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ヨルが左手を爪を振り下ろして病院に入り込もうとする悪魔を叩きつける。
倒された悪魔は元々弱っていたらしく、黒い靄が空気に溶けるように消えていった。
「ワシらをいたぶりながら忍び込む隙を作る気らしいのう」
「本能のまま魂を喰らう下級悪魔にしてハ、考えているらしいデスネ」
病院の屋上でヨルとグラムが周囲をぐるりと見まわした。
いつもであれば見えている道路も建物も悪魔の黒い靄で遮られてしまっている。
「ちまちまと面倒な」
黒い靄は時間が経つにつれて、広く、濃くなっていく。
「減るどころか増えていマス」
グラムが剣を杖の代わりにして立つ。
界の姿になり、智咲の魂を刺激する作戦は成功した。しかし。野良悪魔のグラムには変身能力の消耗が激しすぎたらしく動きが鈍くなっていた。
グラムの肩にヨルの左手が置かれた。
「小僧には少しばかり耐えてもらうかのう」
ヨルは力の一部をグラムに流しこみ始める。
「何をやっているのデスカ!」
ヨルの力の源は響司の魂だ。欲無しである響司の魂へ無暗に負荷をかけるのは良いことではないとグラムは理解していた。
「退けと言っても貴様は戦うだろう。ならば足手まといならぬようにするだけだ」
「力を渡せバ、ヨル様が本気を出せなくなりマスヨ……」
「前にも言ったが、ワシの契約者は未熟者の半端ものなのでな」
「本気が出せない、ト?」
ヨルは力を流し終えると、空を見た。漆黒の靄から赤黒い光がゆっくりと下りてくる。
赤黒い光の中にあった恐ろしい光景にグラムは身体が強張った。
血塗れの大剣が死体の山の上に刺さっている。死体の山が鞘であると主張するように深く深く突き刺さている。死体はすべて水分を失い、黒く焦げている。
大剣が死体の中から抜かれた時、剣身が見えなくなるほどの赤黒い炎が大剣を包み、熱で大気が揺らぐ。
「雑魚共に下らぬ策を教えたのは貴様か、『烙炎』」
ヨルの声でグラムは現実に引き戻された。
先ほどまで見ていたのは、グラムの力で見た魂の形だ。剣だけでなく、風景すら作り出せるのは、強い力の持ち主だけ。
赤黒い光が弱くなり、本当の姿を現す。
人型の炎が空に浮かんでいた。五体満足の身体を持つ炎。ヨルは『烙炎』と忌み名で呼んでいた。悪魔や人を喰らうことよりも、壊すことだけを目的に殺戮を繰り返した古の悪魔だ。
ただ『烙炎』は完全な人型ではなく、脚が欠損したような悪魔だとグラムは記憶していた。
「その声、その爪……本当に本物の『夜兎』かな。これで復讐ができるってわけかっ!」
「貴様はライゼンが封じたはずだがのう。のう」
「ライゼン。あぁ! あの人間のせいで力をほぼ失った! ようやく外に出てきたというのに人間の身体を渡り歩かなければ今にも消えかねない種火さぁ!!」
「渡り歩く……その身体ハ!」
『烙炎』の身体は生きている人間の身体だ。
憑依で魂を喰らいながら、感覚をすべて乗っ取り、無理やり操る。響司とグラムのやった憑依の恐ろしくも正しい使い方だった。
五感を奪われた人間は痛みも苦しみも知らぬまま『烙炎』の燃料となっていく。
たまに舞う黒い欠片は炭化しきった人間の一部だろう。
「横にいるのは……『雹剣』かな? 随分とみすぼらしい恰好になったものだなぁ! 人間を喰らえばいいのになぁ」
「人の魂を喰らえば力は戻り、この世界に留まることが出来るデショウ。しかし……」
グラムは剣を抜いて、炎に空色のソートソードの剣先を向けた。
「貴方のような破壊者になるつもりはナイ!」
「楽しいよ? 人間の悲鳴はよぉ。人間が壊す楽しさを教えてくれたんだから壊されても仕方がないじゃんねぇ? 『夜兎』も分かるだろう?」
挑発するように炎がハートの形を作った。
ヨルは一瞬で姿を消して、爪で炎を切り裂く。
人間だったものは、脆く崩れ去り、黒い粉となって空に沈む。
炎は人間の身体が壊れると同時に失せてしまった。
「『烙炎』の奴め、一部を人間に宿して本体はどこからか見物を決め込んでおるな。ワシの耳の範囲外だ……。腹が立つのう! のう!」
「野良悪魔や契約者を操り、嬉々として関わったすべてを破壊する悪魔デスカラネ」
何もない闇の中で生まれた悪魔たちは楽しいことも苦しいことも知らない。契約悪魔として人間に呼び出され、初めて闇の異質さとつまらなさを知る。
知った後は悪魔によって違う。人間の醜さに絶望する者もいれば、破壊を快楽だと認識する者もいる。
『烙炎』はヨルとグラムとは対極の感情を得た悪魔だった。
「グラムがワシの忌み名を外で出したから面倒な奴まで引き寄せてしまったのだぞ?」
「己の軽率さを実感しているところデス。あのような化け物まで来るとハ、思ってもいまセンデシタ」
「知恵のない雑魚であれば簡単に終わっただろうが『烙炎』が裏にいるとなると話は別だ」
大量の悪魔たちが病院を囲み、戦えるのは二体の悪魔。簡単にやられないだけの実力があるとはいえ、使える力には限度がある。
悪魔を喰らって回復したとしても、消耗量と比べれば消耗量が多い。時間がかかればかかるほど一方的にヨルとグラムが削られるだけだった。
「昨日、ワシのことを知っている悪魔が数体いた。アレも『烙炎』が情報収集するために仕向けたものやもしれぬな……」
「身体を失っても狡猾さは健在ということデスカ」
「短期決戦といくかのう。今回は二人で前に出るぞ。待っていては相手にいいようにされるだけだ。奴に策を練らせるな」
ヨルは四本の指先から糸を垂らした。垂らした糸に黒い靄を纏わせる。
「分かっていマス」
グラムの周囲の空気が白くなる。白くなった空気は下へ下へと落ちていき、地面に触れると凍った。
ショートソードを横に強く振るグラム。
白い空気の斬撃が空気を凍らせながら空の漆黒まで飛ぶ。
黒い靄に触れた斬撃は広がり、氷で悪魔たちを包み込む。氷は地上まで落下し、地面にぶつかってダイアモンドダストのように輝く粒子へと変わる。
「守るべきモノのため、全力を出しマショウ」




