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マンションの屋上にあるアンテナの上に座った。
雨が上がり、湿った空気の中でヨルは曇った空を見上げた。
「今日は見えぬか」
遠くに見える街の明かりも少なくなっていっている。それでも街からは人間の魂鳴りが耳障りなほど聞こえてくる。
昔に比べて、たくさんの人間は深夜にも活動するようになったことを知ったのは響司と契約してすぐのことだった。
「随分と人間は変わったな。そうは思わぬか、ライゼン」
ヨルは左手に優しくのせたオルゴール――『月下の檻』に話しかける。
どこかからライゼンの声が聴こえてくるような気がして、ヨルは無駄だと頭で理解しても話しかけてしまう。
「小僧はワシの攻撃に反応できなかった。ライゼンなら反撃してワシを結界に閉じ込めたじゃろうな」
結界で閉じ込めた後は『月下の檻』を動けないヨルの前でほんの少しの間だけ奏でさせる。ライゼンがやるヨルへのおしおきだ。
ヨルが作った曲を奏でているというのに、作曲者を苦しめる拷問。
耳を塞いでも『月下の檻』は防げない。魂鳴りを直接、相手の魂にぶつける特殊な空間を作り出す。原理はヨルのハープと似ている。それが特殊な空間より二回り小さい結界を作りながら広がっていくのだ。
「まったく……憎たらしいがワシと同じ時を過ごしたのはもう貴様ぐらいだな」
黒い靄の身体の一部をヨルは切り離し、変形させていく。靄というよりもスライムのように動く黒い物体は硬く、硬くなっていく。ヨルの左手には収まるが、人間の手の平には少し大きい握りが出来上がる。
やがて、とある悪魔が腰に携えていたモノの一部と酷似した形が完成した。
「――グラム、貴様も見ていけ。ここが今のワシのお気に入りだ」
『月下の檻』の蓋の上に、ちょこんと黒い剣の柄を置いた。色は違えど、剣の悪魔・グラムの握っていた柄と寸分違わず同じだった。
オルゴールと剣の柄を、眺めてヨルは鼻で笑った。
「貴様らは大馬鹿者だ。自分の存在を投げ捨ててまで誰かを救おうとしたのだからな。本当に、大馬鹿者だぞ……」
覇気のない罵倒が静かな夜に溶けていく。
ヨルの頭の中にじみ出てくるのは響司の宣言だった。
「確かにワシは『烙炎』と戦うと言った。小僧に選ばせた。しかし、しかしだ。このままでは貴様らと同じ大馬鹿者になってしまう。ワシなぞに何を見出しておるのだ。のう。のう」
あの時、響司が白い糸を選んでいれば契約を解消して去るつもりだった。悪魔との戦いは死と隣り合わせ。生きる覚悟のない者を巻き込む必要はなかった。しかし、響司は黒い糸を選んだ。
危険がつきまとうが、響司が生きる欲を持ついい機会だと思った。
欲は芽吹いた。想定外の形で。
「……選ばせたのは間違いだったのかもしれぬな」
響司の胸から出てきた欲の糸。悪魔と共にいたいという思考から生まれた欲は悪魔が消えれば、記憶が消え、また元の欲無しになる。
ヨルには、世界で一番価値のない欲に見えた。
「ライゼン、グラムよ。どうすれば小僧は正しく欲を持つのだろうな。ワシはどうすれば良いのだろうな……」
左手にのせたオルゴールと剣の柄は答えない。
響司が一人で交差点の幽霊を浄化すると決めたあの時のように、幻聴が聴こえない。
「自分で考えろと言うことか。手厳しいのう。のう」
街の方角で魂が一つ消えた。病か事故か、はたまた『烙炎』絡みか。
確実に『烙炎』は力を取り戻している。早く倒さないと、半端な力しか出せないヨルでは倒せなくなる。
「小僧に負けぬと言ってしまった。勝つ見込みがあるうちに倒さねばなるまいよ」
ヨルはアンテナの上から飛び降りて、雲の隙間から顔を出した三日月を見上げる。ライゼンが死んだ日もどんよりとした雲から月が時々、顔を出していた。
「今度は失敗せぬさ。ワシは願いを叶える悪魔だからのう。のう」
グラムの剣の柄を黒い靄の身体に押し込み、オルゴールを左手に持ち、ふわりと身体を浮かばせた。そして、響司のいるマンションの一室へと、答えが出せないままヨルは戻るのだった。




