは、残念ながら出来ないのです」


ムスタファは肩を竦めた。

その理由を、ジャミーラは一つだけ思い当たった。


「もしかして、その方は貴族ではないのですか」


返答はない。それはつまり肯定だった。

ジャミーラとの婚約を破棄しないのは、いずれはジャミーラと結婚してその方を愛人として迎えようという魂胆だろう。

貴族社会において夫が正妻を愛さず、愛人をもつのはよくある話だ。寧ろ愛のある結婚生活の方が珍しいのではないだろうか。

ジャミーラもそうなる可能性を覚悟していた。でも。


実際に自分の身に降り掛かかるとなると、虚しいものね。

彼を愛していないのが不幸中の幸いかしら。


「この提案は、姫にとっても悪くない話だと思います」

「わたくしにとってもですか?」


何故そう言い切れるのだろうか。ジャミーラが怪訝な顔をしていると、


「姫は、聖歌騎士に憧れておられますね」


何故それを、と言いかけて、


「アルテリスさんに伺ったのですね」


ジャミーラはアルテリスとのお茶会を思い出した。

聖歌騎士とは、歌によって女神アウロラの愛や栄光を称え、その対価として与えられる加護によって魔を祓う騎士のことだ。

王子の婚約者だから到底叶えられないと、胸にしまい込んだはずの夢。

誰にも言ったことは無かったはずだ。ついこの間までは。


「今、私との婚約を破棄すれば、姫はこの学園に留まる理由を失います。他の者と婚約し、聖歌騎士について学ぶ機会は、二度と訪れなもしれない。しかし私の婚約者でいれば、姫はこのまま聖アトランティス学園に残り、姫の望む教育を受けることが出来ます」

「それは」


確かに一理ある。

実際、婚約者であるムスタファ王子がこの学園に在籍していなけば、ジャミーラの留学は許可されなかった。

もし学園外の貴族と婚約することになったら。

婚約して間もなく結婚することを望まれたら。

現状、彼の提案がジャミーラのためにもなることは、否定できなかった。


「先程も申し上げましたが、社交界のみ婚約者としての役割を果たしてくださるのであれば、それ以外は自由にしていただいて構いません。聖歌騎士を目指されるのであれば、見習いとして騎士団の入隊試験受けいただくのもいいでしょう。私も騎士団の一員ですから、姫の望みを叶える手助けをいたしましょう」


ムスタファの言葉は、悪魔からの甘い誘惑のようだった。

勉強するだけでなく、入団試験まで受けていなんて。

もしかしたら、本当に聖歌騎士になることが出来るかもしれない。


「殿下は、私が聖歌騎士を目指すことを反対なさらないんですか」

「姫の人生は姫自身のものです。好きにされればいい」


恐る恐る尋ねたジャミーラに、ムスタファはきっぱりと告げた。


「世間からどの様に言われるか」

「悪評なら、既に数え切れないくらいございます。これ以上増えたところで気にはいたしません」


ジャミーラの不安を吹き飛ばす程、ムスタファの考えは明白だった。


本当に、望んでもいいのかしら。


ふと、ジャミーラの脳裏にアルテリスの顔が浮かんだ。

ムスタファは契約を成立させるために、こちらにとっても都合のいい条件を前もって用意してきたのだろう。

アルテリスは、主のための情報収集のつもりで自分と接してしたのだろうか。

彼とは良い友人に慣れたと思ったのに、そう考えると、何とも複雑な気持ちになった。


「殿下のお話はとても魅力的ですわ。順調にことが進めば殿下の望みもわたくしの望みも叶うことでしょう。しかし現実は、言葉に言い表せない程、非常に厳しい道程です。それでも、殿下はこの道を選択されるのですか?」


ムスタファは頷いた。


「少しでも可能性がある限り、私は行動するつもりです。行動しなければ出来るものも出来ないままですから」


ムスタファの言葉と紅の瞳には、意志の強さが感じられた。

彼にここまでさせる想い人は、一体何処の誰なのだろうか。


「殿下は本当にその方を愛しておられるのですね」


ジャミーラは、ムスタファの想い人を正直少し羨ましいと思った。

自分もいつか、これ程思ってくれる人に出会えるだろうか。


「かしこまりました。その契約、お受けいたしますわ」


この選択が吉となるか凶となるか。

ジャミーラは今度こそ、諦めかけた夢のためにできる限りの努力をする決意を固めた。


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