12
紀里香の横で一眠りした響司は五限目を無事、寝ずに授業を受けることに成功した。
今、受けている現代文だけ乗り越えれば、自堕落な生活をしている、という報告が父親にいくことはない。
(学校が終わったら……何をしよう。『烙炎』への対策を考える? 一人で?)
家に帰ってもヨルはいないことを思い出して響司は教室の天井を見た。久しぶりの退屈の訪れを感じながら、つまらない現代文の授業を聞き流す。
現代文はおじいちゃん先生が担当している。穏やかでゆったりした口調で、毎度、何人かの生徒を夢の世界に連れて行く。だというのに、怒ったら沢渡高校でトップクラスに怖い。甘い匂いで虫を引き寄せて捕食する食虫植物のようなトラップである。
横目で晴樹の席を見てみると、すでに夢の世界の住人になっていた。見つからないことを一番後ろの席から祈ってあげることしかできなかった。
「ここの場面は主人公の気持ちを考えると次の場面の感情変化がよくわかる」
教師の声が止むと、黒板消しを持って、黒板を強くこする。時々なる高い音が耳に優しくない。
「――主人公であるこの男は親友の恋人にいけないと思いながら、恋心をよせていたことに――いてしま――苦し――る」
黒板消しで黒板の文字を消しながらしゃべる教師の声が途切れ途切れになった。
教室にいる生徒は教師の変化に気づいていないのか、真面目に授業を受けている。紀里香も彩乃もシャーペンを持っていた。
――ジジジ。
不快な音が途切れた教師の言葉の間に入り込む。
(『烙炎』の魂鳴り!? でも、この前会った分身よりも音が小さい?)
姿勢を正して、目を閉じ、耳に集中する。
ヨルに褒められた遠くの悪魔のノイズを聞き取った時と同じように、意識を水面の上におくようにする。
屋上――無音。
運動場――地面を蹴る音と合図のホイッスルが定期的にする。
体育館――ボールが跳ねて、誰かがボールを弾いている。
科目棟――実習で騒ぐ生徒の声だけ。
水面は揺れるが、聴きたい音じゃない。響司はわざと遠くから聞いていた。歯ぎしりをして、今、自分のいる教室の音を聴く。
――ジジジ。
聴こえてしまった。
目を開いて、下唇を噛む。
授業中に動くことはできない。悪魔の事なんて言っても頭がおかしいと思われるだけだと響司はわかっている。
右の二の腕に巻き付いている糸を切った。
窓も空いていないのに、そよ風が吹く。響司の背中に確かな気配がある。
「呼んだかのう?」
二日間、聞いていなかっただけなのに懐かしく聞こえた。
「本当に、来てくれるんだね」
ヨルなら聞こえるだろう、と響司は小声で話しかける。
状況は変わっていないのに、ヨルがいればどうにかしてくれるという安心感から響司は安堵してしまう。
「再契約の催促のために糸を切ったのであればもう糸はやらぬぞ」
ヨルの姿は見えない。背後からずっと話しかけてくる。
「ヨルはそういうの嫌いでしょ? やらないよ」
響司は振り向かない。振り向くと、ヨルがすぐに消えてしまう気がした。
「わかったようなことを」
「下手な知り合いよりも一緒にいたんだ。わかるよ」
「……そうかもしれぬな。ワシを友という馬鹿な人間だったのう。のう」
棘のある言い方に口元が緩んでしまう。響司は頭を軽く振って、思考を元に戻そうとする。
「呼んだのは『烙炎』の魂鳴りがしたから。多分、教室内」
「ふむ。ワシには聞こえぬな」
「僕がヨルに嘘、ついてると思う?」
「小僧とワシが聴き取る音にはズレがある。ドッペルゲンガーの時もそうであっただろう。信じこそすれ、疑うはずがないのう。のう」
響司の視界の左側にヨルの後ろ姿が映り込む。
椅子に座っている生徒の倍はある身長のヨルが生徒の机の間を進む。教卓の前を堂々と横切り、今度は一番前の席から後ろに向かって進む。
教室の端から端まで静かにヨルは歩いていった。
紀里香もヨルに気付いたらしく、驚きながら響司に『ヨルがいる』と口の動きだけで伝えてきた。知ってるよ、と響司は頷いて返した。
「まったく、感心するほどいい耳をしておるな」
響司の背後に戻ってきたヨルの第一声は笑っているように聞こえた。
「かすかに音がする。ワシは注意深く真横を通ってようやく気付けるかどうかだ」
聞き間違えであって欲しいと思っていたが、間違っていなかったらしい。
ヨルの骨の左手だけが響司の肩付近から伸びる。
「あの人間と、あの人間から『烙炎』の音がしておる」
ヨルが指差した二人の人間に響司が叫びそうになって大きく開いた口を無理やり閉じる。
(晴樹と九条さん……)
友人がニュースで見ていた焼死体になっていく姿を想像して、身体が力む。顔を上にしていると晴樹と彩乃の背中が目に入ってしまう。
視点が下がっていく。現代文の教科書と筆箱と授業開始時に配布されたプリントだけが視界に入る。
「小僧と関わりのある人間にピンポイントで種火を植え付けておるな。二人とも魂鳴りがまだ荒れていない。魂が健常な証だ。寄生して間もないと見える」
「僕が『烙炎』に狙われたから、二人とも……」
「己を責める前に退魔の陣を用意しろ。寄生されて間もないのなら至近距離で退魔の陣を当てれば追い出せる」
「本当に?」
「あぁ。ワシはつまらぬ嘘をつかぬよ。だから友を救いたくば一刻も早く描け」
顔を挙げると、ヨルが堂々と横に立っていた。
「至近距離って、言ってたけど僕が二人の背中に陣を貼り付けないといけないの?」
響司は子供が悪戯で背中にシールを貼り付けている様を想像した。
「人払いの結界を使ってワシが陣を設置してくる。小僧は陣を描いて、発動させるだけでよいんじゃよ」
「わかった」
響司は陣を描くのに適したモノを探し始める。机の中には数学や英語の教科書とルーズリーフしか入っていない。
退魔の陣は生徒手帳のようなサイズだと機能しない。ルーズリーフぐらいのサイズが最低でもいる。だからといってルーズリーフに描くと、ルーズリーフに印刷されている罫線が陣を構成する線の阻害をして発動しない。
(コピー用紙みたいな紙があったらいいんだけど……)
机の横に掛かっている鞄を探しても、陣を描くのに適したモノがない。
今が六限目というのも最悪だ。授業が終われば二人とも部活に行ってしまう。ヨルが人払いの結界で近づけたとしても、相手が動いたりしたら陣の効果範囲外で『烙炎』を追い出せないかもしれない。
動かない授業中にやってしまうのが最善だ。
時間だけが過ぎていく。
色々探しているうちにプリントが机の上から落ちた。表には今日の授業内容簡単にまとめれるように登場人物の立場や場面の簡単なあらすじが印刷されている。
床に落ちたプリントをじーっと響司は見つめて、裏を見た。
何も書かれていない。白紙だった。
「使えそうじゃな」
「うん」
机の上に転がっていたシャーペンを持って、直線ばかりの退魔の陣をフリーハンドで描いていく。退屈しのぎでライゼンの魔法陣を描いているうちできるようになっていた定規いらずで線を描く技術が思わぬところで役に立っていた。
「はい、これ」
ヨルに手渡すとすぐに晴樹の席に行き、退魔の陣を描いたプリントを床に置いた。
「やれ、小僧」
退魔の陣が一瞬だけ弾けるように光った。
「あっぢぃ!?」
叫びながら晴樹が勢いよく立ち上がる。上半身を前後にくねらせながら、制服を引っ張って空気を入れようとしていた。
教室内は晴樹に何が起こったか知らないため、爆笑し始める。
「騒がしいぞ、大山ぁ!!」
「いや、待ってくれ先生! 背中に熱いものが走ったんだって!」
騒がしい中、ヨルは彩乃のところにプリントを運んでいた。
設置し終えたのを確認した響司はまた退魔の陣を発動するべく、力を込めた。陣はまた一瞬だけ強く光った。
「ひゃん!」
晴樹を指差して笑っていた彩乃が可愛い悲鳴をあげる。
爆笑していた教室が彩乃を一斉に見た。
視線を向けられた彩乃は顔を紅潮させて、口元を振るわせていた。
「いや、その……ウチもなんか肩こり激しい時の熱いのが走るカンジが急にきて……」
「演劇で裁縫しとるんだったな。そのせいかもしれないね」
「なんで俺は怒られて九条は受け入れられんだよぉ! 差別だろ!?」
「大山はサッカー部で、あんまり肩を使わないはずだが?」
「クッソ反論しづれぇのやめてくれよ! マジで無実なんだって!」
晴樹の叫びにまた教室が笑いに包まれる。
教室の一番後ろで響司も微笑む。ただ、みんなとは意味が違った。
「さっきまでしてた音がしない。本当に追い出せたんだね」
「分身とはいえ『烙炎』の攻撃を小僧は防ぎぎったのだ。出来て当たり前だのう。のう」
プリントを左手で摘まんだヨルが響司の前に戻ってきた。プリントを机の上に置いて、ヨルは響司の前で立ち止まった。
「新しい糸をやる」
黒い靄が左手から出てきて、また響司の肩に巻き付く。巻き付いた黒い靄は少しずつ固くなり、糸というよりも紐に近い太さになる。
「今までで一番太い?」
「ワシの警戒網を突破して寄生してきたのだ。用心のため、少しばかり細工をしておいた」
「細工?」
「出番がないことを祈るばかりだ」
ヨルはそう言うと、響司の感謝の言葉を聞かずに教室の後ろの壁からすり抜けて消えていった。
必死に抗議する晴樹にクラスメイトは笑い続ける。響司はその光景を傍観しながら、右腕の紐を触る。
「うん。今日はゆっくりと寝れそうだ」
誰にも聴かれない後ろの席で響司は一人、呟くのだった。
どっかのタイミングで投稿ペースあげるかもしれません。
色々あって、11月中旬に完結まで持っていきたいので。
ポケモンは関係ないです。全然。いや、本当に。




