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「ここまできて部外者はないんじゃない?」
火傷をしている高塚と意識のない千佳を黒紐で運んでいる響司が口を出しながら逃げ道を探す。
唯一場所の分かるエスカレーターの付近は炎が一番広がっていた。化粧品やアロマ関連のショップの看板が目に入る。爆発音さえ聞こえてくる。
エレベーターも見えているいるが、動いているとは到底思えない。
天井にぶら下がる一枚の非常口の文字と矢印の書かれたプラ板が確実な逃げ道を教えてくれていた。
「つべこべ言わずに走れ、小僧!」
「なら護衛よろしくね」
天井にある非常口の文字を頼りに走っている響司の横にぴったりとヨルがついて『烙炎』が放つ炎を何度も骨の左手で防いでいた。
炎や倒れた商品棚を避けて走ると、分厚そうな金属性の扉が二枚あった。
「あった、非常用階段」
辿り着いて安堵し、口元が緩む。しかし、開けようとしても、ドアノブと響司の手が水で濡れていて、滑ってしまう。
(ヤバいヤバいヤバい!)
焦ってドアノブをがむしゃらに回していると、響司が触っていなかった金属の扉が吹き飛んだ。ヨルが左手で押し込んで壊したらしい。
「行け。ワシがここで『烙炎』を抑えておく」
また背後からやってきていた火球をヨルが切り裂く。
ヨルの身体が『烙炎』の分身と対峙していたときよりも透けているように響司には見えた。黒紐に抱えられている二人を響司はちらりと確認する。
『烙炎』の相手はヨルに任せる他なかった。
「二人を逃がしたら、絶対に戻ってくるから。絶対に! だから消えないでよ!」
階段を早足で下りる。濡れて摩擦がまともに機能しない靴裏でこけそうになっても、スピードは落とさない。少しでも早く戻るために。
四階と三階の間を下っているとき、耳障りな電子レンジの音が足元から聞こえてしまった。
下へと目指していた足を止めて、周囲を確認する。
響司があと四段進んでいたら到達した踊り場から火器もないのに床から炎が現れる。炎は横ではなく縦に伸びて二メートルはある人型になった。
「逃がすわけねぇだろ?」
炎に顔があるはずがないのに、笑っていた。
「なんかいるー!」
響司は絶叫しながら、今度は階段を上って四階のショッピングエリアに逃げ込む。
五階のように火の手はまったくないものの、服や化粧品の容器がいたるところに転がっていた。邪魔なものはジャンプで飛び越える。
「コウ先は火傷してるし、ヨルは消えそうだし、『烙炎』の分身と出会うし……最悪!」
『烙炎』の魂鳴りが離れていかない。むしろ右から近づいている。
右の壁の中から炎の腕が手が見えた。
しゃがんでスライディングに近い状態で回避する。上の服が掴まれてしまった。服ごと焼かれてしまわないように響司は脱ぎ捨てる。
退魔の陣を黒紐に命令して作ろうとしたが、炎の手が壁に引っ込んだ。
「あの分身、ヨルが退魔の陣をすり抜けてやり過ごしたの絶対知ってるよね!?」
今度は背中にあった柱から魂鳴りがした。すぐに飛びのいた響司が背後を確認すると、柱から横向きになった『烙炎』がいた。
(壁の中からこっちは見えないはずなのになんで場所わかってるの?)
悪魔によっては目以外で感知している者がいると、グラムに向かってヨルが言っていた。まだそんな悪魔に出会ってはないが、ヨルは目も使うし耳も使う。別の方法で感知する悪魔が本当にいてもおかしくはない。しかし『烙炎』が特別な感知方法をもっているのかと聞かれたら、響司は力強く否定できる。
もし目以外の感知方法があるなら高塚の身体を取り返す途中でバレてしまい、高塚は未だに『烙炎』に身体を奪われたままだっただろう。
(おかしい。視えないのに分かるはずがないんだよ)
魂鳴りが聴こえるおかげで攻撃してくる方向を察知して逃げることはできる。ただし逃げれるのはショッピングエリアだからだ。狭くて逃げ道が一方的な非常階段で同じ攻撃をされたら、響司は即座に対応できるが、黒紐で持ち上げている高塚と千佳は独力で防御や回避をする術がない。
黒紐が伸びて、響司から距離をとってくれているから二人への対応策を考えなくていいだけだ。
(そういえば、分身って何体出せるんだろう?)
知っている限り『烙炎』が現れたのはヨルの戦いを見ていたときだ。ヨルと戦っていた二体。高塚にとり憑いていた一体。そして千佳にとり憑いているであろう一体。高塚にとり憑いていたのが本体だと仮定しても三体。
(足りない。今、一体足りない)
『烙炎』と響司はモグラたたきとは逆のような構図になっていた。その中で、響司は魂鳴りを聴く範囲を広げていく。ゆっくり、ゆっくりと。
天井に一つ――これはヨルと戦っている『烙炎』。
同じ階層の商品棚に一つ――僕を攻撃している分身。
非常用の階段から遅れて一つ――さっき階段で会った分身。
(僕の目の前にいるのは階段の分身じゃないんだ)
音は三つ。響司の認識しているのは『烙炎』の数は四体。数が合っていない。
「黒紐くん! 退魔の陣、準備」
黒紐の先端だけが伸びて自動で退魔の陣を描き始める。さっきの一回で記憶しているらしい。
「陣の対象は――清水さん!」
響司の言葉に反応したのか、千佳の目が大きく開いた。千佳の首元から炎が漏れ出て、黒紐を焼き切ろうとし始める。
抜け出そうとする千佳に対して黒紐は強く締め付け、完成した黒紐製の退魔の陣が千佳の眼前に設置された。
「静かにしてたみたいだけど、キミが僕の場所を教えてたんでしょ!」
すぐに陣を発動させようとすると、陣が直撃するのを避けるように紅い紅い火の球が千佳から抜け出していった。
響司を攻撃していた分身と階段にいた分身の音が上に上にと移動している。タネが見つかってしまって逃げたという感じではなかった。ヨルと戦ってる『烙炎』に音が集まっている。
上の階で電子レンジのような音は大きくなり、耳と頭に激痛を与えてくる。音だけで耳が焼け落ちてしまいそうだった。脳が熱で侵されるような気持ち悪さ。
――息がくるしいよ。
――助けて、もう解放して。
――熱いよ。喉が渇いたよ。
男も女も関係ない。悲痛を訴えかけてくる声が聴こえてくる。耳を塞いでもお構いなしに鼓膜を揺らしてくる。
響司はビルの中にいたはずなのに、足元に黒い大地が広がっていた。大地の上には炎の十字架がいくつも建てられており、人間が磔にされている。燃え尽きれば黒い塊になって、地面に落ちる。
肉が焦げる酷い臭いのする世界だった。
(この感覚……ドッペルゲンガーの時と同じだ……誰かの魂の中?)
黒い塊は勝手に一カ所に集められていく。日常的に見る炎とは明らかに色の違う炎が燃えていた。紅蓮の炎が楕円形の何かを守るように燃えていた。
燃えているものを確認しようとしても、響司に近づく足は無いらしく、動けない。
炎の中、新しい音が混じる。聞きなれたサイレンの音だ。
サイレンの音を聴いた瞬間、視界に濡れた床が現れた、ビルの中へと戻ってきたらしい。
「今のは……『烙炎』の? 早く、二人を逃がして戻らなきゃ。じゃないと『死んじゃう』……もう会えなくなっちゃう」
意識が安定しない中、非常階段を下りていく。
「誰か、誰か残ってないか!」
野太い男性の声がする。
さらに階段を下りていく一階に行くと、消防隊員と思われる男性が二名いた。
黒い紐が高塚と千佳を床に優しく下ろした。改めて高塚を見ると、背中の火傷で皮膚が見ていられないほど崩れていた。最後に少しだけ炎で火傷した千佳は首の後ろの方が少し赤くなっている程度だった。
「すみませーん。こっちに火傷してる人がいます! 助けてくださーい!」
響司が叫ぶと消防隊員二名がすぐさま駆けつけてくる。
一人の消防隊員が高塚と千佳の様子を確認して、もう一人の消防隊員が無線で外と連絡を取っていた。
「二人は意識不明。キミは大丈夫なのかい?」
「大丈夫です。二人をお願いします」
「キミも一緒に逃げるんだ」
腕を掴んでくる消防隊員の手を響司は払いのけた。
「上で僕たちを助けてくれた『人』が僕を待ってるんです」
また響司は非常階段を昇っていく。
「まだ誰かがいるなら我々が行くからキミは外で待っていてくれ!」
「嫌です。だってあの『人』は――」
響司は自分が話している内容に違和感を覚える。
(『人』? 誰だっけ? 名前……どんな姿してたっけ?)
助けてくれた『人』。最近一緒に行動していた『人』。忘れたくないと思っていたのに、記憶に霧がかかっている。見た目は背が高くて、夜空よりも黒いスーツが似合っていた。ちょっと口が悪い『足長おじさん』だった――はずだ。
(そういえば。お守りの――『預かっていた古い手帳』が燃えちゃったこと、後で謝らなきゃ)
生徒手帳と『預かっていた古い手帳』は同じポケットに入れたままにしていた。
『制服が火事の炎に飲まれてしまって』生徒手帳と共に置いてきてしまった。今頃は燃えて無くなっているだろう。
「待っててね『足長おじさん』」
――ほんの数秒の間に認識が狂ってしまっていることに響司は気付いていなかった。気付けるはずも、なかった。




