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沢渡大学病院が全体的に見えるエントランスの前に響司は立っていた。学校よりも大きいのではないかと思う建物を見上げる。自然と口元がきゅっと締まった。
「なぜ病院に来たのだ? もうグラムはおらぬぞ」
「わかってる。わかってるけど、ここで『烙炎』と戦ったんでしょ。だったら戦いに役立つ手掛かりがあるかもしれないじゃない」
「あの悪魔がそんなヘマをするとは思えんのじゃが」
病院の敷地内に入って一人と一体はアテもなく歩きはじめた。
駐車場、入院患者の集まる小さな広場、ガラス越しに見える受付。響司はまだどこかにグラムがいるのではないかと期待してしまいそうになる。
(またこの病院で僕の大切な繋がりはなくなっちゃったのか……)
母親と死別したのも沢渡大学病院だ。そして、グラムとも二度と会うことはないとヨルが言っていた。響司にとって命を守るはずの病院が、トラウマ製造所になっていた。
敷地に踏み入ることすら嫌になりつつある。それでも、新しいトラウマを生み出さないためにも『烙炎』という悪魔の情報は必須だった。
「『烙炎』ってどんな悪魔なの?」
目と魂鳴りを感知する耳を使って、注意深く確認する響司。片耳にはヨルと話しても怪しまれないようにワイヤレスのイヤホンをつけている。
「人や悪魔を裏で操る策士よ。『烙炎』を追い詰めるのにライゼンでも一カ月かかった」
「それってかなり長期戦?」
「普段のライゼンなら長くても三日だ。後にも先にも『烙炎』以上に面倒な相手はおらぬよ」
「なんでそんな長期戦に?」
「『烙炎』が人に力を植え付ける話をしたな。アレはある種の寄生であり催眠なのだ。植え付けられた人間は知らぬ間に操られ、『烙炎』の力の一部を行使できる。そして、厄介なことに寄生先は悪魔も対象なのだ」
「『烙炎』の力を使う悪魔は元々持っていた力も使うことが出来たり?」
「無論だ。他にも、ワシ限定ではあるが『烙炎』の魂鳴りは特徴のある音である故、本来であれば容易に判別がつく。つくのだが……悪魔に寄生されたときは別だ。なぜか本体と同じ魂鳴りをさせおる……」
表情筋が無くても今のヨルは苦虫を潰したような顔をしているように見える。現に左手の爪がいらだちを隠せず震えているように見える。
「ヨルで判別がつかないとなると相当大変そうだね」
「そうだな。捕らえたと思えば寄生先の悪魔で無駄な戦闘をすることなどザラだったからのう」
「よく封印できたね」
「『烙炎』の性格を利用しておびき出したのだ。奴は『お気に入り』を作るのだ」
響司は頭の中でブックマークという言葉が出てきたが、頭を横に数回振って自分で否定する。
「『お気に入り』とは『烙炎』が苦しんでいる姿を見たい存在のことだ。『お気に入り』には決して憑依も寄生もせず、周囲を物理的にも精神的にも壊す。いい趣味しとるじゃろ『烙炎』は」
ヨルは話の最後を皮肉たっぷりで締めた。
響司の頭が不意に回って、ある答えを導き出す。
「今回の『お気に入り』ってもしかして……ヨル?」
「じゃろうなぁ。だから言ったではないか。ちょっかいかけてくる気満々だと」
心底うっとおしそうにヨルはうつむいた。
「じゃあ僕もヤバい?」
「寄生先という意味であれば対象だろうな。しかし『烙炎』に小僧のことはまだバレておらぬ。確実にな」
「断定するんだ」
「ワシの耳が『烙炎』の魂鳴りを聞いたのはグラムと共闘している時のみだ。おそらく、力を蓄えるので必死なのだ」
「ヨルを倒すため……というか壊すために、か。すごい執念だね」
手がかりらしい手がかりもないまま病院の周辺を一周し終えてしまった。
「気は済んだか?」
「何か手がかりがあれば、と思ったんだけど……」
鼓膜が急に高音で揺さぶられる。頭が痛くなりそうな金切り音。耳を塞いでもはっきりと聞こえる。魂鳴りだ。
――痛い。苦しい。助けて。なんで、なんで!
ただの金切り音のはずなのに人の言葉に聞こえる。
「小僧、どうかしたのか?」
ヨルにはまったく聴こえていないらしい。
――ただ私は、愛して欲しかっただけなのに! どうして! 叶えてくれるって言ったじゃない!!
金切り音の後は小さく弾ける音が数回なる。イメージとして流れてくるのは電気回路がショートしかかって、弾ける電気。壊れた基盤が目の前に現れる。
基盤にはミノムシのように顔も足もすべて銅線で埋め尽くされた人型の何か。本来判断できないはずなのに響司には銅線の中に女性がいるように見えた。
銅線は時々動く。逃げようとしているのだろう。熱くなっているのか、基盤と銅線は赤く赤く色を変えていく。
――やだ。熱い、たすけ……。
声が止むと、イメージが強制的にかき消されてしまった。
三半規管も揺らされたのか響司は身体が安定せず電柱に肩を預ける。
悪魔のノイズでもなければ人の魂鳴りとは到底思えない音。まだ鼓膜と頭が痛い。
「なんか変な音が聴こえた。高くて、耳が痛くなる音。人の悲鳴に聞こえた。その後、大人の女の人が死ぬ光景が見えたんだ……」
手が震える。命が潰えたことが分かってしまった。
「小僧が耳を押さえたと同時に人間が一人死んだ。かなり遠方だ。小僧……貴様は魂の何を聞いているのだ……」
ヨルの言っていたことは本当だった。
帰宅後に見たニュースでまた焼死体が増えたと報道されたのだ。死んだのは女性だった。
ニュースを見て、ヨルは低い声をさらに低くさせて言う。
「小僧はワシと違う音を聴く。聴きすぎるな。小僧は人間なのだからな」
頷きはしたが、魂鳴りをシャットアウトなんてしたことがない。自然と入ってくるのだ。死すら感知する。それも死の光景がイメージとして流れ込んでくる。
(……でも、これでヨルの知らない音で『烙炎』の動きが分かるかもしれないなら)
響司は自分の耳の付け根を触って、まだ焼死体について話すニュースキャスターを睨みつけた。
コロナになって投稿ペースが乱れてます。
治ったら戻るからね




