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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
交差点の悪魔
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 病院から家に戻ってきた響司はスーパーの袋を片手にキッチンへ向かった。


 帰宅途中に寄ったスーパーで買った食品を空きスペースだらけの冷蔵庫に入れていく。味噌のストック買ってきていないことに気づいた。残っている味噌は小さめのタッパーに三分の一ぐらい。週末は乗り切れそうだった。


 月曜日の学校帰りに買いに行けば問題なさそうだった。


「豆腐は晩御飯で使うから取り出しやすい手前において……」


 電子レンジのタッチパネルに表示された時計を見ると、午後五時だった。朝からずっと食べ物を口にしていない。

 

「軽くカップ麺でも食べますかー」


 食器棚の下には、自分でご飯を作るのが面倒になったとき用の棚がある。ごはんパックからカップ麺、レトルトのカレー、缶詰が蓄えられている。


「晩御飯に味噌汁作るから味噌ラーメンの気分じゃないからー、醤油で」


 麺やスープよりも、毛筆で大きく『醤油』と主張するカップ麺を手に取った。


 電気ケトルを使おうとして、持つと重かった。電気ケトルの中を覗き込むと水が入っている。昨日コーヒーを飲むのに作ったお湯の残りだ。完全に冷めて水になっている。


(さすがにこのままケトル使うのは怖いから洗おう)


 電気ケトルに入っている水をすぐにシンクに捨てた。


 小さめの片手鍋をシンク下の棚から出して、水を入れ、IHコンロの電源をつけた。


 お湯が沸くのを待っている間、響司は母親の写真があるタンスの前に正座した。

 目を閉じて手を合わせる。


(ただいま。今日は車に轢かれそうになったんだ)


 頬の半分を隠す大きな白い絆創膏を撫でる。


(でも、ヨルが助けてくれたんだ。顔は少し怪我したけど跡は残らないってさ)


 片目を開けて、ヨルの様子を盗み見る。ベランダの前に静かに立っている。外を眺めているのか、寝ているのかまではわからない。身体の靄は相変わらず揺らいでいた。


 響司はヨルに確認していないことがあるのを思い出して、立ち上がる。


「どうして僕を助けてくれたの?」


 ヨルは顔を下に傾けた。


「ワシと契約したのだ。他の悪魔に殺されては恥よ」

「プライドの問題なんだ。とりあえず助かった。ありがとう」

「悪魔相手に感謝なぞするでないわ。馬鹿者」


 口は悪いし態度も大きい。おまけに何を考えているのか、表情がないからわからない。それでもヨルは、響司が話しかければ返答をする。

 病院で見た悪魔のような恐ろしさもない。


 響司が想像していた悪魔像は魂を奪うことしか能のない死神もどきだ。ヨルは違う気がしていた。


「馬鹿者ってなんだよ。僕の名前は響司だって言ってるのに」 

「……罵られて笑うとは変わっておるな」


 引き気味のヨルに響司はさらに笑った。


「家に帰ったら一人が当たり前だったんだ。今はヨルと話ができるから」


 いつの頃だったか覚えてはいない。何をしても虚無感に捕らわれる瞬間が出てくるようになった。笑っていても泣いていても突然、感情に凪がくる。凪になったら、次に心臓が止まって、思考が死ぬ。

 

 ある種のフリーズ状態と言っていい。一瞬の出来事で周囲からは認知されない。知っているのは自覚している響司だけだ。


 中学に入ってからは酷くなっていった。退屈になると、周囲の人間もモノも変化を続ける中、自分だけが停滞していた。瞬きを一回する間に収まる謎の感覚。


 響司にとって、この世で一番恐ろしい時間だ。

 

「退屈がくると僕は死ぬ。ひと時だけど確実に死ぬ。だから、死なないことが嬉しいんだと思う」


 一度も退屈という名の死神はやってこなかった。

 退屈を感じなかった日は心穏やかになる。しかし、今日は心にはささくれができていた。


 帰りに気になって『呪いの交差点』を覗いたときに悪魔の姿はなかったが、女の子はずっと泣いたままだった。

 見えているのに、何もできない自分が辛かった。

 

「なんとか出来ないかな」

「やめておけ」


 響司が言葉を漏らすと、ヨルが強い語気で言い放った。


「死にたいのか貴様は」

「そんなつもりはないけど、知らんぷりをするのは好きじゃないんだ。だって、誰も得しないじゃん」


 ヨルが鼻で笑った。


「その反応は何さ」


 抗議の視線を響司はヨルに送った。

 沈黙したままヨルは無視をする。


 話が途切れたところで、インターホンが鳴った。通販でモノを買った記憶も宅配を頼んだ記憶もない。人が尋ねてくることも稀だ。


 響司はキッチンの横にあるモニターのスイッチを長押しした。


 モニターの電源が付いて、インターホンを押したであろう少女が映る。滑らかで長い黒髪とは対照的な透き通るような白い肌。目尻のくっきりとした目がモニター越しに響司を見つめていた。


 少女のことを響司は知っている。知っているが、自宅を教えるような間柄ではない。状況が呑み込めずに眉間に皺を寄せた。


「すみません。刹那くんの家で合ってますか?」

「合ってるけど、逢沢さんがなんで(ウチ)に?」

「宿題のプリントを届けに来たの。大山くんが部活で行けるか分からないからって」


 逢沢(あいさわ)紀里香(きりか)は学校指定の黒い鞄からプリントを取り出した。


 数学Ⅱと丁寧に大きく印字されたプリントをモニターに近づけてくる。 

 高校二年最初の中間試験まで二週間。少し遅れるだけで後の勉強にひびく。


「あー、うん。わかった」


 曖昧な返事をして響司はモニターを切った。


「人が家に入ってくるかもしれないんだけど、ヨルはどうする?」

「普通の人間には気取られることはないが念のため姿を隠しておくとするか」


 後ろに立っている大きな悪魔が消えた。

 ヨルの気配はするのに見えない。病院の時と同じだ。


「かくれんぼをやったら最強じゃん……」

「馬鹿なことを言う前にさっさと行け」


 響司は邪魔な髪の毛を括るゴムをポケットから取り出して、後ろで縛った。


「はいはい」


 玄関まで歩いている途中、ドアの向こうで、カランカランとガラスが転がるような音が聞こえた。田舎のおばあちゃんの家で昔、似た音を聴いたことがある。軒下に吊るされた風鈴の音に近い。壁越しに聴いているからか、くぐもっている。

 

(まだ五月にもなってないのに、気が早い人もいるんだ)

 

 鍵をはずしてドアを開けると、紀里香が背を向けて、外を眺めていた。マンションの五階の廊下から見る景色は決していいものではない。高さが中途半端で、周囲に自然が溢れていたり、美しい人工物が見えるわけでもない。


 響司にとって見慣れた景色だったが、長い黒髪の少女がいるだけで景色が変わった気がした。


「逢沢さん?」

「ごめん。どんな景色なのか見てたの。はい、これ」


 プリントを渡され、内容をみると証明問題だった。

 響司は数学が嫌いだ。中でも数式だけでなく言葉で説明する証明問題が一番嫌いだった。


「……ありがとう」

「感謝してる顔じゃないわよ?」

「問題見て吐きそうになっただけ」

「来週の月曜に小テストもあるらしいよ」


 紀里香の言葉に響司はプリントを破りそうになる。

 プリントを受け取らなければ小テストで悪い点をとっても、言い訳ができた。紀里香が手渡しした時点で言い訳は不可。


 土曜日と日曜日があるので勉強ができる状況だ。やるかやらないかは別として。


「刹那くん、何かやってたの? 後ろで音鳴ってるけど」


 ピーピーと喧しかった。IHコンロの警告音だ。

 お湯を沸かすとき、いつも五分のタイマーを仕掛けているが、仕掛けた記憶が響司にはなかった。


「お湯ぅぅぅ!!」


 ダッシュでキッチンのIHコンロの電源を落としに戻る。

 IHコンロの上にはサウナのような水蒸気。片手鍋の中にあった水は蒸発してカップ麺を作るには少し心もとない量となっていた。

 

「炒め物じゃなくてよかった!」


 炒め物だったなら、換気扇は黒い煙を吸い込み切れずに火災警報器が作動していたかもしれない。

 響司は鼓動の早くなった心臓を落ち着ける。


「大丈夫ー?」


 玄関から紀里香の心配そうな声がする。


「平気っぽいー」


 玄関に戻ろうとすると、縦長の黒い靄が響司の前を塞いだ。

 姿を隠していたはずのヨルがいた、


「あの娘をしばらく引き留めていろ」


 事故の前に響司を制止させた鋭い口調をヨルはした。

 響司はヨルの行動に意味があると察する。


「急にどうしたの?」

「聞こえぬか。こちらに悪魔が近づいてきておる」

「え?」


 響司は目を閉じて耳に全神経を集中させる。

 暗い静寂の世界。交差点で事故が起こる前の感覚が呼び起こされる。水の上に自分だけが立っているような、不思議な感覚。

 近くで風鈴が鳴った。音の中心から水が波紋。大きくて綺麗な円を暗い世界に作り上げた。


(音の位置……風鈴の音色……逢沢さんの魂鳴りかな)


 風鈴が作った美しい波紋を乱すように小刻みに揺れる違う波紋が二つ。小さなノイズ音がかすかに聞こえた。

 南西から聞こえるノイズはまっすぐ近づいてくる。


「あっちから二つ、かな?」


 自信がないまま響司は指をさす。


「方角と数。共に合っておる。良き耳のようだな」


 満足げにヨルは頷いた。


「ワシが悪魔どもを駆除してくる。三分ほどでよい。娘をしっかり引き留めておけ」

「わかった……。いや、待って。僕は逢沢さんとまともにしゃべったことないんだけど!?」


 ヨルの姿も気配もない。反論はむなしくキッチンに響いただけだった。

 本当に悪魔の対処をしに行ったらしい。


(うーん。まずいな?)


 三分間も話を持たせる話術もなければ、目を引かせる特技もない。

 頭をひねっても出てこないので、重い足取りで紀里香の前に戻る。


「叫んでたけど、本当に大丈夫なの?」

「うん。水を温めっぱなしにしちゃっただけだから」

「ならよかった」

「よかったよかった。あははは」


 乾いた笑いをするぐらいしか響司にはできなかった。


(ヨル、無理だよ! 何したら三分持つの? 逢沢さんの前でカップ麺作ればいい? いや、お湯入れたら放置じゃん。何も解決してないよ!? でも、悪魔が逢沢さん襲うの止めたいし……。今だけヨルにお願いしたいよ。話題プリーズ!!)

「うん。昨日のお礼、言えないかと思ったから本当によかった」

「昨日? あぁ、放課後のアレかぁ」


 学校で事件があった。


 演劇部を女子生徒数名が襲ったのだ。人に危害を加えることはなかったが、演劇で使う機材がバラバラにされていた。

 女子生徒たちの狙いは演劇部所属の紀里香だった。

 

 騒動のキッカケはバスケ部のエースを紀里香が振ったことだ。普通の話に聞こえるが、問題はバスケ部のエースが告白前日の放課後に紀里香から言い寄られたと流布したのだ。


 紀里香からアプローチがあったのに振った、という話題性とバスケ部のエースの女子人気が合わさった結果、あっという間に噂は広まった。そして、バスケ部のエースに片思いしていた女子たちが噂を聞いて紀里香へ怒りが爆発、という流れだった。


 響司はその現場にいた。そして、噂が嘘であること知っていた。


「僕は逢沢さんが図書室で勉強していたのを知っていたからバスケ部の人の言い分はおかしいって言っただけだよ」

「言ってくれたから本当に図書室にいたのか確認することになって、私が言い寄ってないことの証明がされたんだから。あの場面で第三者が口をはさむのは勇気いると思うもの」

「正直、めっちゃ怖かったです」


 鬼のような女子の視線が剣よりも鋭い刃物に感じた。思い出すと鳥肌が立つ。


「でも、あのまま黙ってたら後悔すると思ったからさ。自分は事実を知ってるのにな、って」


 紀里香が口元をおさえて、控えめに笑った。


「昨日はバタバタしててお礼言えなかったから、今日言おうとしたのに事故にあったって聞いたから驚いたわ」

「御覧の通りピンピンしとりまする」

「顔を怪我して、血塗れの服なのに?」


 響司は自分の服装を確認した。

 クリーニングに出すことが確定した血のついた制服一式。


 幽霊の女の子が気がかりすぎて、服のことを考えず買い物をしていた。思い返せば、レジのおばさんがびっくりした顔をしていた気がする。


「明日、朝イチでクリーニングに出さないと月曜に間に合わないかも」

「気が付いてなかったのね……」

「色々ありまして?」

「知ってるわよ。私も言うこと言ったし、やることやったし帰るわ。また月曜日に」


 エレベーターへ歩みを始める紀里香に響司は焦る。

 ヨルに言われた三分にはまだ足りない。


 焦りからどうしたらいいか判断力が鈍った頭で響司は考える。


「えーっと、晴樹の代わりにプリント届けてくれて、ありがとう」


 紀里香の足が止まった。


「ごめんなさい。一つ、嘘ついた」


 音が鳴った。

 今度はくぐもった音じゃない。


 風に吹かれる風鈴のような綺麗な音だ。

 聴いていて心地いい。癒される音。

 

「大山くんにプリント届けさせてって私から言ったの。お礼、早く言いたかったから。じゃあね」


 紀里香は去り際に手を振った。

 響司が知る限り、一番の笑顔だった。 


(あんな笑顔を不意に向けられたら男は普通、惚れるよ。あーあ、しんどい三分だったはずなのに得した気分になっちゃった)


 悪魔の気配がした方角の空をみる。


(ヨルは戻ってくるかな?)


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