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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
交差点の悪魔
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 響司はベッドの上で横になり、自室の白い壁紙と終わらないにらめっこしていた。


「眠れん!」


 ベッドの上にあるデジタル時計が午前二時を告げる。

 

 心が落ち着かず、引きずられて目が冴えてしまっていた。原因ははっきりしている。ヨルの言葉だ。


(僕が生きているのは当たり前じゃん。『欲』がないとかよくわかんないこと言うし、交差点の幽霊ちゃんと関わるなとか言うしさ)


 色々と言葉が足りない気が響司はしていた。故意なのか故意ではないのかで言えば前者であることも察していた。

 納得だけはしていなかった。


「ねぇ、ヨルさっきの話の続きだけどさー」


 反応が返ってこない。声がむなしく部屋に響いた。


「ヨル?」


 響司はヨルがどこにいるのか気になって、家の中を探し回る。

 

 ヨルがいるときに感じる気配がない。ヨルの気配は独特だ。視線を感じて誰かの気配を感じることは今までもあった。ヨルの場合、空気が重くなっている。暗い雰囲気の人が放つ陰鬱な重さと違って、生地が分厚くて重い毛皮のコートを羽織っているような感覚。


 話し相手になってくれるヨルもいない。健康のために寝た方がいいことは分かっているが、響司はまったく眠れそうになかった。

 

 退屈しのぎにと、紀里香が届けてくれた数学のプリントをやることを響司は思いつく。リビングのテーブルに放置したままだ。


 問題文にある『式の証明せよ』の最後の一言だけで、やる気は沸くどころか下がっていった。プリントを裏返してテーブルにたたきつける。二度とプリントが表を向かないように、自室から和英辞書をオモリの代わりにのせる。ついでに未開封のポテトチップスとファミリーパックのチョコを被せる。


「よし、封印完了!」


 一仕事を終えた大工のように、響司は腕で額を拭う動きをした。

 

「仕方がない。軽く散歩する」


 響司は寝巻のジャージの上にパーカーを着た。髪は縛らず、靴を履いて外に出る。

 二日続けて深夜の街へ繰り出すとは、響司は思ってもみなかった。


 神社裏の公園まで足を運び、なんとなく木の棒を持って砂場に魔法陣を描く。メモ帳を翻訳して陣を描いている内に複雑ではない魔法陣は空で描けるようになっていた。


 今描いているのはヨルを召喚した陣だ。空で描けるほど単純ではない。あやふやの記憶を木の棒でなぞっていく。

 出来上がった陣は似ている別のものになった。他の魔法陣であれば簡単なものが多かった。何も見ずに描ける魔法陣もある。


「さすがに一回だけしか描いてない複雑な陣は無理か」


 また悪魔が召喚されても困るので、砂を足で撫でて、響司は自分で描いた線を消していく。


「まだ、眠れそうにないな」


 次に足が向いたのは『呪いの交差点』だった。

 ヨルには死者と関わるなと注意された。それでも、気になってしまうものはしょうがなかった。幽霊と話せるのか、という興味もある。


(幽霊ちゃんはいるのかなーっと)


 交差点を見渡すと、対角線の歩道に膝を抱え込んで座り込んでいる子供がいた。

 顔は膝の中に隠すようにしていて見えない。

 

 響司は赤信号が点滅する横断歩道を小走りで渡って子供の前に立つ。


 近くで確認すると、間違いなく事故の時にいた幽霊の少女だった。イチゴの髪留めで右側に髪を束ねている。小学生低学年ぐらいの身長。赤いスカートの下。ひざ下からくるぶしにかけて、女の子には似合わない太い鎖が右脚に絡まっていた。


(これがヨルの言っていた縛り、かな? なんでこんなことをするんだ)


 響司は女の子と視線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「どうして泣いているのかな?」


 女の子の身体が大きく跳ねた。顔が少しずつ上を向く。鼻のてっぺんが見えたところで動きが止まる。女の子は目が腫れ、涙の跡がくっきりと残っていた。


「だれ? あの黒い人たちのおトモダチ?」

「黒い人?」

「マオとマオのおかあさんを引き離した人たちで、いっつもマオにおかあさんに会いたければ悪いことしろって言う人たち」


 黒い人、というのはおそらく悪魔のことだった。そして幽霊少女はマオというらしい。


「違うよ」

「ほんとうに?」

「本当だよ」


 静かになったと思ったら女の子の瞳から大粒の涙がこぼれ始めた。


「おにいちゃん、助けて。マオはもうここにいたくないの。おかあさんに会いたいの!」


 女の子の小さな手が響司の袖を握った。幽霊のはずなのに、しっかりと実体があった。人の温もりはない。しかし、袖を握った震える手があった。


 響司は冷たい女の子の頭に右手を伸ばす。

 触れることができた。


(ヨルの言っていた力のある魂ってこういうことか)

 

 優しく泣き続ける女の子の頭を撫でる。

 髪の感触も肌の柔らかさもある。なのに、冷たい。人と同じ質感の冷気を触っているようだ。


「おかあさんのところに行きたいのに黒い人たちがとおせんぼするの。逃げようとしたらコレで足をグルグルにされるの」


 マオが右脚を動かして鎖を地面にこすりつけた。


「黒い人たちが『おかあさんに会いたいならたくさん悪いことしろって。たくさんしたら会わせてあげる』って言ったのに……黒い人たちはウソつきだった。たくさんたくさん悪いことしたよ? みんなが泣いちゃうようなことたくさんしたよ?」


 決壊したダムのようにマオ目から涙が出続けた。助けるを求めても、幽霊の声を聴ける人間は少ない。今まで小さな体で、抱え続けたのだろう。独りで耐え続けたのだろう。


 響司の左手は爪が喰いこむほどの握りこぶしを作った。


「マオが悪いことしたくないって言ったら『悪いことしなきゃ、おかあさんを殺す』って」


 涙でぐしゃぐしゃになったマオが響司のパーカーに顔をうずめた。


「もう誰も、困らせたくないの! 泣いてほしくないの!」


 マオの心の底からの叫びに響司は覚悟を決めた。

 

 ――ヨルになんと言われようと、助けようと。悪魔の餌場を終わらせようと。


「マオちゃんのお母さんはどこにいるの?」

「わかんない。でも黒い人と一緒にいると思う」


 悪魔が相手となるとヨルの力があれば心強い。しかし、生者が死者に関わることを良しとしないヨルは絶対に力を貸してくれないだろう。


 悪魔への対応策を練る必要がある。


「お兄ちゃんがどうにかできないか調べるからちょっとまっておいてくれないかな?」

「本当に? 助けてくれるの?」


 全方位で広がるノイズ。嵐のようなノイズが近づいてくる。


(悪魔がくる!)


 数なんて数えている暇がない。夜空に現れた黒い靄が大きくなっていく。

 悪魔たちはどこに隠れていたか、空が漆黒に染まる。


 漆黒の隙間から月明りが漏れる。黒い靄は一つの大きな靄になったのではなく、水辺付近で見られる虫の柱のように集合しただけだった。


「逃げておにいちゃん!」


 黒い靄がすさまじい勢いで響司へ突進してくる。


(躱せばマオちゃんにに当たる。車と違って、幽霊と悪魔はおそらく衝突する)


 響司は動かず、マオをかばうために強く抱きしめた。目も痛くなるぐらいに閉じて、黒い靄に背を向ける。


 いつ黒い靄が当たってもおかしくない。しかし、いっこうに当たらない。


 後ろを見ると、背の高い影があった。骨だけの顔と鋭い爪のような骨の左手。


 響司は歓喜の大声をあげる。


「ヨル!」

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまで馬鹿だとは思わなかったぞ人間!!」


 黒い靄をヨルは左の爪で切り裂いた。


「一度離れるぞ!」


 響司は首根っこをヨルに引っ張られる。マオと響司は無理やり離された。

 

 ヨルに服を掴まれたまま引きずられる。速度が上がっていき、足が地面から浮いていく。

 響司は飛んでいる方向と逆を向いているため、後ろから黒い靄が追ってきているのが丸見えだった。

 

「ヨル、悪魔が追ってきてる!」

「わかっとるわ!」


 どこからか黒く輝くピアノ線のような糸が伸びていた。ヨルの爪先からだった。


 糸は透明な手であやとりをしているのか、形を変えていく。大きくなっては小さくなりを繰り返した網目状になる。


 追ってきていた黒い靄は全て網に絡めとられていた。


 響司は息を吐いて、視線を下にした。見慣れた街の一部が黒くなっていた。もちろん交差点だ。


「ありがとうヨル。助かったよ」

「何故、あの幼子にちょっかいを出したのだ! 死にたいのか!?」

「やっぱり気になっちゃって」

「だから悪魔の餌場に近づいたと? 馬鹿者だと思っておったが貴様は大馬鹿者だな! 自ら魂を差し出すような行為だぞ!」


 神社を通り過ぎた。高度が下がっていっている。もう2階建ての家の屋根ぐらいの高さで飛行している。短い空の旅が終わりに近づいている。


「聞いておるのか、大馬鹿者」

「ねぇ、あの女の子ってどうやったら人を殺さないようにできる?」


 ヨルが急に空中で停止した。左手を後ろに引くヨル。左手に掴まれている響司も一緒に揺らされる。


「え、何? ちょっと!? もしかして投げようとしてらっしゃるぅ!?」


 響司は首のあたりに感じていた力がなくなったのを理解すると、地面に向かって放り投げられた。勢いは強くなくとも、二メートルぐらいから落とされて痛くないはずがなかった


「いったい!?」


 尻から着地した響司は尻をさする。

 後ろにはマンションのエントランスだった。


「言ったはずだ『生者が死者を助けようと思うな』と。利用されてる幼子に同情したか?」


 ヨルは案の定、怒っていた。最後の警告とまで言われていたのに守らなかったのだ。当然だった。


「少し違うよ」

「何が違う。では悪魔に食われた人間たちの弔いか。それとも見ず知らずの誰かが死なないようにするためか」


 響司は首を横に振って否定する。


「死者が見え、魂鳴りが聞こえるようになったから特別な存在だと思っておらんか。確かに、悪魔と契約する人間は希少だ。希少なだけだ。決して特別ではない。ただの錯覚だ」


 少しずつ早口になっていくヨル。

 表情はまったく見えないが、もし見ることができたのなら眉間にしわを寄せている気がした。


 響司は理解する。ヨルの『生者が死者を助けようと思うな』という言葉は事故が起こる前の自分ではなく、今の自分に向けての言葉だと。


 あやふやな感情を響司はヨルに伝えるべく、言葉をひねり出そうとする。


「えっと、特別がどうとかわからないけど、何も思ってないって言ったら嘘になる。マオちゃんを助けたいとは思うよ。今後、あの交差点で誰も傷つかなくて死なないなら良いことだし。退屈しのぎをするならただの時間つぶしじゃなくて、意味のある最高の退屈しのぎをしたい。だから、なんて言ったらいいんだろう?」


 拙いながらに言葉を紡ぐ響司にヨルは背を向けた。


「ワシは貴様の退屈を殺す契約をした。退屈を殺すためならば道化にも賊にもなろう。しかしだ。貴様のやろうとしているのは自殺行為だ」

「悪魔のヨルがそう言うんならそうなのかもね」

「かもではない!」


 何かが爆発するようにヨルが叫んだ。

 響司を睨むようにヨルが顔を近づけた。

 

 ヨルは響司の額に尖った指先を当てる。


「死者を救おうとするのは愚か者だ。大馬鹿者だ! 己の命を削って他者を、よりにもよって死者を救って何になると言うのだ! ワシはな、己の命を無駄にする人間が嫌いなのだ!」


 ヨルの骨の手を響司は握った。

 冷たくて硬い。ざらついた石を触っているようだった。


「僕は確かに退屈を殺したい。でも、ただ無意味に殺すんじゃない。有意義に殺すんだ」


 ヨルの手はフェンスをすり抜けた時と同じように響司の手から抜けた。ヨルは後退して、響司から離れた。


「人間なら人間らしく、蔑まれようとも、恥を晒してでも、醜く生を欲するべきだ。ワシは自殺に手を貸すつもりはない」


 すっと、ヨルは姿を消す。

 

 ヨルの気配が消えた後、響司は自分の部屋でマオを助けるために、悪魔退治の方法をスマホで調べた。眠たくなったのは夜が明けてからだった。


 眠たくなって、布団に潜り込む。


 とうとうヨルは家に帰ってこなかった。

 

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