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病院に群がっていた悪魔たちを一掃したヨルは響司と智咲のいる病室の壁をすり抜けて侵入する。
慌てた様子で響司が智咲の肩を揺らしていた。後ろから覗き込むと、智咲は目を閉じたまま反応がない。ゆったりと流れるオルガンのような魂鳴り。
死んではいない。しかし、ヨルは智咲の状態を見て、すべてを察してしまう。
「やめておけ、無駄だ」
「ヨル! なんか突然智咲さんが意識失っちゃったんだよ!」
響司の血色が悪かった。力の使い過ぎと不意に起こった出来事の二つがそうさせているらしい。
「もうじき、目を覚ますから安心せよ」
ヨルの言葉に反応するように智咲の目が開く。今まで見たことのないスッキリしたような表情をしている。
「あら、まだいたの?」
「まだって、さっきまで悪魔……のような危険な人がいたんですよ。グラムさんがなんとかしてくれましたけど」
手をわたわたさせながら取り繕う響司の背中をヨルはじっと見た。この後起こる光景を想像して、ため息が出てしまう。
「グラムって重さの単位よね?」
「そうじゃなくて……界さんの友達の!」
ヨルは必死に訂正する響司が見ていられず、病室の天井に視線を移す。
「聞いたことがないわ。その人が危ない人を追い払ってくれたの?」
明らかに噛み合ってない会話。
響司がヨルの左手を握った。視点を落とすと、混乱している響司がいた。言葉を発せず、首を横に二回振った。
「外で話そう。あの女にはワシが見えとらんらしいからな」
子供を危険な場所から引き離す親のようにヨルは響司を智咲から距離を取る。
「あの、界に会わせてくれてありがとう。指輪、大切にするわね」
響司はうつむいたままだった。数滴落ちた涙が暗い病院の床に残る。
後ろを振り返ると、智咲は笑顔で小さく手を振っていた。笑顔は本心から来るものだろう。曇りのない笑顔が、あまりにも残酷すぎる。
「行くぞ」
ヨルは手を引いて、響司を病室から無理やり出す。
出した後は、人除けの結界を張って、病院の外に向かう。
廊下をゆっくりと歩いていると、ヨルの左手が後ろに引っ張られた。まだ下を向いたままの響司が立ち止まっていた。
「ねぇ、グラムはどこに行ったの?」
胸の中の不完全燃焼なものをタバコの煙のようにヨルは吐き出す。白い煙はでるはずもなく、ただ気持ちの汚れが浮き出ただけだった。
何も答えずにいると、また左手を引っ張られた。
もう一度息を吐いた後、ヨルは口を開く。
「――ワシが喰った」
響司は口を少し開けたまま絶望の瞳を向けてくる。
「なんで? ヨルが悪魔を食べるのは知ってるよ。でも、なんでグラムを食べちゃったのさ!」
病院の廊下で反響する声。人除けの結界がなければ誰かが駆けつけて来そうだ。
無視して病院の外に出ようとするヨル。
目の前に一枚の結界が張られた。誰が張ったのか、一目でわかる。貧弱な出来。
ヨルが結界に息を吹きかけると、簡単に結界は壊れてしまった。
「弱った小僧の結界なぞ、ワシには効かぬぞ」
「ヨル!」
力の使い過ぎでまた魂の乖離が起こっても面白くないので、ヨルは響司の問に答える。
「それが『雹剣』と呼ばれた剣の悪魔の願いだったからだ。次、戦えば消滅することを悟っておった。その上で戦った。最期はワシに力を託して逝った。愚か者だ」
「グラムは愚かなんかじゃないよ! 優しくて、強くて、礼儀正しい悪魔だ!」
「本来、悪魔に死の概念はない。ただ存在するかしないかの二択じゃ。ただ消滅するだけなら悪魔の生まれた闇に戻るだけだ。再召喚されて人間界にやってくることもあるじゃろう。悪魔に喰われれば闇に戻らず力になる。人間の魂が降霊出来ぬのと理屈は同じじゃのう」
通常の消滅を選んでいれば、まだ存在があった。再会する未来があった。ヨルに力をすべて注ぎ込んだグラムにはもう会うことはない。
「――愚か者だ。本当にな!」
ヨルは怒気をはらませた声をさせて、響司の手を振り払った。涙が止まらなくなっている響司を見て、いなくなってしまったグラムに腹が立つ。
「智咲と会話がおかしくなったのもグラムが完全に消滅したからだ。小僧がグラムのことを覚えているのはワシが覚えているためだ。ワシと契約が切れれば小僧も忘れるはずだのう。のう」
「ヨルも食べられれば消えるの?」
「無論だ。もちろん契約が切れた後、時間が経てば何もかもが無くなる。悪魔とは世界に不要な魂の存在じゃ」
「嫌だよ! 忘れたくない! またヨルが視えなくなって、いなくなったら誰が退屈しのぎにつきあってくれるのさ!」
「小僧よ、ワシは悪魔。貴様は人間で、契約者だ。違う存在なのだ」
泣いている響司にイライラしながらヨルは左手の爪で響司の額をつついた。
「それでも、僕は……」
歯切れの言い方をして、響司は黙ってしまう。
涙の止まった目は、髪の毛で隠れていても、隙間から腫れているのがわかる。
ヨルは無言で響司の頭を軽く撫でた。硬い人間の髪。ライゼンとは違う感触だった。
「なんで撫でるのさ……」
質問されてヨルもわからず、左手を眺めて、黒い靄の身体に隠した。
「帰るぞ。忌み名持ちの悪魔が現れて疲れた。ワシに恨みを持っとるからちょっかいをこれからかけてくるやもしれぬ。回復できるときに回復しておきたい」
響司が歩いてきた病院の廊下を振り返り、胸に手を当てて動きを止めていた。
――グラムに向けた黙祷だった。
「絶対に、忘れないから」
涙を腕でぬぐって、響司はヨルの隣を通り過ぎた。
「帰ろう。僕も疲れたよ」
無理をして笑っているのがわかって、ヨルはまた息を吐く。さっきまでとは違う意味で。
深夜の病院を一体と一人は後にした。
中間テストが終わった後、病院を訪れたときには智咲の病室からネームプレートはなくなっていた。手術が成功したのか、失敗したのか、響司は誰にも尋ねなかった。
――知らないのも怖いけど、知るのも怖いから、だそうだ。
病院の帰り道で、入院棟を見つめている美人がいるという噂を耳にした。時折現れてはスーツ姿でベンチに座って、病院を眺める。数分したら立ち去るらしい。
きっと、そういうことなのだろう。
この章はここまで。ちょっと夏休みもらいます。帰ってくるの8/20ぐらいです。




