12
真っ暗で光のない中、音のない火花が散った。
火花が散ったところには、輝く細い物が落ちている。キラキラと光がないはずの場所で乱反射するのは一本の糸だった。
(なんだこれ?)
響司がなくなったと思っていた右手は半透明になっていた。寿命のきた蛍光灯のように、右手は不規則に輪郭を失っていた。
響司は半透明の右手で糸を拾う。今にも切れそうな細い糸は暗闇の奥へと続いている。
糸は独りでに動き出し、響司の右手首に絡まる。絡まった糸はゆっくりと持ち上がり、たるんでいた部分がピンと張った。
糸は揺れ、手首に一定のリズムで振動を与える。
振動は大きくなり、手に肌色が戻っていく。
糸の振動が強くなると、火傷をした時と同じヒリついた痛みが身体全体に巡る。
失った体温が戻っていくのが分かる。
冷たい鼻歌が薄っすらと聞こえるようになった。
糸の震えるリズムが鼻歌のリズムと同じだった。そして、この鼻歌のリズムと似た音楽を響司は知っている気がした。しかし、知っている曲は楽しそうで温かみのあるものだった。
誰が歌っているのか、正体を知りたくなった響司は糸を掴んで手繰り寄せる。
鼻歌は大きくなり、糸の先を見ると、二つの左手だけがあった。
手首より先は何もなく、色のない小さな手を大きな手が包むように、しっかりと糸を握っていた。
響司の右手首に絡まった糸がほどけた。
二つの左手は糸を持ったまま暗闇の奥へ奥へと進む。
「待って!」
響司は思わず右手で掴んだ。
掴んだ手は人の温もりがあり、柔らかく、響司の手よりも小さかった。
「刹那くん!?」
「はい?」
響司が掴んだ左手には腕も身体もあった。沢渡高校指定のブラウスとスカートを身につけていた。
左手の主の顔を最後に確認すると、逢沢紀里香が目を見開いて驚いていた。
紀里香の偽物と違って、風鈴の音がする。間違いなく本物だった。
「起きたばかりで意識がしゃんとしとらんようだな」
ヨルが紀里香の隣に立って、響司を見下ろしていた。ヨルの左手の爪から一本の糸が垂れており、紀里香の腹部に何周も絡んでいた。
響司が身体を動かすと、軽いものが下半身で擦れる。
真っ白の布団が響司を包み込んでいた。布団は響司の使っているものよりも重い。右手で布団の下にあるシーツの感触を確かめると、硬い。決して良いものではなかった。
「もう手を放してもらってもいいかしら?」
ベッドの横で丸椅子に座っている紀里香が響司の右手に視線を向ける。
響司は紀里香の左手を握ったままだった。
「あ、ごめん」
淡々と手を放して、紀里香の左手を握っていた手の平を開いて閉じてを繰り返す。
周囲を確認しようも、天井からカーテンが垂れさがっていて、カーテンの向こう側は見えない。右側にある窓から外を眺める。
学校の校庭でランニングをしている生徒がいた。
「ここ、保健室? さっきまで廊下にいたのに……」
「結界に触って意識を持っていかれたのだよ。小僧だけであればワシだけで処理できたが他の人間もそこそこ危うかったのでな。学び舎の中で本を読んでいたキリカに手伝ってもらったのだ。呪いは……すまぬ。逃がした」
「僕たちのことを優先した結果、呪いを逃がしちゃっただけでしょ。いいんじゃない? ヨルも逢沢さんもありがとう」
紀里香は眉根と口角を下げた。
「いいのよ。本当なら私にかかった呪いなんだから私がどうにかしないといけないのに……」
「その辺は気にしなくていいよ。僕がやりたくてやってることだからさ」
響司は両腕を肘の部分で交差させて、軽く肩の柔軟をする。二度引っ張って、交差させてる腕を変えた後、二度引っ張る。腕が消える感覚があったが、肌の感触・筋肉が伸縮ともにある。
気持ち悪さや苦しさは完全に抜けきってはいない。
意識を失う直前は『退屈の死』に近いものだった。夢というべきか幻覚と言うべきかわからない映像は今まで体験したことがない。
「ヨル、僕はまた死んでたの?」
「また? またってどういうことよ」
「僕、時々死んじゃうんだ。『欲無し』っていう存在らしいよ」
淡々と話す響司に紀里香の小さな口が開きっぱなしになる。
「死んでいたぞ。呪いに魂を吸われて不安定なところ結界に触れてしまい、強制的に魂と肉体が切り離されていた」
「他の二人は?」
「『欲無し』の小僧と違ってちゃんと魂と肉体が繋がっていた。それでも衰弱していたのは変わらん」
「保健室って僕たちだけ?」
ヨルと普通に会話していた響司だが、倒れていた男子生徒たちが目を覚ましたらなんと言い訳したらいいかわからない。
独り言というには紀里香が喋ってない内容に返答していたので無理がある。
「他の二人は病院に運ばれたわ」
「それならよかった……」
「まぁ刹那くんも病院に行く流れになったんだけど、ヨルさんが連れて行かせるなっていうから先生たちを誤魔化すために嘘をついちゃったけど」
「……先生?」
「私一人じゃどうしたらいいかわからなかったから職員室にいた先生を私が呼んだのよ」
女子高生一人では男子高校生三人を介抱できる場所まで運搬することすら難しそうだった。
ヨルも自身の存在が明るみになるような行動は避けているらしい。紀里香を助けを求めたのも同じ理由だろう。
「キリカに感謝しろよ。あのまま運ばれていたら切り離されていた魂が戻るまで相当な時間を要していたぞ。下手すればそのまま本当に死んでいた」
身体は病院。魂は学校。分離してはいけないものがとんでもない距離で離れてしまうことを想像して響司はぞっとした。
「時に小僧。魂鳴りは今聞こえておるか?」
ヨルが不思議な質問をした。
耳をすませば聞こえるかもしれないが、聞こえてくるのは校庭からの笛の音だけ。紀里香の魂鳴りは一瞬だけ聞いたきりだ。
「今は聞こえないよ」
「魂鳴りって何?」
紀里香が聞きなれないワードに反応した。
「簡単に言えば魂が鳴らす音だ。虚言も本人すら知り得ない本質も魂の音は素直に鳴らす。小僧はワシと契約して聞こえるようになっておるんじゃよ」
「といっても、契約したの事故にあった前日だからそれほど日も経ってないし使いこなせてないんだけどね」
ヨルは骨の左手を頭蓋骨の下の部分に当てて上を見た。
「話を戻すが、ワシにはこの学び舎にいる人間の魂鳴りがずっと聴こえておる」
「僕にはさっぱりだよ」
「だろうな。小僧が呪いの音を拾った時、ワシの耳には入ってこなかった。呪いと対峙したときに微かに聞こえた程度だ」
「結構はっきり聞こえたけど?」
「拾いやすい魂鳴りが違うのかもしれぬな。今回の件、鍵は小僧の耳だ。貴様が呪いを探し出せ!」
「別にいいけど、あまり期待しないでよ? 僕、蘇ったばっかりだし耳も使い慣れてないんだから」
響司はベッドから足を下ろして、上履きを履いた。
紀里香が響司の前に立ちふさがる。
「どうしてそんなに普通でいられるの? 死んでたんでしょ? 助けてくれるのは嬉しいけど、自分の命は大切にしなきゃ……駄目だよ」
「もう死ぬ体質には飽きるぐらい困らされているんだ。だから今更なんだよねー」
「死ぬのが怖くないの?」
「怖いよ? でも、あの呪いを放置してたら逢沢さんも困るし男子生徒たちも困ると思うんだよね。だからどうにかした方がいいかな、って」
あはは、と気の抜けた声を出して響司は頬を指で掻いた。
「そうじゃない。そうじゃないでしょ……」
響司の両腕を掴んで、響司を逃げれないようにした紀里香は響司の瞳を見た。
濁っていない純粋な目。嘘をついていない目だった。
「ちょぉぉぉ!? 逢沢さん!?」
恥ずかしくなった響司は顔を紅潮させて、上半身を後ろに反らした。
「これなら、強がって嘘をついてくれた方が良かったわ……」
紀里香は響司の腕を離して、顔を下に向けた。つられて長い髪が垂れた。
少し乱れてしまった髪を軽く指で直した紀里香はカーテンをめくった。
「――刹那くん、あなた壊れてるわ」
カーテンの外に消えた紀里香の細い声を響司は聞き逃さなかった。
ただ言葉の意味を理解できずに首を傾げるばかりだった。
「どういう意味だと思う?」
ヨルは指先から出ていた糸を回収していた。
「さぁな」
ヨルは冷たく突き放すだけだった。
ただいま。多分、三日に一回の更新ペースに戻ります。




