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昼過ぎに起床した響司は慌ただしく動いていた。すべては交差点に縛られたマオを助けるため。事故を起こさせないためだ。
寝る前にスマホで調べていた悪魔祓いや退魔術以外の方法を模索するため、筆記用具とルーズリーフをナップサックに入れて、響司は市民図書館へやってきた。市民図書館の所蔵量は個人営業の古本屋よりも多く、チェーン展開されている一般的な書店よりも少ない。
書店に行けば、タッチパネルの書籍検索機で簡単に本が見つかるだろう。書店と違って、十六時までしか開放されていない図書館を選んだのは、二つ理由があった。
一つ目はお金の問題だ。響司は高校生。バイトも時給の高い短期バイトしかしていない。あれもこれもと本を買っていたらお金がなくなる。二つ目は本の内容を整理するための作業効率。図書館よりも開店時間は書店の方がはるかに長い。時間はあるが、作業スペースが確保できないのだ。開店中ずっと立ち読みしていたら足に限界がくることも考えて、机と椅子のある図書館が最適だった。
図書館に来て、書店よりもいい点が一つあった。売れそうにない本が読めるのだ。書店の本は売り物。内容がうさんくさく怪しい悪魔関連の本なんて、売れず店頭から消えるのは必然だ。
オカルトのコーナーにある陰陽師や悪魔祓いに関する本を手当たり次第に集める。本はあっという間に片手に持ちきれない量になる。
空いているテーブルに本の塔を築く。
「さてさて、今が一時だから図書館が閉まるまで二時間半。いっちょやってやりますか」
土曜日の昼。響司は一人で黙々と作業に入った。
図書館の閉館時間ギリギリまで粘り、気になった本、三冊。まだ読んでない本、二冊を響司は借りて帰宅する。
「ただいまー」
本で重くなったナップサックをリビングの床におろすと、鈍い音がした。赤ん坊一人をずっと、おぶっている状態だ。図書館と家までの距離は徒歩で二十分。帰宅途中はナップサックの中から本の角が刺されて背骨が痛かった。
軽くなった肩を回してキッチンを見ると、ヨルがいた。無言で電柱のようにまっすぐになっていた。
響司は無視して、リビングのテーブルに借りてきた本と読んだ本の内容をまとめたルーズリーフを並べる。
「本当にあの幼子をどうにかしてやりたいのか?」
ヨルからの質問を他所に本を読もうと、表紙をめくるが、めくれなかった。ヨルが本の表紙を左手で押さえつけてきたのだ。
「質問に答えよ、人間」
頭蓋骨から見える赤い目が響司を見下ろしていた。
「そうだよ。だから邪魔しないで」
ヨルが本を一冊、手にして速読をするように中身を一気にめくっていく。手に取っていた本をテーブルに優しく置いたヨルは首を横に振った。
「幼子が誰も殺さなくていいようにするに悪魔を祓ったところで意味はないぞ。また違う所から悪魔がやって来て、幼子を利用するだけだ。本当にどうにかしたいのであれば幼子の魂を浄化してやる他ない」
響司が借りてきた本はすべて悪魔祓いの本だ。
ヨルは内容を理解して、助言してきたのだ。
「どういう風の吹き回し? 手は貸さないんじゃなかったの?」
「貴様がどう死のうがワシには関係ない。だが、ここで何も言わずに死なれては見殺しと一緒なのでな。口ぐらいは出してもよいかと思ったまでよ」
屁理屈のように聞こえたが、ヨルの気まぐれに甘んじて響司はのることにした。
「魂の浄化って浄霊ってやつだよね。どうしたらいいの?」
「願いを叶えて、満たしてやればよい」
「お母さんに会わせろってことだね。でも、悪魔に捕まってるらしいんだよ」
マオの母親がどこで捕まっているかもわからない。助ける手段はあるか検討する必要がある。
今日一日が無駄になってしまったのが、響司は辛く感じた。
「本当にそうか?」
ヨルが低い声で疑問を口にした。
「貴様はあの幼子の母親が雑魚どもに捕まっているところを見たのか?」
「見てないけど、マオちゃんを脅すのにお母さんを使ってたから」
「では幼子が見たのか?」
「いや……見てないと思う」
「だろうな。あの雑魚どもに人間の魂を捕らえ続ける力があるのなら、幼子の力なぞ借りずに己が力で人間を殺せばよいのだ。そちらの方が百倍効率的だ」
ヨルの言うとおりだ。力がないからマオを利用している悪魔たちだ。マオの母親を縛るだけの力があるかと聞かれれば違和感がある。
「つまりマオちゃんのお母さんは捕まってない?」
「十中八九な。しかし、安堵は出来ぬよ。捕まっていないということは浄化したか、何処かで彷徨っておるか、悪魔に喰われたかの三択になるからな」
尖った骨の指を三本立てるヨル。
「何か違いがあるの?」
「降霊術が使えるか使えないかだ。悪魔に喰われていれば最悪だな。魂が枯れ果てるまで悪魔の肉となり、力となるだけ。降霊術の対象外よ。魂を喰った悪魔のみを滅すれば喰われた魂は救われると聞くが、成功した例を知らぬ」
「つまり悪魔に喰われてたらマオちゃんが浄化できなくて詰みじゃない?」
顎をしきりに触るヨルが呟いた。
「……試してみるか」
「何を?」
「貴様、ワシとの契約陣が書いていた紙を持っているだろう。アレを出せ」
「いいけど……。昨日、元の場所に戻したんだよね」
母親の写真立ての下にあるタンスの一番上の引き出しから、両手でようやく持てるサイズの黒い箱を取り出した。右に偏った重心の箱を母親の写真の横においた。
黒い箱は木製で、蓋には立体的で大きな三日月が金色に輝く。側面には星と思われる湾曲した四角形と兎が刻まれている。
「そのオルゴールは!?」
ヨルがあからさまにたじろいだ。
「お母さんが好きだったオルゴールだよ。元々あの手帳はオルゴールの蓋裏に隠されていたんだ」
蓋を開けると、中にはオルゴールの命ともいえるシリンダーと金属の鍵盤が並んでいた。蓋裏に目をやると、大きな鏡がある。
蓋裏の鏡を爪で押し込むと、鏡がずれた。鏡を割らないように外すと、古い手帳が出てくる。蓋と鏡の間に空洞を作って、隠していたらしい。
「ほらね」
響司が手帳をヨルに見せようとして背後を確認すると、今まで見たことがないくらい小さくなったヨルが部屋の隅にいた。
震えているのが目に見えて分かる。
「ヨル? 言われたモノだよ?」
「そのオルゴールを不用意に開けるでないわ!」
「へ?」
「貴様とワシが契約することになった陣も、手に持っておるオルゴールを作ったのも、ライゼンの作だ! アイツの作ったものにどれほど困らせられたことか……!」
ヨルの身体とも言うべき黒い靄がぐねぐねと形を歪ませた。
「ヨルを困らせるライゼンさんって何者?」
「一言で言うなら悪魔祓い師だ。それも凄腕のな」
心底嫌そうにヨルは簡単に教えてくれた。
悪魔祓い師――テレビで現実の職として存在していたのは知っている。ただ映画や漫画のフィクションの印象がが強いのか、響司の頭に出てきたのは聖水と聖書を持った神父さんだった。
「忌々しいオルゴールよ。まさか、また見ることになるとはな……」
「そんなに怖いの、これ?」
「ばぁーーー! 開けたまま近づけるな!! しっし!」
汚い野良犬を遠くへやるようにヨルは左手であっちいけ、とやっていた。
話が進まなそうだと響司は判断して、オルゴールの蓋を閉めてまたタンスに戻した。
「ちゃんとしまったから大丈夫だよ、ヨル」
ヨルは縦に伸びた。黒い靄は元気を失ったままなのか、細っていた。
「その紙はな、ライゼンが若い頃、悪魔祓いに効果のある陣を調べているときに作っていたものだ。悪魔を滅する陣や結界の陣の描き方が記されている」
「そんな効果があったんだ。知らなかった」
「九枚目の紙に降霊の陣というものがある。死んだ魂を現世に呼び出す陣だ。描け」
「ちょっと待って。翻訳して図を描いたルーズリーフを持ってくるから!」
自室へ走っていき、本棚にあるファイルから魔法陣の描かれたルーズリーフを外して、ヨルの前にまた戻る。
「これでいい?」
ルーズリーフを見せると、ヨルはまじまじと陣を見ていた。
「この横線はなんだ。これでは使い物にならぬぞ」
ルーズリーフのラインがダメらしい。今までどの魔法陣を描いても反応せず、砂場で描いたヨルの魔法陣だけちゃんとできたのは、描いたモノに余計な線があるかないかの違いだったようだ。
「これは僕にもどうしようもないから、コピー用紙にでも描くよ」
「うむ。しかし、この大きさの陣は貴様の力量では使えぬな。小さすぎる。大きく描け。大きければ大きいほど陣の効果は上がる」
「大きくってどれぐらい?」
「ワシを呼び出したときと同じぐらいが好ましいな。アレで陣が発動するかしないかぐらいだろうよ」
大人が大の字で寝ても余裕があるサイズだ。家の中となると難しい。広さはあっても描く対象がない。フローリングを傷つけて、父親を卒倒させてしまってもいいならできなくもない。
「さすがにまずいか。家の中で魔法陣を描くのは難しいかな。今の時間帯だと神社裏の公園に子供たちがいるだろうから、日が沈んだら行こうか」
「貴様がそれでよいならよいがな」
ヨルはタンスを睨みつけていた。
黒いオルゴールはヨルの弱点らしい。詳細はほぼ不明。ライゼンという悪魔祓い師が何者なのか、響司は頭をひねる。
ヨルとライゼンは悪魔と悪魔祓い師。敵同士のはずだ。シャーロック・ホームズとモリアーティ教授のような完全な敵対関係だったのだろうか、それとも怪盗のルパ〇三世と銭〇警部のようないいライバルでありながら、必要とあらば協力をする関係だったのだろうか。
(ライゼンさんはきっと、良くも悪くもヨルと親しかったんだろうな)
響司がそう思えてしまうのは、ヨルが『ライゼン』とはっきり名前を呼んだからだ。
ヨルはいまだに響司の名前を呼ばず『貴様』と呼ぶ。
人間の名前にはっきりと感情をこめて呼ぶのが意外だった。
「なんだ。ワシの顔を見ても何にもならぬぞ」
紀里香の名前も一度だけ呼んだ。
――きっとヨルは僕の名前を呼ばないだろう。
「ううん。なんでもないよ」
響司はもやっとした感情を胸にしまった。