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『烙炎』に捕まった響司は徒歩で学校の外へと案内される。
歩き始めてから三十分。最寄りの駅を通りすぎて、オフィスビルの並ぶエリアへと足を踏み入れた。社会人なら学校側ではなく、こちら側に来るだろう。学生の響司が立ち入るのは稀だった。
「どこまでいくのさ」
「さぁな。特等席を探してるんだ。最高のショーは最高の席で見るべきだと思わねぇか?」
「ショー?」
「もうすぐわかるぜ」
高塚の身体に入っている『烙炎』はビルの前で足を止めては見上げて、また歩き始める。酷い猫背に大股で前を歩く『烙炎』。朝のホームルームで見た高塚は背をしゃんと伸ばして、ゆったりと歩いていた。
見た目が同じでも歩き方だけで別人とわかる。
缶コーヒーをビニール袋に入れたときは確か、高塚の歩き方だった。
(『烙炎』は多分、完璧に寄生した人間のフリができるんだ。魂鳴りも近づくまでわからないほど小さくできる。自分なら『烙炎』がどこにいるか分かるって、調子にのってた……)
ヨルとライゼンが苦戦していた理由が嫌になるほどわかる。人間も悪魔も欺ける能力。晴樹や彩乃のように響司と関係のあるを見つけ出す頭がある。粗暴な快楽犯ではなく、狡猾に一手を打つ。
「ココがいいか」
『烙炎』が立ち止まって、入っていったビルは女性向けのブランドや化粧品がテナントに入っているビルだった。他のビルよりも背が高く、六階からはオフィスになっているようだった。
ビルの自動ドアをくぐってすぐに化粧品と香水の混ざり合った異質な臭いが響司の鼻に入ってくる。
品の良さそうなマダムやベビーカーを押している女性。女子大学生のグループと思われる集まりが目に入る。
「上に行くぜ」
『烙炎』はズカズカとエスカレーターに乗った。
(『烙炎』の目を盗んで逃げるのは、コウ先の身体が大変なことになるかな。糸を切るタイミングもコウ先の身体を取り返してからのしないと……)
すぐに逃げるのを完全に諦めた響司は『烙炎』の後ろへ。
二階、三階とエスカレーターを昇っていき、一般人の立ち入れる五階までやってきた。
「エスカレーター普通に使えるんだね。ヨルはテレビとかスマホとか最近の機械のこと知らなかったよ」
「オレ様はとり憑いた相手の記憶を覗き見できるからなぁ。まったく、人間のクセに色々作り過ぎだ」
得意げに語った『烙炎』は響司の髪を鷲掴みにした。
「玩具の友人にとり憑いたからよぉ。前はわからなかったテメェの顔色がよく分かる。逃げれないのを悟ってる顔だ。賢いヤツは大好きだぜ」
『烙炎』は歯を見せて静かに笑いながら響司の髪を離した。寝ぐせ以上に髪が乱れてしまい、響司は軽く手櫛で直す。
「よく見えること、見えること。来いよ。まだ見れるぜ?」
手すりのある一面ガラス張りの壁の付近で『烙炎』人差し指だけを動かして待っていた。
何を見せたいのか分からないまま響司は『烙炎』の横に立つ。ガラスの向こう側には背の低い建物が見下ろせた。今まで歩いて方角とは九十度違う景色だ。
急に響司は後頭部を押さえつけられ、ガラスの壁に自分の顔が映る。腰にある金属の手すりがなかったら、ガラスを割る勢いでぶつかっていた。
「手前じゃなくて奥を見ろよ!」
言われるまま奥の景色を見る。建物と青空の境界線に動くものが三つ。
赤い二つの塊が黒い塊を囲んでいた。黒い塊は骨の腕で赤い塊を切り裂いていた。
「ヨル!?」
「そうでーす。クソ兎と悪魔にとり憑いたオレ様の分身が戦ってまーす」
漆黒のヨルの身体が時折透けて、水色が混じる。ドッペルゲンガーと戦った後のように力を使いすぎた状態だ。今のヨルは契約者なし。
力を消費するだけだった。
響司の身体が震える。
このままだと消えてしまう。グラムと同じようにヨルが世界から、自分の記憶から――。
「しっかし、『夜兎』もタフだねぇ。昨日の深夜からずっと戦ってるのによぉ。普通の悪魔ならとっくの昔に力が切れて消えるか喰われてるぜ、ありゃあ」
『烙炎』は響司の頭を固定したまま鼻で笑った。
昨日の晩、響司はゆっくりと寝ていた。あれからずっと戦っているとしたら半日以上戦ってることになる。寝ているんじゃなかったと後悔が一気に湧き上がる。
「なーんで『夜兎』の奴はブラブラしてたんだろうなぁ? 答えは簡単だ。テメェ、契約切られてんだろぉ?」
『烙炎』は高塚の顔で、舌を出して、からかってくる。
殴りたかった。でも、身体は高塚のものだ。作った握り拳が振り上げられることはなかった。
「大人しくしてろよ。余計なことをすればこの人間で力を使って炭にするぜ」
「僕を身動き取れないようにしたのはヨルを助けさせないようにするため?」
「あぁ、そうさ。ライゼンと同じ力で乱入されたら面倒だからな。それに――あのクソ兎以上に厄介な索敵能力を持ってるのも、じっくり教室で確認したしなぁ!」
狂ったように高笑いをする『烙炎』を響司は睨みつけることしかできなかった。
昼休みのあのタイミングで話しかけてきたのは、退魔の陣を作るためのモノを響司が所持していないことを知った上で来たのだ。抵抗できないように紀里香と高塚を人質にとりながら。
「あぁ、そうだ。念のためにもう一匹、用意したんだったぜ」
『烙炎』が響司を頭を無理やり後ろに向かせる。
沢渡高校の制服のスカートが揺れていた。頭に浮かんだのは励ましたり一緒にお昼を食べるようになった女子の顔だった。
顔を確認すると、想定していない丸眼鏡と死んだ魚のような目があった。幼く見える丸顔は青白く、今にも倒れてしまいそうだった。
「清水さん……?」
「本当はテメェの隣にいた逢沢とかいうオンナを連れてくる予定だったんだが『夜兎』に邪魔されちまったんで代替品だ。監視用にとり憑いたままにしといたのがこんなカタチで生きるとは思ってなかったぜ」
監視用、と言われて美術準備室で紀里香が結界を発動させたときに清水千佳は結界に入ってこなかった。違和感はあった。でも、魂鳴りが聴こえなかったから響司は気のせいだと思ってしまっていた。
(間違ってなかったんだ。やっぱり結界が見えてたんだ)
ヨルに言えば何か変わったかもしれない、というどうしようもない仮定が頭に入り込んでくる。『烙炎』の手のひらで転がされていたのに、きっかけさえあればまだ戦えたかもしれないと心が訴えかけてくる。
(右腕の糸はバレてないみたい。せめて、ヨルに危険だけでも知らせることが出来たら……!)
頭をつかまれている今、おかしな行動と『烙炎』が受け取った時点で響司の頭が潰されてもおかしくない。動かないことが最適解だった。
「イイ顔するじゃねぇかよ、玩具。後悔と無力感を燃料に憎しみの炎をもっと燃やせよ! オレ様を楽しませ――ぐっ!?」
高揚を隠せない声で『烙炎』が叫んだ最後、響司の頭から『烙炎』の手が離れた。
状況が分からない響司が『烙炎』を見ると『烙炎』が床の上で仰向きに倒れている。まるで何かに吹き飛ばされたように。
『烙炎』が足をふらつかせながら、手すりを持って立ち上がる。『烙炎』のとり憑いた高塚の顎が赤くなっている。
「……なんだよ、ソレ。隠し玉ってヤツかよ。マジで楽しませてくれるなぁ、オイ!」
威嚇するように吠えた『烙炎』。
響司の視界の右下に黒い影が映る。黒くて艶のある細いものがうねっている。ウナギのように見えたが粘膜などはない。響司は黒い謎の物体が何かわからず、辿っていくと右袖の隙間から出てきている。
右腕に黒という二つの単語。間違いなく異様な黒い物体はヨルからもらった黒い紐だ。
――少しばかり細工をしておいた。
糸をまたもらった時に教室で聞いたヨルの台詞だ。
「細工ってこういうことね」
「クソ兎の力を感じるな。契約切っても守るってかぁ!? 律儀だねぇ!」
「貴様には関係のないことだのう。のう!」
ガラス張りの壁をすり抜けて、響司の前に現るヨル。左手には烙炎の分身を握り、目の前で潰して見せた。
「ヨル!」
「っち、なんで居場所がわかるんだよ!」
「この黒いのはワシの力よ。異常があればワシにしか聴けぬ音を鳴らして場所を知らせてくれる」
ヨルは小動物を愛でるように黒い物体を左手の爪で撫でた。
「あぁ、そうかよ!」
高塚の背中から炎が漏れ出した。
「さっさと力使い切って消滅しちまえよぉ、バケモノ兎!」
「貴様こそ、花火のように一瞬で散ってしまえばよかろう。誰かに憑依せねば生きていけぬ寄生虫が!」
炎に反応した火災警報器とスプリンクラーが作動する。避難誘導のアナウンスが流れ、ビルにいた人間の悲鳴と逃げる足でビルが揺れる。
警報の中、悪魔と響司、そして、千佳だけがビルの中でその場から動こうとしなかった。




