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日常は止まらない。
寝て起きれば学生としての生活が始まる。授業で身体と頭を使えば昼頃に空腹になる。当たり前で、どうしようもないことだった。
「あちゃー、出遅れたか」
「購買でかなり時間取られたからね」
昼食の入ったビニール袋片手に食堂の入口で立ち尽くす晴樹と響司。
冷房の効いた食堂は生徒たちで席が埋まっていた。入口で席が空くのを待っている人たちが固まっていた。
「どうやっても今日は涼しいとこで食えそうにないな」
「教室戻る?」
「冷房が効いてるとは言えないあの教室にか?」
響司たちの教室にも冷房はあるにはあるが、職員室に取り付けられた操作盤で強制的に風力を弱設定にされている。温度は二十七度。
外よりはマシ程度だった。
冷房の設定はどこのクラスも同じらしく、自然と生徒たちは食堂に集まってきてしまうのだった。
「ちょっと、お二人さん」
響司は肩を軽く二回叩かれる。
後ろを向くと、姿勢のいい長い黒髪の少女がいた。少女――逢沢紀里香の存在に気付いた生徒たちがざわつく。
「逢沢さん?」
「食べるところなくて困ってるんでしょ。場所、提供してあげるわよ」
「マジか! いや、でも、なぁ?」
周囲の生徒の一部から嫉妬の籠った視線を感じて晴樹は怖気づいた声を出した。
「周りでいちゃもんがある人がいるなら直接来なさい。私、陰でコソコソされるの嫌いなのよ」
演劇で培ったであろう透き通った声で嫌いの部分を強調しながら紀里香は言い放つ。
強い嫌悪感を示す台詞が空気を侵食中、紀里香だけが変わらぬ姿で立っている。
「行くわよ」
紀里香は周りの目を集めながら食堂を離れていく。
呆気にとられている晴樹と他の生徒を見て、響司は笑みをこぼす。
(いい格好をし続けるのやめたんだ)
周りの目が気になるから、とやってこなかった威嚇とも言える行為に響司は不思議と安心してしまっていた。
晴樹がついて行くか、と言う代わりに歩く紀里香の背中を指差す。響司は素早く頷いた。
「逢沢って変わったよな。あんな男前な事、今まで言わなかっただろ」
「聞こえてるわよ」
「イヤだったか?」
前を向いたまま先を歩く紀里香に聞こえていると思っていなかった晴樹が顔を引きつらせていた。
「嫌ってほどじゃないけど男前って評価は複雑ね。一応、女の子だもの」
紀里香に早足でようやく追いつく響司と晴樹。教室棟に戻る廊下を通り過ぎたところで、紀里香が向かっている場所は科目棟のどこかであることを察する。
「でも格好よかったよ」
響司が言葉を返すと、紀里香は口を尖らせて脇腹をつねってきた。
歩きながらつねられたので、身体があらぬ方向に反り、こけそうになる。
「なんでっ!?」
「格好いいって、刹那くんには言われたくない」
「えぇ……」
どう反応を返したらいいか見当もつかず、ただ声を漏らすことしかできなかった。
「逢沢っていつも弁当だよな。九条といつも弁当持ってどこか行ってるし」
晴樹の言葉で響司ははっとする。科目棟に向かっていることから、どこに行こうとしているか見当がついたのだ。
「そうね。ただ今日はご飯だけがないのよ。だから購買でおにぎりを買わなくちゃいけなかったの」
「ご飯だけって、どういうことだ?」
「お母さんがいつもお弁当を作ってくれてるんだけど、ご飯を炊き忘れちゃったのよ」
「それは、大変だな……」
紀里香の乾いた笑いに晴樹は当たり障りのない言葉を選んでいた。
昼休みに科目棟へやってくる人は少ない。人が減る中、騒がしい教室が一つだけあった。
「美術室の準備室のほうか?」
晴樹も気がついたらしく訝しげに眉をひそめていた。
「また騒いでる……。二人は気にしなくていいからね」
美術準備室の扉が開くと、涼しい風と人の声が廊下にあふれ出してきた。
「だーかーらー! 文化祭で紀里香んに可愛い服を着せるべきだし!」
「いやいや、男装でしょ。女の子が女の子の服着るのは普通。劇の中で普通はナンセンス。わかる? わからないかー。男装女子の魅力分からな……い?」
美術準備室の中で金髪でアクセサリーを身に着けた女子と肩にかかるぐらいの髪に眼鏡を付けた丸顔の女子が机を並べて座っていた。
丸顔の女子は響司たちを見て、口を中途半端に開けて固まった。
金髪の女子――九条彩乃は席を立った。
「はぁー!? 紀里香んはどんな服着ても最高ですが? ウチの最高にカワイイ――いっだいいっだいいだい!」
彩乃の頬に容赦のない紀里香のつねりが入る。
「おかえり」
「まだ文化祭で私に何かやらせようとしてたのね」
「だって大会と違って趣味全開でいいワケだよ? やりたい放題見放題なワケよ?」
「私やクラスメイトの意見を無視しないで、千佳」
千佳と呼ばれた眼鏡をかけた丸顔の少女も響司たちと同じクラスだ。清水千佳。それが彼女の名前だ。
接点らしい接点は何もない。挨拶をしても頭を下げるだけで喋っているところを見たのですら初めてに近い。
「早く放して! 頬っぺたとれちゃうし!」
「大声出してたら昼に準備室使えなくなるでしょ。前に注意されたの忘れたの?」
「静かにするからぁ!!」
ため息をつきながら紀里香は暴れる彩乃を解放した。流れるように奥から椅子を二つ持ってきて、女子三人がいる机の横に置いた。
「ここ使って」
「ぐるぐるぐるぐる」
「彩乃、威嚇しないの」
「あい……」
返事をしながらも猛獣のような視線が響司に突き刺さる。
色とりどりのネイルが今だけ武器に見える。
「なんか、演劇部に所属してる奴って教室にいるとき猫被ってるのか?」
「演劇部員はみんな役者なんだよ、多分ね」
「急に自信なくすなよセツ。言い切ってくれ」
晴樹のツッコミに響司は笑ってごまかす。今、この場に自分がいることに違和感を感じながら。自分は常識と非常識のどちらにいるのかと自分に問いかけながら。




