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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
交差点の悪魔
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 耳元で音楽が聞こえる。ヴォーカルの声よりも休むことなく叩かれるドラムが騒がしい。目覚ましには丁度いいと思って、アラームに設定した曲だ。


「起きろ人間」


 響司の右の脇に針のような硬くて鋭いものが二度当たった。重い瞼を響司がうっすらと開けると、黒い靄が視界を覆っていた。


「この喧しいオルゴールを止めろ! 五月蠅(うるさ)くて敵わん」


 まだ意識がうつろな中、響司の手に薄くて硬い板が置かれた。小刻みに震える板を寝ぼけ眼で確認する。


 スマホだ。

 

 目を閉じて、画面を見ずに慣れた手つきでアラームを停止させる。バイブが止まり静かになった。


「もう朝か……」


 カーテンの隙間から朝日が射していた。カーペットの上で寝たせいで腰が痛い。

 響司は半身を起こしてテーブルに顎を置く。


 テーブルには飲みかけのコーヒーの入ったマグカップ。もう完全に冷めてしまっていて、コーヒーの表面がいれたての時より色が薄い。恭二はもったいないと思ってコーヒーを一気に飲み干す。


「まっず」


 香りも飛んで、味もぼやけてしまったコーヒーは意識を覚醒させるのにちょうどよかった。


「ようやく鳴りやんだか」


 黒くて大きな、見慣れない物体が動いた。恭二は目を見開いて、奇妙な存在を確認する。

 

 草食動物の頭蓋骨が天井すれすれを右に左に動いていた。


 昨日の出来事が走馬灯のように駆け巡って、眠る前に願いを口にしたことを思い出す。


「あー、えーと。おはよう。ヨル」

「うむ。おはよう」


 ヨルが響司に顔を向けた。身体を隠すように黒い靄が絶え間なく揺らいでいる。


(本当に夢じゃなかったんだ……)


 改めて悪魔の存在を認識して、響司はどこか安心する。


「まったく、このオルゴールは何なのだ」


 ヨルの骨の指がスマホを軽くつついた。骨の先が尖っている。

 響司の身体を刺した針はヨルの指先だったようだ。


「オルゴールじゃなくて、スマホっていうんだよ。アプリで特定の時間に音を鳴らしたり、遠くにいる人に連絡とったりできる便利なもの」

「すまほ? あぷり? よくわからんが耳障りな音をわざわざ鳴らしてどうする。音を鳴らすのであれば耳障りの良い音を鳴らせばよいものを……。ピアノという楽器があろう。アレは心地よい音を鳴らす」


 起きるための音で心地よくなってしまっては寝てしまう、というツッコミを響司は心の中にしまった。


「今、何時?」


 スマホの画面を見て頭の中が真っ白になる。


 七時五十分。響司がいつも家を出ている時間だった。


「うわぁぁ! 遅刻!?」


 響司はすぐに立ち上がって、自室に行き、ハンガーにかかっていた制服を床にばらまく。

 歯を磨きながら家中を走り回る。


「オルゴールが静かになったかと思えば人間が五月蠅(うるさ)くなりおったわ」


 慌てて制服に着替えて、鞄を持ち、家を飛び出した。マンションのエレベーターは一個しかない。朝の時間帯は上階層に住む人たちが下りのエレベーターを占拠する。階段を五階分走ったほうが早い。


 鍵を閉めた後、外にある階段まで駆ける。一階まで反時計回りに階段を下りはじめる。


「学校と言っていたが、学徒であったか」

「しゃべったら酸欠になるから話しかけないでって……」


 階段の手すりの外にヨルがいた。

 地上まで十メートル以上ある空中を浮かんでいる。


「浮いてる!?」

「悪魔だぞ。人間のように地を歩く必要はない」

「いやいやいや、問題だよ。人が見られてたらどうするのさ!」

「ワシは誰にも見えぬよ」

「完全に忘れてた」


 見た目だけでなく行動も常識の範囲外であることを改めて感じてしまう。


 階段で地上で到着した響司はすぐに通りに出る。

 最寄りの駅まで全力疾走して八分が今までの最短記録。電車に揺られる十二分間は休憩して、学校までもう一度走って六分――合計二十六分。現在時刻、八時。遅刻認定される八時半にはギリギリ間に合う計算だ。


「時に貴様の願いについて疑問ができた。学徒であれば勉学がある。貴様ぐらいの年齢であれば(つがい)となる女を探すこともあるだろう。退屈なぞしている暇はないのではないか?」


 (つがい)という表現に頬を引きつらせる響司。


 人が多くなる通りから一つ外れて、空地のフェンスを登って越える。駅までにある信号を二つ無視する近道だ。退屈しのぎに駅までの最短ルートを探索していた時に見つけた。空地の所有者に知られれば大目玉間違いなしだ。


「たぶん、ヨルの考えてる退屈と僕の殺してほしい退屈は違うと思うよ。僕は退屈になると死ぬから」


 響司は人目がないことを確認して、フェンスを飛び降りる。

 ヨルはフェンスをすり抜けていた。人間がやれば網目状に潰されて不細工なサイコロステーキになっている。


「生きておるではないか」

「ほんの一瞬だけ死ぬんだよ。誰も僕が死んだことを認識できないほど短い間、僕は死ぬ」


 通りに戻ると、交差点で信号が赤になったところだった。

 サラリーマンやOL、集団通学中の小学生たちが信号の前に固まっていた。響司は駆け足のまま、集団の一番後ろにつく。


 ヨルは浮いたまま、集団の先。車が走り続ける道路に飛び出した。フェンスを通り抜けたヨルであれば大丈夫だろうと響司は黙って見続ける。


 予想通り、ヨルは車という高速で動く金属の塊を物ともせず、信号を渡り切った。


 ヨルが後ろを向いた。対面の歩道から、ふよふよと浮いて戻ってくる。


「急いでおるのだろう。なぜ止まる?」


 誰にもヨルとの会話を聞かれないように響司は一歩、後ろに下がっていく。

 

「この交差点、昔っから事故が多いんだ。だから急いでいても、ここの信号だけは守ることにしてる」


 最低でも半月に一回のペースで事故が起こる駅前の交差点。事故原因は不明。事故に関わったものは軽傷でも二日もたたない間に絶命する。いつからか、近隣住民は『呪いの交差点』と呼ぶようになっていた。

 

 響司はまだ事故現場に出くわしたことがない。

 ただ電柱の下に備えられている花や人形が増えていることは認知していた。


「もうやだよ! おかあさんに会いたいよー!」


 子供の声がする。声は交差点の中央。

 女の子が蹲って泣いていた。


 響司が一歩踏み出すと、ヨルが大きな手で行く手を遮った。


「助けようと思うな」


 鋭い言葉に響司の足が止まる。


「でも!」


 周りの大人はスマホをいじったり、信号が変わるのを待っているばかり。目の前で女の子が泣いているのに見向きもしない。表情を変えない大人たちに響司は奥歯を噛む。


 女の子の近くに寄ろうとしても、ヨルの手が力強く邪魔をする。


「いいから見ていろ」


 車が、子供の身体をすり抜けた。


「あのガキは貴様とワシにしか見えとらんよ。アレは死者の魂だ。何らかに縛られているのだろうよ」


 歯に入れていた力が抜けた。

 響司はまた一歩下がって、ヨルを見上げた。


「僕、幽霊が見えてるの?」

「ワシと契約した影響だな。たまにおるのだ。ワシと波長が合って力を得る人間がな。力を持ったからといって生者が死者を助けようなどと思うなよ。痛い目にあうぞ」


 ヨルの声が遠のいていく。耳鳴りがしてきた。響司は起きてすぐに走ったからかもしれないと、目を閉じて、深呼吸をする。


 鼓膜の奥で響く聞いたことのない弦楽器の音。弦が音は大きく力強くなっていく。ホラーゲームで不安を煽るときに聞くBGMのようだ。耳が弦楽器の音で支配される。


 ゆっくりと音が高くなっていって、突然、(げん)が切れるような音がした。


(あれ?)  


 車が走っているのに音がしない。

 スマホで喋っているサラリーマンの声がしていたはずなのに無音になった。


 似たような感覚に心当たりがあった響司は胸を抑える。苦しくない。退屈は感じていない。一瞬ではない。


(いつもの、退屈で死ぬ感じじゃない)


 スマホを手で握ってまだ話しているであろうサラリーマン。時計を見て足踏みをするOL。ランドセルをぶつけあって遊ぶ小学生たち。


 世界が止まっているわけではないらしかった。


(ただ聞こえないんだ。耳がおかしくなった?)


 手のひらで耳を塞ぐ。離す。また塞ぐ。

 何度か繰り返すと少しずつ音が聞こえるようになっていく。


 聞こえた音はさっきまでと音が違う。音が濁っている。

 音質が悪いというか壊れかけのイヤホンで音楽を聴いているようなノイズが入っている。


 ゆっくりと音は鮮明になっていく。ノイズがなくなって人の声や物がぶつかる音がまた聞こえた。


(調子悪いのかな)


 音のない世界は終わった。響司は安堵する。


 信号が青に変わる。待ってましたと言わんばかりに信号待ちしていた人は進み始める。


 響司は遅れて、駅に向かって走り出す。


「もっと早く走れんのか」

「これでも全力!」

「まったく、これだから人間は」


 ヨルが視界から消えた。


 背中が力強く押される。力加減を知らないのか上半身から地面に倒れそうになった。慌てて両手をついて頭を打つことだけは回避する。


「急に押すなよ危ないって!」

 

 音が消えた。かき消された。

 右の鼓膜を破りそうなほど大きなノイズ。次に聞こえたのは甲高い車のブレーキ音。

 目の前で青い軽自動車がスピンして、横転する。そして対向車線を走行していた白いワゴン車と衝突した。


 事故が起こった現実に響司は口を半開きにしたまま硬直させている。事故を目の当たりにした人々の悲鳴と止まらなくなったクラクション。


「離れろ! 爆発するかもしれないぞ!!」


 事故車から離れるように誘導する大人が声を張り上げていた。


 焦げたゴムの匂いが鼻についた。


 響司は瞬きを数度して、我に返る。

 すぅっと、ノイズが消えた。


「キミ、大丈夫かい?」


 名前も知らないスーツを着た男が響司に声をかけてきた。

 周りから見たら車に跳ねられたように見えたのだろう。


「大丈夫です」

「でも顔を切っているよ」


 耳を握っていた手を放して顔を触る。右頬に液体があった。手のひらを見ると血がべったりとついている。

 響司のブレザーに血が垂れる。深い緑色と赤が混じり、茶色い染みを作っていった。右の裾についた大きな染みは落ちそうにない。


 事故の時に飛んだ鋭い物が頬を切り裂いたのだろう。切れた皮膚は痛みを感じていない。


「なるほど。こうなったか」


 響司は左に立つヨルを見上げた。

 動じることなく呟いたヨルの表情はわからない。表情筋がないのだから読めるはずがない。


 ただ響司に分かるのは、ヨルが事故を予測していたらしいことと事故に巻き込まれないように背中を押してくれたことだった。


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