第3話:現状確認して猫を助ける。
目覚めるとそこはベッドの上だった。水色のシーツの上で、胡坐をかいていた。窓からは暖かそうな陽光が差し込んでいた。
転生はどうやら成功したようだ。
周りを見渡してみても、まったく記憶にないものばかりだ。いま座っているベッドを含めて、置かれている本棚や机が新品であるかのように綺麗に見える。いや、家具だけではない。部屋自体もとても新品であるかのような印象を受けた。今世、いやもう前世か、前世では新築住宅なんて住んだことはなかったから、断言はできないが、新築なのかもしれない。
とりあえず、状況確認から始めよう。確かカグヤさんの話では、ガイドブックが用意されているとのことだったな。この部屋には見当たらないから、きっと別の部屋にあるのだろう。とりあえず部屋を出ようかと思った時、室内に置いてあったスタンドミラーをふと見て思わず声を上げてしまった。
「誰だ?これ?」
そのスタンドミラーには、ひとりの少年の姿が映し出されていた。その顔には、まだあどけなさが残るが、間違いなく「イケメン」に入る部類だ。しかも、中学生にしては身長が高く、スラッとしている。前世の面影はどこにもなかった。まあ、60歳のお爺さん顔のままで中学は入学できないか…。
それにしても、カグヤさんが言っていた補正とは、こういうことだったのか。容姿だけではなく能力にもと言っていたから、これはちょっと期待できそうだ。
新しい自分の姿に驚きつつも部屋を出た。
部屋を出ると向かって左手がすぐに玄関である。右へ進むとリビングに出るようだが、他にも部屋があるようだ。今世での新しい両親の部屋だろうか。もしくは兄弟もいるのだろうか…。向こうからすれば、私は昔から当然の如く「家族」なんだろうが、こちらからすればまだ「他人」だ。コミュニケーション能力に不安があるわけではないが、自然と家族として振る舞えるか少し不安だ。そんな不安を抱えながらも、誰かしらがいるであろうリビングの扉を開けた。
結論から言えば、誰もいなかった。リビングだけではなく、その他の部屋も確認したが、誰もいなかった。トイレも確認したが、誰もいなかった。ちなみに水洗式で、風呂とトイレは分かれていた。
とりあえず状況を整理しよう。
この家は俗に言う「タワマン」の一室らしく、高層階にある部屋のようだ。間取りは「5LDK」。前世では「1R」だったから、広すぎて落ち着かない。しかも誰もいない。そのことが余計に自身をそわそわさせた。
ちなみに部屋に置かれている家電や家具もそれなりに高そうなものばかりだ。前世で見たことのあるゲーム機も置いてあった。
これらから察するに、家庭の経済環境は悪くない、いや、かなり良いものなのだろう。あとは家族状況なのだが、誰もいないので、いまのところ確認のしようがない。
これからどうしようかと悩んでいると、リビングのテーブルに1冊の本と1枚の封筒が置いてあることに気付いた。封筒は何かわからないが、本はカグヤさんが言っていたガイドブックだろう。とりあえず、それらを手にしてソファーに座った。
ガイドブックの表紙には、「これで安心!特別転生者の歩き方」と書いてあった。ネーミングセンスの良し悪しはまあいいとして、決して厚くはないその本のページをめくり始めた。
小一時間ほど、そのガイドブックに目を通した結果、ある程度の情報を手に入れることができた。
私、いや俺の名前は、城田 悠真で、今年で白麟学園の中等部に入学する12歳の男子だ。白麟学園と言えば、国内でも名の知れた中高一貫校の進学校であったと記憶している。
ガイドブックによれば、いまは前世の俺が死んでから1年後の世界で今日の日付は、4月1日。ちょうど1週間後の4月8日に入学式が行われる。そういえば部屋にはその学園と思われる白を基調としたブレザータイプの制服が掛けられていたのを思い出した。
そして気になる家族の情報だが、両親のみ。前世同様、兄弟はいない。
父親は城田 誠治。貿易会社の社長をしており、ちょうど今春から事業の海外展開のために、しばらく海外に移住することにしたそうだ。当然、妻であり母親である雅美と息子である俺もそれに付いていく予定だったが、父親がこれを機会に一人暮らしをさせて自立させようと考えたらしい。中学生にそれは少し厳しい気もするが、いまの俺にとっては好都合だ。しばらく両親に会わずに自分のペースで過ごすことができる。
ガイドブックの備考欄に、父親の本音は、「本当は息子入らずで妻とイチャイチャしたい」みたいなことが書いてあったが、それは気にしないことにした…。もしかすると、これから兄弟もできるかもしれない…。
それはさておき、ガイドブックにはこれ以上の情報は書いてなかった。あとはこの封筒か。A4サイズの茶封筒が少し膨らんでいるのを見ると、書類以外の物も入っているようだ。
ガイドブックを置き、中身を取り出してみると、真新しいスマートフォンと銀行のキャッシュカード、そして小さな黄色い封筒が入っていた。おそらく手紙か何かだろう。スマートフォンとキャッシュカードは、これからの生活で必要になるだろうから助かる。おそらく生活費とかがこの口座に振り込まれるのだろう。
そんなことを考えながら、その小さな封筒の中を取り出すと、母親からの手紙が入っていた。内容は、何の変哲もない、息子の身を案じる手紙であった。健康に気を付けること、家の戸締りはしっかりすること、そして勉学を疎かにしないことが書かれ、最後に愛していると書かれていた。その直接的な言葉でもそうだが、直筆の手紙の一文字一文字から、息子への愛情をとても感じた。家族状況は良好のようだ。
手紙を読み終えると、テーブルに置いてあったはずのガイドブックはきれいにその存在が消えていた。いよいよ新しい人生のスタートかと強く思った。
―――――
新しい人生と言っても、とりあえず最初のライフイベントは「中学校入学」だ。白麟学園と言えば有数の進学校。前世の最終学歴が中卒の俺にとっては、若干不安になる。前世ではあまり勉強してこなかったから、最初は自室の机に上積みされていた教科書で予習でもしようかと思ったが、結局やめた。最初から力む必要はないと感じたからだ。せっかくの新しい人生。自分のペースで過ごそうと思った。
そういうわけで、いまは家を出て、外を歩いている。目的は家周辺の状況確認。スマホで学園の場所を確認したところ、徒歩圏内だったようなので、通学路を確認する意味も含めて、街をふらふらと歩いていた。
前世で住んでいた場所とは違って、このあたりの商店街は活気があって、自身をわくわくさせるものがある。おしゃれな喫茶店や美味しそうなパン屋など、前世では決して馴染みのなかった店舗が並ぶ。
―――――
「ミケちゃーん、おりてきて。こわくないからねー。」
時刻を確認したところ、ちょうどお昼時。どこかで弁当でも買って帰ろうかと思って歩いていた時だった。
少し広めの公園で、ひとりの少女が1本の木に向かって話しかけていた。何となく気になって、そちらの方へ近付いてみると、木の上にいる1匹の茶色の猫に向かって声をかけているようだった。
「ミケちゃーん。お願いだから、おりてきて。こっちだよ。」
おそらくあの猫は怖くて下りられないのだろう。細い枝をギュッと掴んで「にゃぁ~」と心細さを表すような声で鳴いている。
何とかしてやりたいけど、結構高いところにいるなあ…。前世の運動神経は決して良くなかったから、木登りなんてできない。だけど、今世は補正がかかっているって言っていたし…。もしかしたら…。
そう思い、その木を登り始めた。いきなり現れた自分に、その少女は先程まで呼び続けていた掛け声をやめてしまったようだが、気にせず登り続ける。身体が軽い。運動神経も結構補正がかかっているようだ。
そんなことに少し感動している隙に、その猫の近くまで登ることができた。これ以上進むと、枝が折れて、猫と一緒に落下してしまうだろう。だから、ここからできるだけ優しい声で「こっちだよ。」と猫を呼んだ。
―――――
「ありがとうございました!」
あの後、ミケと呼ばれていた猫は、勇気を振り絞ったかのように、こちらに向かってきた。それを逃がさず捕まえ、無事に飼い主と思われる少女に引き渡すことができた。
「いえいえ。猫が無事で良かったですね。ミケちゃーん、もう高い所に登ったらダメだよ。では私はこれで。」
「えっと、何かお礼を…。」
「いやいや。このぐらいどうってことありませんよ。」
相手の少女は私と同じぐらいの年齢で、ポニーテールが良く似合う可愛らしい少女だった。
「それではこれで。ミケちゃんもバイバイ。」
「いや、あの…。」
少女の言葉を遮るようにして、その公園を後にした。
そういえば、相手が少女とはいえ、女性の人と話したのは何年振りだろうか。前世では当然の如く女っ気がなかった人生だったから、自身のコミュニケーション能力に少し驚いている。もしかして、これにも補正がかかっているかもしれない。
そんなことを考えながら、お弁当を無事に買って帰宅した。
読んで下さり、ありがとうございました。