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魂鳴りを聴くようになって約一週間。響司は気づいたことがあった。
――魂鳴りは心の状態も表す。
ヨルほど正確に魂鳴りを聴くことはできないが、買い物に行って会計で長い列が出来ていたとき、イライラしている人の魂鳴りは荒れに荒れていた。黒板を爪で引っ掻くような嫌な音が並んでいる間ずっと聴こえていた。会計が終わった途端に魂鳴りは次第に落ち着いていく。
紀里香の魂鳴りはガラスが割れる音をまださせていた。
音源である紀里香は校舎の一階の階段裏にある暗いスペースに隠れるように収まっていた。呪いと初めて遭遇した後、まともに喋ったあの時と同じように膝を両腕で抱えていた。
数秒に一回鳴るガラスの割れる音が無くなるまで響司は胡坐をかいて、黙って待つことにした。
「……何も、言わないんだ」
まだガラスの割れる音が続く中、紀里香が腕で顔を隠したまま弱々しい声を発した。
「えっと、ヨルってオブラートに包んで話すって知らないから心に刺さるようなことを平気で言うんだ。だから、ごめんね。ヨルにはお仕置きしておいたから――」
「どうしてそっちが謝るのよ。『文句を言いたかったら言ったら?』っていう意味でだったのよ」
響司は頬を指でぽりぽりとかいた。
「文句……。文句かぁ。ヨルに言いたいことはまだあるけど逢沢さんにはないかな」
もぞもぞと紀里香が動いた。
四つん這いで響司に近づき、目が隠れるほど長い響司の前髪を右手で持ちあげた。紀里香の目尻は化粧とは異なる赤さがあった。
紀里香はじっと響司と見つめ合う。
泣いていた顔も綺麗だと思わせる紀里香の顔と響司は五秒も目を合わせられず、右上にある階段の裏側の斜面に視線を動かした。
「本当に綺麗な目ね」
紀里香の手が響司の額から離れた。また紀里香は両膝を立てて、座る。ただ座っている位置はさっきよりも響司に近い。
ガラスの割れる音は少しだけ小さくなっていた。
「……ヨルさんから呪いのことは聞いたの?」
「逢沢さん自身が呪っていたって」
「そうね。そうらしいわね。悲劇のヒロインの自作自演よね。バカみたい……」
紀里香が笑った。
今までみた笑顔の中で一番痛々しい無理な笑顔。響司にとって、病院で死ぬ前の母親がよくしていた笑顔に似ていて、見たくない笑顔だった。
「ちょっとだけ、昔話聞いてくれる?」
「うん」
すぅっ、と長い息を紀里香は吐く。それは高跳びをする前の助走をする選手のようだった。
「私、元々は地味だったのよ。長い髪の手入れも化粧もせず今みたいに騒がれることもなかったの」
響司は紀里香の髪を注視した。滑らかで艶のある髪が背中まで伸びている。
寝癖をつけたまま教室に入ってきた紀里香を見たことがない。常に清潔感がある紀里香しか知らない響司は、にわかに信じられなかった。
「でも中学一年のプールの授業から男子の目が変わったの。ほら、プールってキャップ被るでしょ? そしたら顔が全部見えてね」
響司は話の先を推測して、変な呻き声を出した。
地味だと思っていた女子が実は美少女だった、と男子が気づいてしまったのだ。
「でも小学校もキャップはつけるよね。なんで中学?」
「小学校から付き合いのある男子って私の見た目どうこうで騒ぐようなことなかったのよ。慣れとか免疫みたいなものだと思うけど。中学は高校と一緒で色んな学校から人が来るでしょ」
「免疫ゼロの思春期が逢沢さんを突然見たら死ぬんじゃないかな。太陽に直接触れる的な意味で」
「死んでくれた方がマシだったわ。普段は地味だけど体育のときには別人になるって裏で騒がれてたらしいし、それが原因で面倒なことに巻き込まれることが多かったのよ。男子女子関わらずね」
響司は自分が体験することがないであろう状況を想像するも、何を想像したらいいのかわからず反応できなかった。
「変な噂と厄介事に巻き込まれる私から友人は自己防衛のために離れ、私は見事にボッチになり、漫画とゲームが趣味に追加。無事インドアになりましたとさ。めでたくないめでたくない」
「噂は今もあるけど、中学の時とは違うんじゃないかな? 少なからず一人ぼっちじゃないと思うよ」
九条彩乃という危険人物を口に出す前に響司は飲み込んだ。
「またそうならないように嘘をついてるんだもの。第一印象は見た目って聞いたから見た目に気を遣うようにしたわ。直接会う人たちからだけでも好印象もらってないと、いざというときに助けてもらえないでしょ」
「もしかして、逢沢さんって計算で動いてる?」
「ある程度はね。だから私は私を呪ったんでしょうね。嘘が嫌いなのに嘘を吐き続けたんだから」
一際大きなガラスが割れた。響司の耳の奥が揺さぶられる。
「ヨルさんに言われたわ。『できることは何もない。呪いを解くのは諦めろ』って」
響司の右眉がぴくりと動いた。
「きっと諦めるしかないのよね……」
「逢沢さん、今度は僕の話を聞いてくれる?」
「刹那くんの?」
響司は頷いて、上を見る。階段の裏側についた茶色い汚れが嘲笑っているようだった。
「僕は『欲無し』っていう存在で、保健室で会った時みたいにいつ死ぬかわからないんだ」
足を崩した紀里香は響司をじっと見つめていた。
「僕が間違ってるとか狂ってるってヨルが言ってくるんだ。そんなヨルが逢沢さんの魂は綺麗だって。僕も魂鳴りが聴こえるからわかるよ。僕の魂とは真反対だって。で、どうして僕と逢沢さんは真反対なのか今考えました」
「今なの?」
「そう。今です。多分だけど、僕は真剣になれるモノがないんだ。退屈しのぎでやってきたものはすべて中途半端に習得して終わってる。逢沢さんは違う。演劇の練習をしている逢沢さんの動画を見させてもらったけど、真剣だった。映っているのは逢沢さんなのに逢沢さんじゃないみたいな変な感覚だった。別の誰かがいたんだ」
響司は自嘲気味に笑った。
「本当に僕の真反対にいるんだなって実感した。だから、僕はこの呪いの件も真反対でいようかなって思ってる」
「何がどう、だからなの?」
「逢沢さんが『諦める』っていうなら僕は『諦めない』ってこと」
「言ってること無茶苦茶ね」
「そうだね」
響司は立って、屈伸運動をした。
「僕はいつ死ぬかわからない。で、このまま死んだらきっと逢沢さんに何もしてあげれなかったことを後悔して、未練タラタラで死にきれないんだよ。だから申し訳ないけど僕が未練なく死ぬために逢沢さんの呪いをどうにかする」
「私の、問題よ?」
「未練なく死にたい僕の問題だよ」
響司は暴論を吐いていることを自覚しながら紀里香に右手を伸ばした。しかし、響司の右手を紀里香は軽く叩かれた。
「死にたがりの手伝いなんてごめんよ。でも、私の問題に誰かが巻き込まれるのは本当に嫌なのよだからも少しだけ考えるわ」
紀里香は立ち上がって響司の前でジャンプした。
「話はまとまったのか、二人とも」
壁をすり抜けてヨルが背後から現れる。
「ヨル!? 結界破ってきたの!?」
「あの程度の結界でワシを捕えられると思うなよ、小僧」
「え、ヨルさんがいるの?」
胸を張るような仕草をするヨルに響司はもう一度、生徒手帳を構えた。
「待て待て。呪いの件でキリカに話があって来たのだ」
ヨルは左手から糸を出して、紀里香の左手首へ何重にも巻き付けた。
「キリカよ。確認だ。呪いの件は諦めるか?」
「諦めようと思ってたけど、どっかの死にたがりが私の問題に首を突っ込んできたから諦められなくなったわ」
「馬鹿な人間に絡まれたものだな。さぞ面倒くさいであろうのう。のう」
「そうね。私の人生で意味が分からない人物に殿堂入りさせようか悩んでるところよ」
紀里香の声に覇気が戻っていた。ヨルは低い声で静かに笑う。響司は酷い言われように口と眉をへの字にした。
「体力はまだ残っておるな、小僧」
「あるけど……なに?」
「ただの確認だ。体力がなければ選択権はなかったからのう。のう」
もったいぶったように喋るヨルは含み笑いをした。
「小僧は狩られる人間と狩る悪魔のどちらの立場を味わいたいか選べ」
答えた後の状況がわからない選択に響司はどちらかを選ぶことが出来なかった。ヨルの頭蓋骨をただ眺め続けるだけである。
「ちなみにどちらを選んだとしても。しくじればワシ以外は死ぬじゃろうな」
「じゃあ、逢沢さんが無事な確率が高い方で」
「刹那くん!?」
響司の言葉で紀里香が大きな声を出した。それは悲鳴に聴こえないこともなかった。
「死んでくれるなよ。仮にもワシの契約者なのだからな」
ヨルは左手の爪で響司の額を軽く突いた。そして背中を響司に向けて、天井を仰いだ。
「やることは決まりじゃ。時間が惜しい。教えてやるから一回で覚えろよ――大馬鹿者」
ヨルの発した『大馬鹿者』は妙に優しかった。




