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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
魂の悪魔契約
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20

 空中に浮かぶヨルの右腕に抱えられながら響司はビルを見下ろした。四階と五階だけガラスが割れて炎が漏れ出している。炎色反応をさせたような紅色の炎の中、紫の輝きを放つ炎が四階から響司を睨みつけていた。


 ――もう嫌だ。

 ――痛い! 助けて!


 響司の耳が『烙炎』の内側から聞こえる魂の音を聴きとった。


「ヨル、僕は『烙炎』に食べられた人を解放したい。人を傷つけて喜ぶ悪魔が許せない。だから、手伝ってくれない?」

「再契約のときは命令したクセに、こんな時は願いか」


 タキシードを着た黒兎は呆れたように鼻を鳴らした。


「ダメかな?」

「自分の身体を見てから言え、大馬鹿者」


 黒兎となったヨルの姿ばかり見ていた響司は自分の手を眺めた。身体の輪郭はぼやけて、二重になりかけていた。肉体と魂の乖離が始まろうとしているらしい。


 一緒に戦うことは出来そうになかった。


「肉体が弱ったところで、ワシの召喚なぞするとは、死ぬ気か?」


 口では響司を小馬鹿にするヨルだったが、目は笑っておらず、『烙炎』をまっすぐに見据えていた。

 

「『烙炎』は喰らっておかねばワシの気が済まぬ。『ライゼンの悪魔』と呼ばれていたプライドの問題じゃろうな」


 ゆっくりと炎の海となっている四階へと、ヨルと響司は近寄っていく。


「なんでクソ兎が召喚されてんだよ! ありえねぇ!」


『烙炎』の怒号に感化され、炎が力強くうねった。激しい熱風に響司は目を開けているのが辛くなり、瞼を使って、薄く目を開ける。


「耳障りな声と音だのう」


 ヨルが四本ある左手の爪の一つで、垂れた右耳についている金色の鈴をはじいた。


 からん、と一回鳴った鈴を中心に炎がビルの中へと押し返されていく。押し返された炎は結界とは違う見えない球状の何かに遮られているようで、侵食してこない。


 割れた大きな窓ガラスからヨルは炎の無くなったビルの四階へと着地した。響司を優しく下ろし、響司の右腕に向かって囁きかける。


「キョウジの魂が安定するまで守れ。よいな」


 右腕の黒紐が伸びてきて、軍人が上官にむかって敬礼をするように、紐の先端だけ鋭く角度をつける。


 響司はというと、まだ身体の痺れが残っていて立っているのがしんどくなってその場で腰を下ろした。炎で熱を帯びていた石材タイルで尻を焼かれると考え、再度立ち上がったが、熱はズボン越しにまったく伝わってこなかった。手で床に触れると、秋の夜風に当てられた後かと思うほど熱が奪われていた。


「召喚者の能力と適正にあった奴しか召喚できねぇはずだ! 『夜兎』と『欲無し』だぞ!? 仮に条件をクリアしても同じ悪魔が出てくることなんて万に一つもねぇはずだ!」

「そうだな。貴様の言うとおりじゃ」


 ヨルの再召喚でパニックになっている『烙炎』にヨルはゆったりと余裕をもった肯定をする。


「だがのう。小僧の描いた陣はライゼンの御手製の召喚陣でのう。ワシしか呼べぬし契約出来ぬ欠陥だらけの陣なのだよ」

「なんだよそのデタラメな召喚はっ! また召喚されるってわかってたな、クソ兎ぃ!」

「微塵も思っとらんかったよ。なにせワシが消えたことでキョウジからワシに関する記憶が消えておったはずだ。だからワシは後悔しておったのだがのう。のう」


 地団太を踏む『烙炎』をよそに、ヨルは意味深に響司を見つめていた。


 座ったままでまともに動けない響司は口だけ動かす。


「記憶は無くなってたよ。でも、何かを忘れてるって違和感だけはあった」


 ヨルを『足長おじさん』として認知していた記憶を心のどこかが受け入れていなかったのかもしれない、と響司は頭の中で整理していると、響司の左頬にグリグリと右腕の黒紐が体当たりをしかけてきた。


「なんで攻撃してくるのさ」


 言いたいことがあるのか黒紐は響司の目の前で踊って見せるが、まったく意味が分からなかった。


 動く黒紐の奥で、紫の複眼が睨みつけてきている。そして、何がおかしかったのか高笑いを始めた。


「そうかそうかそうかぁ! 『夜兎』の呪いかっ。『夜兎』の力で呪いをかけられた玩具だけ、消えるはずの記憶がすぐに消え切らなかったのか!」

「なるほど。それがキョウジの言う違和感の正体か」


 うんうん、と何度も黒紐が頷く。


「あぁ、スッキリしたぜ! そして『夜兎』を再召喚してくれて、ありがとさん」


 言葉だけの礼の後、『烙炎』の身体を形成する炎が紅色から紫に変わった。炎の広がりも大きくなり、背中から(はね)が四枚生えた。


「――今度は壊す順番を間違えないぜ!」


『烙炎』が一直線に響司を目掛けて飛び込んでくる。ただ目的の場所であるはずの響司の前に『烙炎』が辿り着くことはできなかった。


 響司と『烙炎』の間、黒い兎がいる。


「壊せやせぬよ。ワシがおるのだからのう。のう!」


 ヨルは獣の右手で『烙炎』の首根っこを掴み、壁に押し付けた。


『烙炎』はヨルに捕まっているにも関わらず、不敵に笑う。


「いいのかよ、あの『欲無し』死にかかってるのに本性晒して、本気で戦ってよぉ。また契約者の力を吸い取って殺しちまうんじゃねぇか?」


 挑発的な態度をとる『烙炎』をヨルは左の爪で切り裂く。炎の身体を持つ『烙炎』は形を自由に変えて、ヨルの拘束と攻撃を同時に躱した。


「なに、心配なぞいらぬよ。ワシ、まだ契約しとらぬ(・・・・・・・・)からのう」

「契約なしだと!? テメェの象徴であるハープもさっきの戦いでボロボロのはずだ! そんな状態で力を使い切ったら『闇』にすら還れねぇ。本当に完全の消滅だ! わかってやってんのか『夜兎』!」

「言ったはずだ。この戦いが終わればワシは消えるつもりだと!」


 ヨルが両手から黒い糸を出した。時に鞭のように、時に糸を編んで盾を作る。


「たかだか人間(エサ)のために消えるのかよ! つまんねぇ存在だな!」


『烙炎』は灰に変える紫の火球と近距離戦でヨルを追い詰めようとする。


(なんで僕は何も出来ないんだろう)


 身体の痺れは取れた響司は魂と肉体が分裂した自分の両手を見て、床を右手で思いっきり殴った。乖離した身体には痛みを感じるのに時間差があるらしく、右手に痛みがじんわりと広がって、ピークに達するのは一瞬だけだった。


(黒紐くんがいれば結界も退魔の陣も使える。使えるけど……多分、僕は死ぬ)


 病院で聞いた智咲の魂鳴りを思い出す。糸の切れていく音。魂に欲が無くなり、活力を失っていく悲しい音。


 ヨルが響司の欲を具現化させたとき、糸一本だった。切れたら終わりの細い細い欲。魂が乖離せずに意識を保っていられるのは、その一本の糸のおかげ。


(死にたくない。でも、ヨルに消えて欲しくない)


 ――それで良いではありマセンカ?


 黒紐からグラムの声がする。ビルから落下したときも聞こえた。


 ――欲トハ独善的で良イのデス。押し殺さないでクダサイ。


「グラムなの?」


 黒紐は首を横に振った。


 ――ただの残滓。ただのユメマボロシ。でも確かにあった想いデス。


 右腕に巻き付いていた紐が解かれながら、響司の手のひらに集まる。黒紐を構成していた黒い糸が違った形を勝手に創り出していく。


 最後の糸が硬く結ばれ、響司の手の中で生まれ変わった。それは響司が知っているモノと酷似していた。


「グラムの、柄……?」


 剣の悪魔・グラムが腰に差していた剣の柄だった。ただ空色だった柄は構成しているものが違うせいで漆黒の柄になっている。


 ――セツナ様は誰のために生きているのデスカ?


 グラムの声で問われる。だが、響司にその答えはない。


 ――セツナ様は何のために生きているのデスカ?


(わからないんだ。誰とか何のためとかそういうの。だから探してた。でも、見つからなかったんだ)


 ――デハ、大切なモノは何デスカ?


 唯一、響司の中にその質問に対してだけ答えは存在した。


(こんな死んでばかりの僕と関わってくれた人たち。もちろんヨルもグラムも含めてだけど)


 家族も大切。友だちも大切。それが人間か悪魔かはどうでもよかった。ただ、自分がそこにいていいんだと再確認できる場所だった。


 居心地のいい場所を求めていた。一人で退屈しのぎをしても得られないその場所を必死に探していた。

中でも、ヨルの傍は居心地がよかった。


 初めは居心地のいい理由がわからなかった。でも、悪魔のことを知った今なら分かる。大切な人を失い、壊れたまま存在している似た者同士。合わせ鏡のようだけど、少しだけ違う。だから、人と悪魔の垣根を越えて、わかってしまうのだ。


「一人にされるのは、寂しいよね」


 パイプオルガンの鍵盤が叩かれた。メロディもリズムもへったくれもない荒れ狂った音が響司の中で暴れまわる。


 智咲が欲を取り戻した時は美しかったのに、あまりにも不細工すぎて笑えてくる。


 ――もう一度、問いマス。セツナ様は誰のために生きているのデスカ?


「知らないよ。だって死にたくないだけだもん」


 ――何故、死にたくないノデスカ?


「孤独をどこかに感じたまま死にたくないんだ」


 母親が病院で息を引き取ったあの時からずっと感じていた。ずっと囚われていた。大切な人を失うのが怖くて、関わりが深くなるのが怖くなった。


 だから一人で退屈しのぎをしていた。


 最近は一人と一体だった。その一体は大切な存在になった。


「また僕は失いたくないよ。奪わせない。誰にも」


 荒れ狂うパイプオルガンは表情を変えた。優しい音色を奏でて、響司の身体を柔らかく包み込む。


 乖離しかかっていた身体は一つになり、床を殴った右拳が痛みを継続的に響司に伝えてくる。


「黒紐くん――じゃないね。グラム、僕にまた力を貸してくれないかい?」


 漆黒の柄が細かく震える。


 ――御供致しマス。セツナ様への恩返しがまだナノデ。

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