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停車させたママチャリに跨ったまま響司は新品の消しゴムのような結界を三つ作り、お手玉をする。
結界を触る瞬間だけ力を流す。そうすれば結界は現実の物体を触るのとなんら変わらない挙動をしばらくするらしい。
(なんで清水さんが結界を触ってるように見えたんだろう?)
伸びた前髪と黒のウィンドブレイカーのフードで視界が悪い中、ゆったりとお手玉をする手は止まらない。
半透明の結界の先に見えるのはビルの壁。日が落ちて、光源は近くの道を通る車のライトとビルの窓から出てくる照明ぐらいだ。
視界の明暗がランダムに切り替わるビルとビルの隙間。耳元でノイズが止まない。
「――ゼン、聞いてイルノカ。ライゼン!」
年老いた男の声がノイズがかき消される声量で正面から発せられた。
声に驚き、のけぞった響司は自転車から落ちるまいとハンドルを握った。三つの結界はあらぬ方向に飛んでいく。
地面に落ちた結界はサイコロのように地面に転がった。
「びっくりした……」
「ワレ、無視シタカラダ」
ノイズの元凶たる火の玉状の黒い靄がしゃべりかけてきた。黒い靄は『烙炎』を調べて欲しいと約束していた悪魔である。
響司は考え事をしていたが、悪魔をわざと無視したわけではなかった。ライゼンと名乗ってしまったので、響司は自分が呼ばれているとは気づかなかったのだ。
「ごめんごめん。『烙炎』の話だったよね」
「情報、少ナイ。構ワナイ?」
「うん。情報が欲しいんだ。少しでもいいから教えて」
「了承。ワレ、話ス」
ノイズでカタコトのように聞こえてしまう悪魔の言葉に響司は耳を傾けた。
「『烙炎』、悪魔タチ集メテタ。何処カ、襲ウタメ」
「これから襲うの?」
「モウ、終ワッタ。集マッタ悪魔、『烙炎』以外消エタ」
「襲撃は失敗したんだ」
「『烙炎』、勧誘、言ッタ。確認スル、ト」
ジジジジ、と強いノイズがただでさえ聞き取りづらい悪魔の会話を遮ってくる。
「ごめん。もう一回」
「悪魔、集メル。ヤリタイ事、確認」
「えっと……『烙炎』はどこかを襲撃するために悪魔を集めていた。悪魔たちを誘うときに何かを確認したい、って言った。で、合ってる?」
「ソウ言ッタ」
不貞腐れたように悪魔の黒い靄が少しだけしぼんだ。
「ごめん。耳が悪いんだ」
魂鳴りの話をしてもしょうがないと思った響司が誤魔化すと、黒い靄が大きくなって、強く揺らぐ。
「襲ッタ後、『烙炎』大人シイ。姿、消シタ。情報、モウナイ」
悪魔が得た情報は本当に少なかった。戦いに生きる材料になるかと聞かれれば、ならないと答える。
「直接『烙炎』に会ったりしてないの?」
「ワレ、戦ワナイ。戦ウと消エル。『烙炎』、戦ウ悪魔希望」
響司の頭にふと、空色の騎士の背中が出てくる。胸を針が刺されたような痛みが走る。
「そっか。戦わないか」
どうしてだか、急に悪魔が愛おしく見えた。
響司は右手の甲を出して、火の玉のような悪魔の靄に近づける。
悪魔はオウムのように腕にのった。黒い靄が触れている部分は冷たく、弱い電流を流されているように感じて、痛痒くなる。それでも響司は悪魔を振り落とさなかった。
「これはただのお願いなんだけど、あんまり人間を食べないで欲しい。僕は人間だから人間に害のある悪魔は倒すことになる。大人しく元の場所に帰って欲しい」
「デキナイ。世界に留マル、必要。闇、何モナイ。人間の世界、楽シイ。ダカラ留マル。魂、喰ラウ」
「何も? 悪魔はたくさんいるじゃん」
「闇、何も見エナイ。何も聴コエナイ。誰もイナイ。自分もナイ」
「自分も?」
「意識ダケダ。故に悪魔、期待。――新しい刺激となるヒトの想い」
はっきりと聞き取れた最後の言葉に響司が目を大きく開いた。
グラムが言っていた。『悪魔は人間に期待する』と。
(期待して当然だよね。そんなつまらない世界なら……きっと僕は死に続ける)
――孤独な世界でただ存在し続けるというのは、どんな気分だろうか。
「野良悪魔、なんだよね。だったら誰かと契約しないの?」
「断ル。契約に値スル想イ、ナイ!」
力強く断言する悪魔に響司は苦笑を返した。
悪魔は響司の腕から離れる。まだ腕は少しだけ痒い。
「ライゼン、真名を教エロ」
響司の開いていた口が固まった。
「偽名ってバレてたのね」
「呪イ、ライゼンに効カナカッタ」
背筋が凍った。気まぐれで言った嘘の名前は意外と効果があったらしい。
「えっぐいことするなぁ。本当の名前を聞いて呪いをかけようって?」
「知リタイ。ライゼン、上等なヒト」
「上等って僕はA5ランクのお肉なの?」
文句を言いながら顔を隠していたフードを取った響司は自転車を降りて、悪魔の前に立つ。
「刹那響司だよ」
黒い靄が響司の足元付近を飛ぶ。そしてゆっくりと螺旋状に浮上していく。目は無いのに黒い靄から品定めをするような視線を感じた。
「ヤハリ、契約済ミカ……」
「やはりって何、やはりって」
あからさまな落胆の声を出す悪魔に響司はジト目を向けた。
「ウバナ。ワレの名」
「悪魔の名前?」
「契約終了後、ワレの名、呼ベ」
顔ににじり寄ってくる悪魔――ウバナ。
言葉は圧倒的に足りてないが、『ヨルの契約が終わったら、ウバナと契約しろ』という事らしい。
契約の予約を悪魔にされるなんて想像していなかった響司は口元を隠し、声を殺して笑った。数十秒笑ったところで落ち着き、右手の甲をもう一度前に出した。
「別に今契約してもいいよ」
「不可。背後、注意」
背後、と言われ、首を左に回して後ろを見ても停車している自転車とビルの壁だけだ。
首を戻すと、ウバナよりも遥かに大きな黒い靄が視界に映っていた。
視線を上にしたくないと響司は思いながら、視線をゆっくりと動かす。視界の上部に草食動物の頭蓋骨が見えてしまった。
「げ、ヨル」
「小僧、これはどういうことだ? 勝手なことをするなと言ったはずだがのう。のう」
すでに説教モードの空気を出しているヨル。
逃げ場のない響司は顔を背けることしか出来なかった。
「『ライゼンの悪魔』」
「忌み名を知っとるということはワシが誰か見当ついておるのか。なんだ野良悪魔、ワシは今は忙しいのだ」
「ワレ、ヒトとの約束、守ッタ。逃ガシテ、モラエヌカ」
ヨルが響司をさっきまでよりも強い眼光で睨みつけた。
「ごめんってば!」
表情が無くとも十二分に迫力を増したヨルは舌打ちのような音を鳴らした。
「気が変わらぬうちに行け。小僧、貴様はあとで説教だ」
――ジジジジジジ。
不可解なノイズが耳の奥に聞こえる。響司が立っている場所から十時の方角。近づいている。
ウバナの会話中にも聞こえた音だ。近づいてきて分かる。この音は女の人が死んだときに聴こえてきた銅線と回路が熱で狂う音だ。
音を聴いて理性は手がかりだと言うのに、本能が逃げろと叫ぶ。
「何か、来るよ。ヨル!」
「なんだと?」
ヨルには聞こえない音。嫌な予感しかしない。
すぐに自転車に跨って、音を感じ取った方角を見た。
暗い暗い路地裏の奥から赤く動くモノがやってきている。音も大きくなってくる。
響司の顔の横を赤くて熱い塊が通り過ぎた。花火をバケツの入った水の中に入れたときのような鎮火の音。同時に耳元で鳴っていたノイズが消えた。
ウバナが浮いていた場所には何もなかった。
「……ウバナ?」
足元に小さく焼けた痕があった。黒い煙を出しながら、確かに痕を作っている。
「――おやおや、ちょっと目障りな悪魔を壊しに来ただけだったのに思いもよらない奴がいるじゃあねぇか」
辛うじて人の形をしている炎がネチネチとした口調で喋る。
炎が響司とヨルに近づくにつれて、空気が熱され、汗が噴き出してくるようになる。汗が本当に暑さだけで出てきたものなのか恐怖から出てきたものなのか、響司はわからなくなっていた。
ヨルは左手を出して、戦闘態勢に入っていた。
「久しいのう『烙炎』!」
「久しぶりっていうほど待っちゃいねぇだろう? 百年以上封印されてみっか? なぁ『夜兎』ぃ!」
――響司にとって、最悪の邂逅だった。
土曜日に更新できたらいいな、って




