婚約者
ダンスホールの中央で、音楽に合わせて優雅に舞う男女。
ランデュート王国第二王子ムスタファ・ランデュエルと、その婚約者ジャミーラ・シャマル侯爵令嬢。
まるで童話に出てくる王子と姫のような美しい一幕に、周囲の生徒たちはランデュートへの悪評すら忘れてうっとりと目を奪われていた。
──しかし、その当のジャミーラは。
(……あの子は、どこにいるのかしら)
婚約者と踊っているにもかかわらず、頭の中は黄金の髪の美少年──アルテリスのことでいっぱいだった。
視線はつい、会場の端々を探ってしまう。
(まさかムスタファ王子の側近だったなんて……)
お茶会の日。
主君について尋ねたとき、アルテリスは「今はまだ」と口を濁した。
隠していた理由は何だったのか。驚かせたかったのか、それとも──。
(……もしかして私を探っていた? 婚約者として相応しいかどうか、見極めるために?)
あり得ない話ではない。噂も絶えない身分なのだから。
胸の内には、確認したい思いが静かに渦巻く。
そのとき、壁際に立つ黄金の髪が視界に入った。
(……やっと見つけた)
誰にも話しかけられず、壁の花のように静かに佇むその姿。
整った容貌がひときわ目を引き、数名の令嬢がそわそわと彼を伺っている。
しかし従者としての毅然とした空気が近寄りがたくしているのか、誰も声をかけられずにいた。
一方で、近くにいた男子生徒たちは露骨に面白くないという顔をしている。
その視線は敵意すら感じるほどで──
(……あぁ。これも、彼がいじめられていた理由のひとつなのね)
と思わず納得してしまう。
「彼が気になりますか」
突然の声に、はっと我に返る。
今はダンスの最中。しかも相手は婚約者であり王子である。
他の者を探すなど、本来は許されない無礼だ。
「申し訳ございません……」
「構いません。──アルが気になりますか?」
「アル……?」
「アルテリス。彼の愛称です」
なるほど、とジャミーラは目を瞬かせた。
愛称で呼ぶということは、それだけ親しいという証だろう。
「仲がお宜しいのですね」
「何故です?」
「でなければ、愛称は使わないものですわ」
「……それもそうですね」
ふ、とムスタファの表情がわずかに柔らかくなった。
悪魔の異名を持つ王子だが、こうして間近で見ると確かに魅惑的な美しさがある。
「アルテリス様とは度々お会いしていましたのに、その頃はまだ殿下の側近とは知らず……。
先程それを知って、とても驚いてしまいましたわ」
ジャミーラが正直に告げると、王子は少し目を細めた。
「そういえば──まだお礼を申し上げていませんでしたね」
「お礼……?」
「アルを助けていただいたとか」
「いえ、とんでもないことでございます」
従者を気にも留めない貴族は多い。
そんな中で、王子から感謝の言葉を向けられるとは思わず、ジャミーラは胸の奥がわずかに温かくなるのを感じた。
(……優しい方なのね)
この婚約で得たものより失ったものの方が大きかった。
だからこそ、あまり喜ばしい縁だと思ったことはなかった。
しかし、今は少しだけ──この婚約を前向きに考えてもいいかもしれない。
そう思いかけた瞬間。
「実は……貴女にお話ししなければならないことがあります」
ムスタファの表情が一変した。
先ほどまでの柔らかさは消え、深い影を落としている。
胸の奥がざわりと揺れる。
「……何でしょう」
「場所を変えて、お話しても?」
「……ええ」
ちょうど曲が終わり、互いに礼を交わす。
ジャミーラは静かに王子の後に続いた。
──このあと、自分の人生を揺るがす“あの話”を聞くことになるとは、まだ知る由もなく。




