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ゲロゲロ系彼女が吐いてしまいました

作者: 前川 千歳
掲載日:2023/09/24

 中野(なかの) (かなで)は昔からよくゲロを吐く女だった。僕が初めて彼女が吐いた所を見たのは、幼稚園の頃のバス通学の時だった。車酔いしやすかったのか叶は朝食を嘔吐した。米と味噌が混じった酸っぱい激臭がバス中に広がったことを当時隣に座っていた僕はよく覚えている。その時同世代の幼稚園生に「ゲロ女だ!」と罵られる彼女をみて生まれて初めて哀れみという感情をおぼえたのだった。

 小学校に上がってからも彼女は事あるごとに吐いた。体調が悪い時、給食で嫌いな食べ物が出た時、体育の時間に走りすぎてバテた時...。その場面は数えきれない。今思えば彼女はすぐにモノを吐いてしまう病気だったのかと思う。同じ幼稚園出身だった僕は、彼女が吐いた時の介抱役になっていた。叶の嘔吐を見慣れていた僕は彼女が吐き気を訴えるたびにいつもの事かと介抱に回った。自分で言うのもなんだが僕は彼女を吐かせるのがかなり上手かったように思う。

 嘔吐癖があるというだけで彼女は格好のいじめの的だった。僕自身、彼女とは仲が良かったがいじめを止められるような手段を僕は知らなかった。なんていうのは言い訳でしかなくて、結局自分が巻き込まれるのが怖かったのも確かだ。

 叶は繊細な人間だった。彼女は自分に向けられる嫌悪感に対して人一倍傷ついた。ゲロと一緒に弱音をよく吐いた。当時の僕にできたことは嘔吐する彼女の背中をひたすら擦ることだけだった。

 そんな日々を過ごしながらやがて僕らは中学生となった。叶は地元の同級生達とは別の中学校へ進学した。イジメが影響してたのは間違いない。

 それ以降彼女と会う機会はめっきりなくなった。大学に進学し、大人と呼べるような年齢になるまでは...。


 大学三年生の夏、小学校の面々で同窓会が開かれた。そこに叶も来ていた。数年ぶりの彼女は驚く程に垢抜けていた。芋っぽい印象があった彼女はいわゆる今どき女子に変身しており、元クラスメイト達にも親しげに話しかけた。誰もがその変わりように叶だと気づかなかった程だ。

 しかし同窓会が二次会に差し掛かり、彼女がハイボールジョッキを一気飲みした所で事件は起こった。叶の顔色が異常に悪くなったのだ。嘔吐一歩手前だった。僕はすかさず彼女にトイレに行くように促した。案の定、叶は便器に同窓会で食べたものを粗方吐き出した。僕は小学生の頃ぶりに彼女の介抱をする事となった。

「ごめんね...ごめんね...。」

 ゲロを吐きながら彼女は何故か俺に謝った。

「謝ることなんてないって。」

 僕はそう言いながら彼女の背中をひたすらさすった。まるで昔に戻った気分だった。同時に変わってしまったと思った彼女の少しも昔と変わらない部分を見て少しだけ嬉しくなった。

 僕らは同窓会の後連絡先を交換し、それ以来度々一緒に飲むようになった。飲み会に行く度に彼女は酔っ払い、そして吐いた。一度トイレまで間に合わず、店内で吐いてしまったことがあった。それ以来僕の家で飲むのが恒例となった。

 ある日いつも通り僕の家で叶と飲んでいる日の事だ。

「私さ、前まで好きな人がいたんだけど。」

 ひどく酔った様子で彼女は話し始めた。

「振られちゃったんだよね。なーんか重すぎるって言われてさぁ。」

 彼女は酒を飲むとよく愚痴を吐いた。しかし恋愛に関する話はこれが初めてだった。

「重すぎるって、一体何したんだ?」

「それがさぁ!LINEの返信がめっちゃ遅くてさぁ!」

 そんな彼女の話に何となく相槌を打ちながら僕は心の中に暗雲が立ちこめていることに気づいた。僕はその暗雲の正体が恋愛感情によるものだと気がつくまでそう時間はかからなかった。

「私ってやっぱ恋愛向いてないのかなぁ。」

 とため息をつく叶。すると段々と顔色が悪くなっていく。どうやらいつものパターンらしい。

「飲みすぎだって、ほらトイレ行くよ。」

 僕は彼女を抱えトイレへと連れていった。瞬間彼女の口から嘔吐物が流れ出す。 「おえぇぇぇぇぇぇぇ」という絶叫と共に今日食べたドロドロになったお好み焼きが吐き出された。

 あの酸っぱい匂いが狭い室内を満たした。嘔吐を繰り返す彼女の背中を優しく擦る。

 ゲロを吐きながらで叶は、

「寂しい」「辛い」「苦しい」「ごめんなさい」という言葉を繰り返していた。吐いている時に彼女が見せる「弱い部分」だった。

 粗方胃の中のモノを吐き尽くした。叶の口をトイレットペーパーで拭う。その様子はさながら赤ん坊の世話をする母親のようだった。

 僕は背中を擦るのをやめ、その手を頭へと移動する。よしよしと彼女頭を撫でた。

「?」

 彼女は少し驚いたような様子で僕を見る。そんな叶の目を見ながらこう言った。

「そんなに寂しいなら僕と付き合えよ。」

 幼少期から彼女を介抱して、その中に自分中で抱いていた感情が「恋」だと気づいた今、遠慮する理由はなかった。

「こんな私でいいの...?」

 彼女は弱々しくそう答えた。ずっと気づいていた事だが彼女は弱みを武器にするのが上手かった。彼女が魅せてきた弱い部分はいつしか僕を虜にしていたのだ。

「叶がいい。」

 そう僕は答えた。それが本心だった。

「えへへ...。」

 彼女はゲッソリしながらも可愛らしくそうはにかんだ。その日僕らは結ばれた。


 一つ不思議なことがあった。叶が別の中学校に進学してから僕と会わなかった間の8年間彼女は嘔吐感に襲われた時にどうしていたのだろう。一人で吐いていたのだろうか?いや、それは違うとはっきり言えた。


 なぜなら彼女は一人で吐くことができなかったから。


 誰かが介抱しなければ彼女は自分で吐くことができなかった。僕がそういう身体にしたのだ。彼女の吐き癖が小学生の間ずっと治らなかったのは僕がそうなるように彼女を介抱したからだ。

誰かが彼女を8年の間介抱していたという事実がそこにはあった。明日になったら叶に中学校時代の話を聞こう。そんな事を考えながら僕は叶を優しく抱きしめた。

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