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「ヨルさん、で呼び方はいいの?」
「好きに呼べ」
「わかったわ」
紀里香がヨルに対して警戒心が緩くなったと判断した響司はヨルの隣へと場所を変えた。
「逢沢さんはあの呪いが変なことをしないようにしたい、であってるよね?」
「そうね」
ヨルに意見を求めるため、響司は視線を送った。
「呪いの挙動を変えたいという意味なら無理だ。呪いをかけた者、いわゆる呪術師の命令に沿った挙動しか呪いはできない。殺す命令なら殺すことを、苦痛を与える命令なら苦痛を与えることを目的とした挙動しかせぬ。発動したら二度と呪いは挙動が変わらない。呪術師を殺しても大半の呪いは消えぬしな」
紀里香の顔色が曇った。
ヨルの言い回しに響司はすかさず疑問を投げた。
「違う意味なら呪いへの対応があるんでしょ?」
「ある。そもそも呪いへの対応は二つしかないのだ。『呪術を解く』か『呪いを返す』かだ。呪いを解くのは読んで字の如く、呪術を紐解き、呪いをなかった状態にする。呪いを返すというのは簡単に言えば呪われる対象の変更だ」
「私にかかっている呪いを誰かに押し付けるのは、嫌です」
「呪いの返す先は返し方次第で指定できる。人に被害を出したくないからと呪いの対象を物にして……封じていた奴もおる」
すらすらと話していたヨルが最後だけ詰まり、口調が優しくなった。
(封じていた人って、ライゼンさんだよね)
悪魔祓い師のライゼン。響司とヨルが出会うキッカケを作った存在だ。未だにどんな人物か響司は掴みかねていた。
「呪いを解くにしろ、返すにしろ、やるべきことはどんな呪いにキリカがかかっているか、把握が不可欠だ」
「そのためにこの場を設けたワケだし」
響司は鞄のジッパーを開け、透明な袋に包装されたルーズリーフの束と使い慣れた布製の黒い筆箱を出した。ルーズリーフを一枚とシャーペンと消しゴムをテーブルに並べる。
「何度も聞くと面倒くさいだろうからメモするね」
「刑事ドラマの事情聴取みたいね」
「質問して答えてもらうんだから似たようなものじゃないかな」
シャーペンの芯が入っているか確認するため、シャーペンの芯を二回出してみる。出てきた長い芯を指で押し戻して、もう一度芯を出し直し、書いても折れない適切な長さにした。
「偽物のことに気付いたのっていつ? どんな状況だったの?」
「春休みに入る前よ。放課後、廊下で私そっくりのあいつがいたの。でも、今みたいにはっきり喋るような感じはなくてただ立ってるだけで生気なんてなかった。そのときはすぐに見えなくなったからガラスに映った自分が見えただけだと思ってたもの」
――ワタシ、きれいよね?
紀里香の偽物の言葉が響司の頭をよぎった。
「僕を襲ってきたのとは印象が違うね」
響司が紀里香の偽物に抱いたのは妖艶な女だ。色っぽい喋り方に遠慮なく近づいてきてボディタッチをし、肌を見せてくる。
「肉食系というか一歩間違えたら痴女だよね」
「偽物を次に見たとき。四月の頭には刹那くんの知ってるあいつになってたわ」
「一度目と二度目で呪いが変わるなど聞いたことがないぞ。最初に見たのは見間違えではないのか」
「同じだとは思うの。確信はないけど」
ヨルが指摘に紀里香はたどたどしく答えた。
「ほう。それは何故だ」
「感覚的な話なんだけど、同じだってわかるの。胸の内側が引き寄せられる感じが一回目も二回目もあったの」
強く主張する紀里香が嘘をついているとは到底思えなかった。
ヨルは小さく頷く。
「キリカが感じているのは呪いをかけられた者特有の感覚だろうな。しかし、変化する呪い。いや、この場合は成長とも言うべきものか。自我を持つ呪いなら見たことがあるが成長する呪いなぞワシは知らぬぞ」
「決まった挙動をするってヨルは言ったよね。成長するのも元から決めてたんじゃないの」
ルーズリーフに聴いたことを書き込み終えた響司が口を出す。
「小僧、もし貴様が恨んだ相手に呪いをかけるとしてどんな呪いをかける?」
響司は多少のことなら、謝ってもらえれば許してもいいと考えた。ヨルに求められた答えではないだろうと察し、深く唸って考える。
「恨みの重さにもよるけど、死ぬような呪いをかけるかも」
「そこに成長などという要素を含ませるか?」
「ないね。だって相手の死を求めるのにいらないもん」
「それが答えだ。普通であれば必要ない。初手で殺してしまえばいいのだからな」
確かに、と響司は納得してしまう。しかし、呪いを紀里香にかけた人物の性格と意図がわからなくなっていた。
「呪いと言えばさ、呪いをかけてきそうな人に心当たりってある?」
紀里香は眉を下げて、気まずそうな表情をした。
「ないと言えばないし、あると言えばあるかな。ほら、学校で私ってアレな扱いだから」
響司は紀里香の言いたいことを理解してしまい無言になる。
紀里香の噂を信じ切っている人間は紀里香を男たらしという認識をして嫌悪しかねない。ましてや直近であったバスケ部のエースのような特定の人物絡みとなると、恨み妬みがどこで生まれても不思議ではない。
「とりあえず、逢沢さんの身の回りで、かな」
「それはないかな。部活のみんなもクラスメイトもいい人だし」
「クラスで逢沢さんのことをどうこう言ってるのは聞いたことないかも」
「私に突っかかってくる人って、私がまったく知らない人ばかりなのよ。部室の機材と小物を壊しに来た人たちもそう。どうしてみんな嘘を信じるのかしらね」
紀里香の右手に力が入って、細い指が握り拳を作っていた。
部屋のどこにもない風鈴が寂しそうに鳴る。空気も重くなっていた。
「聞いているだけでは埒が明かん。ワシが呪いを直接確認する他ないのう」
「確認って、もしかして呪いを捜すの?」
「そうするしかあるまいよ。今回の呪いは変わった点が多すぎる。『誰が』『何故』『どのように』『いつ』『どんな』呪いをキリカにかけたのかずっと考えておった。呪いの性質を知れば、どんな恨みを持っているか予想がつく。いつ呪いをかけたか、どんな恨みか特定すれば、呪術師が誰か見当がつく。呪いへの対応とは逆算し尽くすものだ。今回の呪いは何一つ見えぬのだよ」
「『いつ』はさっき春休み前って教えてもらったよ」
響司はシャーペンでトントンとメモしたルーズリーフを叩いた。
「もっと絞り込める情報がいる。呪いは時間が経って消えることなぞ、ないに等しい。成長する呪いであれば、幼少期にかけられていて呪いに気付かず、呪いが今になって効力を持ち始めた可能性もある」
「ヨルの言っていることまで考えると、誰でも逢沢さんを呪えそうなんだけど……?」
「だから情報を得るためにワシが呪いを捜す。安心せよ。ワシは優秀な悪魔じゃからのう」
「作戦があるんだね」
期待の眼差しをヨルに向ける。
「そんなものないぞ。ただ呪いが現れるのを待つだけだが」
シャーペンを手から離してしまう。転がったシャーペンはテーブルの下に潜り込んだ。
「ゆう……しゅう……? どこが?」
「刑事の張り込みだと思えば、いいんじゃないかしら?」
「待ちぼうけにならなきゃいいけど……」
響司は愚痴りながら、シャーペンを拾うのだった。




