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病院から帰ってきた響司は風呂で汗を流して、自分の部屋でひと段落ついていた。
机の椅子を引いて、座り、教科書の入った鞄から筆箱とノートと教科書を取り出す。
中間テストに対してやる気は一ミリも沸かない。ただ赤点を取った後、補習や特別課題で時間を奪われることがいやだからやるだけだ。
悪魔と関わってから薄くなっていた日常が色を取り戻そうとしているように響司は感じた。
化学の教科書を開けて、重要な単語に引いた黄色のマーカー部分を暗記用のノートにひたすら書いていく。
「……うぅむ」
非日常の塊であるヨルはライゼンのオルゴールのある部屋ではなく、響司の部屋で唸っていた。
定期的に聞こえるヨルの声が勉強に集中しようとする響司を妨害する。
「勉強中は静かにしてよ。使える時間が限られてるんだから」
「他人の世話をせずに時間を確保していればいいのではないかのう」
「ヨルが退屈しのぎになるんじゃないか、って言ってグラムの依頼を受けるように言ったんじゃないか」
「ワシは提案はしたがそれ以上のことは何も言っておらぬぞ」
強制も脅迫もヨルはやっていない。引き受けることを決めたのは響司自身だ。
ヨルの言い分の方が合っていると響司は不服ながら理解して、ため息を吐く。
「で、さっきから唸ってるのは何? 珍しいよね」
「グラムも小僧も、そしてライゼンも己の持つ何かを削ってまで他人に尽くす。納得出来ぬのだよ」
「別に納得しなくてもいいんじゃない? ヨルはヨル。他は他だよ」
「普段のワシなら、つまらぬ思考だと切り捨てているとも。しかし、納得出来ないという事実が納得出来ぬのだ」
ヨルが小難しいことを言い始めて、響司は混乱し始める。
「納得出来ぬから虫唾が走る。他を優先するよりも己を大切にした方が遥かに有意義だからだ。ワシからすれば最低最悪な選択のはずなのだ。なのだがのう。のう……」
ヨルが顔を上にして固まった。
部屋の天井には白い壁紙しかなく、変わったものはない。ヨルの視線は揺らいでいる様子はなく、確かに何かを視ていた。
「ライゼンは言った。今は分からずとも分かる時が来るだろうと。ワシがすべてを理解したときワシの持つ問に答えが出ると」
「その問って聞いてもいい?」
「『人間のライゼンは悪魔のワシを何故、助けたのか』だ。ライゼンに尋ねても奴は絶対に答えなかった」
ヨルは響司と目線を合わせて、左手で骨の顔を覆った。四本の指で、肉もないで大きな草食動物の頭蓋は隠せるはずもなく、指の隙間から顔が見えていた。
「契約悪魔にまた戻ったのは答えを知るため?」
「半分はそうだ」
響司が半分の意味を問おうとすると、ヨルが鼻歌を奏で始める。
ヨルの低い音は寂しさを伝えてくる。
静かに聴き入っていると、ところどころ聞いたことのあるメロディが混じる。
(保健室で寝ていた時に聴いた曲だ。あの糸はやっぱりヨルだったんだ。でもこれって……)
二度聞いた今なら確信を持って、ライゼンのオルゴールと似ていると言える。ライゼンのオルゴールが奏でるのはオルゴール特有の金属音からか、明るく聞こえる。対してヨルの鼻歌はしっとりとしていて、暗い。
「ライゼンさんのオルゴール、だよね?」
「元々はワシが気まぐれで作った曲だ。それを奴が勝手にオルゴールにした。改変したものではあるがな」
響司の目にはヨルが穏やかな表情をしているように見えた。
「ちなみにもう半分は野良悪魔であっても契約悪魔であっても面倒な柵から逃げられぬことを悟ったからだ。小僧が満足に生きるために学び舎に行き、勉学に励まざるおえぬのと同じじゃのう。のう」
「勉強から逃げられないって言いたいの? まぁ、その通りだけどさ」
「ワシの契約者なのだ。つまらぬ生き様、下らぬ死に様はワシが許さぬぞ」
「なんでヨルが許さないとか言うのさ!?」
「小僧の人生そのものがワシにとって最高の退屈しのぎだからに決まっておるじゃろう」
「当たり前みたいにさ……」
最後まで言わず、また勉強に響司は戻ろうと机に身体を向き直す。
「そういえばグラムの代わりに智咲さん守ってたんでしょ。ありがとう、ヨル」
「グラムが感謝するならわかるが、小僧が感謝するのは訳が分からぬぞ」
「言いたくなったから言ったんだよ。僕、勉強に戻るから邪魔しないでよ?」
「承知した」
横目でヨルが扉をすり抜けて部屋を出て行こうとしていたところで、響司はグラムの言葉を思い出す。
「一個だけ質問」
「なんだ」
「ヨルは人間に期待ってしてるの?」
――契約悪魔たちは人間に期待する。
何を期待しているのは不明だが、ヨルもそうなのか響司は気になったのだ。
ヨルは扉から顔だけを出したままで、豪快に笑った。
「ワシが人間なぞに期待する? あり得ぬな。ワシは人間に失望させられっぱなしじゃ。唯一期待しても良かったのはライゼンぐらいなものだ」
「僕は?」
「欲無しに何を期待すればよいのだ。欲を持ってから言え、馬鹿者」
ヨルは顔を引っ込めて、扉から消えてしまった。
「ライゼンさんのこと、やっぱり大好きじゃん」
唇を尖らして響司は呟く。そして、見たくもない教科書にまた目を向けた。
「指輪作りもあるしちゃんと勉強しないとな……」
気を引き締めて、一人で勉強を始めるのだった。
もしかしたらまた体調崩して更新ずれるかもしれません




