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床には学校の鞄とジッパーが開けっぱなしの筆箱。
筆箱から出した黒のサインペンを使って、ホワイトボードに陣を描き込んでいく。最後に円の中に小さな三角形を一辺を描き終えた。
「描いたよ」
ヨルにつつかれまくってまだ痛い後頭部をさすりながら、響司は二体の悪魔に報告した。
「グラム。交代だ」
「わかりマシタ」
ヨルが結界を張り、グラムが張っていた結界を解く。
さっきまで響司たちを守っていたグラムの結界が解けたとき、ほんのり流れていた冷たい空気がなくなった。冷たい空気は嫌悪感を与えない不思議なもので、いつまでも浸っていたいものだった。
肌に触れている今の空気から草原の匂いがした。匂いは鼻先をかすめた後、消えた。
確認するように鼻をひくひくと動かす響司。消えた匂いは戻ってくることがなかった。
「どうかされマシタカ?」
「誰が結界張るかで違ったりするのかな、なんて思っちゃって。なんとなくだけど」
「結界トハ使用者の写し鏡。使用者の在り方や心境で結界の質は変化しマス。変化を感じ取っているセツナ様は感覚が鋭いのデスネ」
「じゃあ今の感覚はヨルのものなんだ」
響司とグラムの間に白い爪が四本割り込んできた。
「また突かれたいか。それとも目玉をくり抜いてやろうかのう」
「分かったから左手をしまって、ほら」
ドスの利いたヨルの声にびくつきながら響司はホワイトボードに手を置いた。
描かれた陣に力を込める。
「グラム、契約者さんのことを思い出して、呼びかけて。悪魔に食べられてないなら僕が呼んで見せるから」
「大丈夫デスヨ。ちゃんと主様がこの世を去るところを見届けましたノデ」
グラムが陣の前に立つと、陣を構成する線が輝き始めた。
前回のように命が削られる音がしない。それどころか認識阻害の結界を自分で張った時よりも遥かに楽だ。
陣に引き寄せられる強い魂がある。
「今だ!」
釣りのアワセのように、陣の中心に魂が来たタイミングで力を一気に込めて、引きずり出す。
「どわぁぁぁぁ!!」
降霊の陣から人型の何かが勢いよく飛び出してくる。
半透明の人型は床の上を滑っていく。
「いってぇ! なんだなんだなんだ!?」
ゆっくりと立ち上がった人型は男性だった。一八〇センチは確実に超えている身長と分厚い胸板。太ももが響司の細い腕二本以上に膨れるぐらいの筋肉がある。
「成功したの……?」
グラムが男性の前で片膝をつき、頭を下げた。
「お久しゅうございマス、我が主」
「……グラ、ム? おいおいおい、どういうことだ? 何で俺の前にいやがるんだ?」
「死者の世界から突然のお呼び建て、申し訳ありマセン。御教えいただきたいコトがあり、後ろにいるセツナ様にお力によって、またこちらに来ていただきマシタ」
グラムの主と響司の目が合った。グラムの主は次に誰よりも大きなヨルを見上げていた。
「契約者とその悪魔、か。人の魂喰う悪魔がいるんだから死者を呼び出す力があってもおかしくはねぇのかもしれねぇけど、けどなぁ……」
「あちらの方々を責めないでくだサイ。ワタクシが願ったから主様をお呼びすることになったのデス」
「別に責める気はねぇよ」
興味深そうにグラムの主は響司とヨルを見た。
「えっと、何か?」
「珍しくてな。俺と同じ契約者と会ったのが初めてでよ。と言っても死んだ後に出会うなんてこれっぽっちも思ってなかったが……。そういや名乗ってなかったな。俺は天草界だ」
「刹那響司です」
「おう。よろしくな。しっかし、馬鹿デカイ契約悪魔連れてんだな」
「ヨルが怖くないんですか?」
骨と黒い靄だけの見た目のヨル。動く空色の西洋甲冑のグラムよりも恐怖度は高く思えた。
「契約者として十年以上過ごしてる間にもっとグロいのとか臭いキツい奴らに出くわしたからな」
視覚や嗅覚を責めてくる悪魔に出会いたくない気持ちでいっぱいになった響司の目に、界が着ている服の袖のワッペンが映る。
骨を加えた白い犬が飛脚のような恰好をしていた。誰でも一度はCMを見たことがある宅配会社のマークだ。
「宅配屋さんだったんですか?」
「まぁな。その仕事中に事故って死んだんだが。つーかよぉ」
まだ片膝をついているグラムのヘルムを界は引っぱたいた。
「いい加減泣き止めや。あと立て。生きてるときも何べんも行ったが主様やめろ」
「泣いてなどいまセンヨ」
「顔は見えなくても分かるわ。ったく」
グラムが立ち上がって、同じぐらいの身長が並ぶ。
「てか、教えて欲しいってのは俺の死んだ話か?」
「それは……誠に申し訳ありマセン!」
「だーかーらー! 膝つけんな! 従者になれって言った記憶はねぇんだよ! 相変わらずめんどくせぇなぁ!? 話進まねぇぞ、おい!」
自分の頭を両手で押さえて叫んだ界とまた片膝をついて動かなくなったグラム。
真面目なグラムは今の状況を話しづらいだろう、と見かねた響司は界に話しかける。
「実は天草さんの彼女さんが大変なんだ」
「智咲が?」
神妙な顔つきになった界が顔を響司へと向けた。
「天草さんが死んじゃって、生きる気力がなくなっちゃったから死にかけてるって」
「死!? おいおいおい、冗談じゃねぇぞ! 智咲を置いて死んじまった俺がいうのもおかしいが、幸せになって欲しいんだよ……」
界は顔を下にしたままのグラムを睨んだ。
「グラムがさっきから謝ってるのはそういうことか……」
界は右手の拳をグラムの頭に振り下ろした。がん、という鈍い音が廊下に伝わる。
「俺が殴ったところで痛くもかゆくもねぇだろうがこれで許す」
「託された命も守れなかったのデスヨ! この程度で許されては困りマス!!」
「かっちかちの頭がよぉ!? 堅苦しいのは見た目だけにしとけや!」
リズミカルにそして、高速でグラムの頭を界は何度も叩いた。
契約悪魔の頭を叩きまくる契約者を見て、響司は呆然となる。
「契約悪魔と契約者の関係って色んな形があるんだね……」
「ワシの頭を叩いたら、抉るぞ」
「どこを!?」
叩く音が止んだところで界は頭を抱えていた。
立ち上がったグラムには今まで見せていたきびきびした動きは消え、見たことがないぐらいに落ち込んていた。
「智咲が死にかかってるって話だったな。俺に何を聞きたいんだ?」
「例えば、智咲さんが好きだったものとか天草さんとの思い出とか。生きる気力を与えるキッカケになりそうな情報があれば少しでも教えて欲しいんです」
「初対面の相手に羞恥度全開の話をしろって結構キツいな」
響司は自分が界の立場だったら、と考えて苦しくなった。顔を紅くして何もしゃべれなくなる自信がある。
「いいけどな」
「いいんですか!?」
「それで智咲が元気になってくれるなら俺の羞恥心なんてどうでもいいってことさ。そうだな、中学の出会いから話してやるぜ」
歯を見せて笑う界がどこか眩しかった。
「ちょっと待ってください、メモします!」
響司は慌ててスマホのメモアプリを開いたのだった。




