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「執行猶予?」
学校から駅まで向かう大通りで響司はすっとんきょうな声を出した。
響司の左隣を歩く紀里香は強く頷いた。
「もう一人の私はそう言っていたわ。『ワタシに立ち向かう勇気が出たことに免じて今回は見逃してあげる。ワタシがまた外に出るようなことがあれば、そのときは覚悟しなさい』って」
もう一人のキリカの台詞を紀里香が真似た。元々同じ人間だったのだから似ているという表現をしていいのか響司は戸惑いながら、空を見上げた。
茜色と水色の混ざる空に雲一つなかった。
「もう一人の私に言われたからって訳でもないけど、自分の見た目と向き合い方を見直すつもりよ。嫌な部分ばかり見てないでちょっとずつ良い部分を探していくわ」
「いいんじゃないかな」
「えぇ。強い味方も手に入れたことだから今回の件は悪いことばかりじゃなかったって言えるもの」
見た目の有効活用と言わんばかりにさっそく紀里香は悪戯っぽい笑みを浮かべて上目遣いをしてきた。
紀里香の容姿と味方発言の同時攻撃に響司は顔から火が吹き出そうになる。
「もう……本当にやめて下さい……。生意気言いました……。許して……」
「いやよ。私に抱き着いたんだから少しは攻撃させなさい」
さらに強めのアッパーが顎に飛んできて、響司は卒倒しそうになってしまう。
抱きしめたときの感触と匂いを思い出して顔がさらに赤くなる。
「愉快! 誠に愉快なりっ!」
響司の背後でヨルが空中で笑い転げていた。
顔を赤くしたまま響司はヨルを睨みつけたが、ヨルは響司の顔を見て、さらに笑い始めた。
「ヨルさん、すっごく楽しそうね」
「契約者の僕が困ると喜ぶとか酷くない?」
「人が苦しんでるところを喜ぶのは悪魔として当然じゃないかしら」
「確かに」
紀里香の言葉に響司は納得の声をあげた。そして、一つの大きな疑問が浮かぶ。
「もしかして普通にヨルが視えてる?」
ヨルの左手は黒い靄の中だ。紀里香がヨルの姿を認識するときは絶対にヨルの左手から出る糸を身体のどこかに絡みつけていた。
今の紀里香には糸はどこにも絡みついていない。
はっとした紀里香は道の真ん中で立ち止まった。首を動かして背中を見たり、スカートを持ち上げたりして、糸がどこにも付いていないことを確認する。
「教室を出る前ぐらいから見えてるわね……」
ヨルが紀里香の周りを一周した。
「ドッペルゲンガーと同化した結果だろうな。彼奴、ワシを視認しておったしのう」
「つまりどういうこと、ヨル?」
「いわゆる霊感を取得したということじゃな」
響司は開いた口が塞がらなくなり、紀里香は響司とヨルを素早く交互に見た。
「呪いや魂に関わって力を得る者はおる。キリカの場合、元々が強い魂だからのう。キッカケさえあれば何時、何処で目覚めてもおかしくなかったがな」
「そのキッカケとやらが今回だったわけね」
「是だ」
霊が見えるようになって、紀里香が嫌な顔をするかと思えば清々しいぐらいの微笑んだ。
「ヨルさんとおしゃべりしたいこともあったし、珍しい人生経験としてはアリじゃないかしら」
「あっさりと受け入れるんだね」
「私一人だけだったのなら辛かったかもしれないわね。でも刹那くんがいるでしょ」
「いや、そうだけど……。僕の力はヨルと契約して手にした力だからいつか無くなると思うよ」
あくまで借り物の力だ。いつかは紀里香を一人にしてしまう。
「なら力がある間だけは私はあなたの味方になってあげるわ」
「お願いだから何度も擦らないでよ!?」
駅前の信号で紀里香と響司は立ち止まる。ヨルも前と違って、信号の前で停止していた。
「あ、そうだ。連絡しなきゃ」
紀里香がスマホを鞄から取り出して、慌てて画面をタップしていた。
「誰に?」
「彩乃によ。先に帰るって連絡してなかったから今してるの」
「前々から思っていたけど、同じ演劇部なのに別行動なんだね」
「演劇部でも内部で分かれてるのよ。役者になりたい人や演出・台本とかに関わる舞台組と衣装や小道具を作る裏方組の二つ。私は舞台組で彩乃は裏方組だから忙しい曜日が違うのよ」
「ややこしいなぁ」
演劇部の知らない情報に響司が感想を述べていると、紀里香のスマホが二回震えた。
響司たちが渡らない方向の歩行者向け信号が赤くなった。まだ紀里香はスマホをいじっていた。指の動きが大人しくなっていくのと反比例して顔は険しくなっていく。
「どうかしたの?」
「変な奴に絡まれたりしないか心配だって言うから刹那くんと帰るから大丈夫って返したの。そしたら……彩乃からすごい勢いでチャットとスタンプが飛んできてるのよ」
ちらりと見えたスマホの画面には、吹き出しの枠で囲まれた『どういうこと?』に始まり、デフォルメされた可愛い女の子のスタンプで『待って!』や『説明求ム!』というスタンプが連打されていた。
背筋に冷たいものを感じた響司。
紀里香に手を出そうとしている人物として認知した九条彩乃が響司に対して、恐ろしい形相をしているところが頭によぎった。
(僕、死んだのでは?)
さらにチャットが流れてきた。
「刹那くんの連絡先知ってたら教えて、だって」
「絶対教えてはダメです。本当に。僕の命が危ないから!」
最悪の未来を回避すべく、響司は手で大きくバッテンを作った。
ズボンの右ポケットに入れている響司のスマホが震えた。タイミングがタイミングなので響司はスマホを確認するのが恐ろしくなる。
ホラー映画のワンシーンのように喉を鳴らし、震える指先でスマホを操作する。
『新しい友達の追加』の文字の後に、中指を立てた女の子のスタンプが送られてきた。もちろん送ってきたのは九条彩乃である。
「死刑宣告早くない!?」
もう一件、別の誰かがチャットを飛ばしてきた。誰かと思えば晴樹だった。
『荒ぶる九条がやってきた。鎮めるためにセツの連絡先を捧げた。健闘を祈る』という言葉の後に敬礼する犬のスタンプが添えられていた。
響司は燃え尽きたボクサーのようにコーナーから立ち上がれなくなっていた。
「また後で彩乃には説明しとくから、ね?」
響司は横にいる心強い味方の言葉に励まされ、青信号に変わった横断歩道を重くなってしまった足取りで歩くのだった。
とりあえず第二章「完」ということで。
想定していた折り返し地点に来ました。
早ければ明日、遅くとも月曜日の昼には第三章の一話をアップします。
ではでは。




