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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
呪われた少女
21/78

 ―― ◆ ―― ◆ ――


 一日の授業がすべて終わった響司は鞄を持ったまま、科目棟の二階の端から端まで不審者にしか見えない動きで歩いていた。


 響司に合流したヨルは廊下の一カ所に立ち止まり、響司をずっと目で追っていた。


「帰らんのか?」


 三十分以上同じ動きをする響司に痺れを切らしたヨルが声をかけた。


 響司はヨルの傍へと寄り、小声で話しかける。


「帰りたいのは帰りたいんだけど、逢沢さんに細かいことを訊きたいんだよ」

「小僧が自由になるまで同じ教室にいたではないか。何をやっとるのだ」

「僕が逢沢さんに近づくと男子たちが『抜け駆けするんじゃないぞ。わかってんだろうな』ってオーラ放つんだ……。おかしくない?」

「悪魔のワシが知るか。しかし、まだ学び舎におる理由はわかった。キリカはそこの部屋におるではないか。さっさと訊いてこい」


 ヨルが左手を黒い靄から出し、右奥にある細い廊下を指差した。廊下の先には映像室がある。

 

 映像室から不規則に紀里香の魂鳴りが聴こえてきている。いることは間違いない。


「今は演劇部の部活中のはずだから話しかけづらいの」


 放課後になれば話しかけやすいと思った響司だったが、紀里香があっという間に部活に向かってしまったのだ。


 紀里香が教室を出るとき、響司と目があった。部活に向かったというよりも、同じ演劇部のクラスメイトに連れていかれたと言った方が正しいかもしれない。


(連絡先を知ってたらどうにかできたかもだけど、知らないんだよねー。逢沢さんの連絡先を知っていたら確実に血祭りにあげられるんだけど)


 壁に体重をかけながら、ずりおちるようにヨルの隣に座る響司。


 秘密にして、と紀里香にお願いされたので、大人数いるところでは話せない。かといって、二人きりで話せば変な噂がたち、立場が危うくなる。


 八方ふさがりで響司の顔が自然と下に向いて、視界に廊下しか見えなくなった。


「あれ? 刹那っちじゃん。なんでこんなところで座ってるん? お腹痛いん?」


 名前を呼ばれて響司は顔を上げると、髪を明るい金色に染めた少女がいた。ブラウスの一番上のボタンをはずしており、山登りをする人のようにクリーム色のカーディガンの袖を腰に結んで巻き付けていた。両方の手首にはビーズのブレスレット。右に赤系、左に青系の色違いで似たデザインをしている。


 九条彩乃(くじょうあやの)。それが少女の名前だ。


 紀里香に話しかけるチャンスを潰した張本人である。


「お腹は大丈夫だよ。ちょっと困ってるだけ」

「ほうほう。悩み事ですかな? もしかして恋ですかな? 彩乃さんに話してみ?」


 目を輝かせながら顎に親指と人差し指を当てる彩乃に響司は戸惑う。


「みんな好きだね。そういう話」

「あれ? コイバナと違うん? てっきり紀里香んに告白するチャンスを待ってるのかと思ってたんだけど」

「えー、あー、そうか。今の僕ってそう見られるのかー」


 話す機会をうかがうという意味では変わらない。響司は右手で顔の右半分を覆った。


「ちなみに告白じゃないよ」

「え、なに。もう告白済みでカノジョになった紀里香んと下校デートするつもりとか」

「そういうのでもないからね?」


 強めに言うと、彩乃は口をとんがらせた。


「全然オモロくなーい!」


 彩乃のテンションについていけない響司はヨルに助ける視線を送る。


「ワシは何もできんぞ」


 ですよね、とわかりきっていた言葉に響司は肩を落とした。


「カレシでもない。スキでもない。それなのに紀里香んにちょっかい出そうとしてるんなら――紀里香んのトモダチとして怒るよ」


 雰囲気が一変する。


 コロコロ表情が明るい表情で喋っていた彩乃の目から光が消えた。


 本能的に響司は危険だと察知する。遅れて彩乃から火が燃え盛るような音がした。本気で怒っていることを響司は魂鳴りで理解する。


「僕がちょっかいを出すというか、ちょっかいを出されてるところ見てしまったから逢沢さんの相談役になってるって言ったら信じてくれる?」


 本筋は語らず響司は事実を述べる。


 彩乃は黙ったまま早足で響司の前から立ち去る。向かった先は映像室だ。


「紀里香んー! ちょっと来てー!」


 防音がきっちりされている映像室の外まで彩乃が響いた。


「あの女、小僧を殺す気だったのではないか?」

「そのぐらいの圧はあったよね」


 映像室に繋がる廊下から紀里香だけが飛び出してきた。

 

 響司が小首を傾げて紀里香を見ていると、長い髪を揺らして走って響司の前に止まった。


「刹那くん、彩乃に変なことされなかった?」


 心配そうな声の紀里香に殺し屋のような目をしていた彩乃の姿が後ろに浮かんだ。


「変なことはされなかったけど、脅された。多分だけど」

「やっぱり……。ごめんね。私が厄介な人に絡まれないか、彩乃はいつも警戒して守ってくれてるの」


 厄介判定をもらい、響司の背中に透明な矢が深く刺さった。


「あれだけ不審な動きをしていればそう言われてもおかしくないのう! のう!」


 ヨルは腹を抱えて爆笑していた。

 

「彩乃にさっき相談役がどうのって確認されたんだけど、昨日の件だよね」

「そうなんだけど、思ったよりも厄介な人って言葉が心にキてる……」

「刹那くんはそういう人じゃないよって教えたから!」


 両手を小さく振りながら必死にフォローする紀里香。


 響司はゆらりと立ち上がった。


「そっちはいいよ。最悪、自分でなんとかするから。やるべきことは逢沢さんの呪いの方だと思うし」

「呪い……。そっか、あの私そっくりなのは呪いなんだね……」


 紀里香の声がどんどん小さく、重くなっていった。


「ヨルっていうのが僕の言ってた悪魔なんだけど、呪いを解く手がかりがないか一日調べてくれていたんだ」

「もしかして、授業中に手を振っていて先生に怒られていたのって」

「……ヨルが窓の外にいたから振っておりました。今、僕の隣に立ってるよ」


 響司がヨルの立っている位置を手で示す。ヨルは大きな身体を微動だにせず直立していた。


 紀里香が目を細めてヨルの立っているところに視線を送っているが、何も見えないらしい。上半身を動かしたり、位置を変えたりしていた。


「ヨル、姿を見せられないの?」

「姿を出して他の者に見られては面倒だ。何よりワシの姿を普通の人間が見た場合、悲鳴をあげるか気絶するかだ。どう転んでも騒ぎになるぞ」


 草食動物の頭蓋骨が急に見えるようになったら、と考えると同意しかなかった。


「それは、そうかも。詳しく話を聞くときに僕がずっと翻訳になるしかないのかな」


 近くにいる。言語も通じる。コミュニケーションは自由に取れない。あまりにも不便だった。


「おしゃべりも出来るのね。ヨル……さん? はなんて言ってるの?」


 ヨルの声が聞こえていない紀里香が響司に当然の質問をした。


「ここで姿を出すと騒ぎになるから姿は出さないって」

「誰も姿を出さぬとは言っておらんではないか」

「面倒事は僕が嫌なの」

「自分から面倒事に首を突っ込んでおいて何をいまさら……」


 紀里香を放置してしまったことに気が付いた響司は紀里香に目を向けた。紀里香は長い髪を触りながら映像室の方を見ていた。


「そうね。刹那くんの家ならヨルさんも姿を出せるのよね?」

「もちろんだとも」


 ヨルは紀里香に聞こえるはずのない返答していた。


「今日はまだ部活があるから無理だけど、明日の放課後なら部活がないから刹那くんの家で話しましょ」

「よかろう」

「黙って。お願いだから」

「なんて言ったのか教えてくれる?」


 純粋な質問に響司は素直に答えるか迷う。


 逢沢紀里香を家に呼ぶ。それは前回の予期せぬ訪問と意味合いが違う。


 やましい気持ちがあるかないか関係なく、同年代の女子を家に迎えることに響司の中で言葉にできない高いハードルがあった。一人暮らしの部屋を見られる気恥ずかしさか、初めて女子を家に入れることの困惑か、今後起こりうる男子生徒のやっかみへの恐怖か、はっきりしないハードルだった。


 呪いに関しては解決すべきだと思っているので、話に応じてくれるならありがたいことだ。


 響司は自分のすべきことを一番だと考え、渋々、ヨルの言った言葉をそのまま口にする。


「……よかろう、ってさ」

「なら明日、授業が終わったら行きましょう。学校から一緒に行くとまた変な噂が出てくるでしょうから、駅前に集合しましょうか。今スマホ持ってないし、連絡先もそのとき交換しましょ」

「わかった」

「それじゃあ、また明日お願いね。えーっと、ヨルさんも」


 見えないヨルに対しても手を振る紀里香は映像室に戻っていった。

 

 どんどん流れが決まっていったことに響司は胃が痛くなる。


「小僧、顔色が悪いぞ」

「逢沢さんを家に入れるのが怖い」


 お腹をさすって、感情と胃の痛みが落ち着くのを響司は待つ。


「見目麗しい女を招き入れることに恐怖するとは変わった小僧だな」

「慣れてないんだから仕方がないでしょ!?」


 静かになった科目棟の廊下で、響司は今日一番大きな声を出した。

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