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紀里香の偽物に襲われた翌日、響司はいつも通り学校に来ていた。
駅まで歩き、満員電車に揺られ、学校までまた太陽に照らされて歩く。まだ五月だというのに日差しが夏と変わらない。
「暑かった……」
下足場で日差しを遮ってくれる屋根のありがたみを噛みしめながら、響司は靴を履き替えた。
「ではワシは見回ってくる。何かあれば呼べ」
響司は他の生徒にバレないようにヨルに向かって、手を上に上げた。
ヨルの気配が校舎の上へと移動していく。
「うっす」
「おはよう」
晴樹が先に下足場にいた。学校指定の黒い鞄とは別に部活で使う大きな鞄を肩にかけている。暑い中、重い荷物を持って登校する晴樹を尊敬してしまう。
「そういえば晴樹、昨日結局、文化祭の出し物のこと教えてくれなかったじゃん」
半眼で晴樹がじろじろと響司を観察していた。目つきが怖いため、一見すると脅されているようにも見えかねない。
晴樹は無言で響司の首元に筋肉で太くなった右腕をラリアットをするようにねじ込んだ。
手加減されているので、響司の呼吸が難しくなるようなことはなかった。晴樹の身長が響司よりも高いので、つま先立ちになってしまう。
晴樹が響司を拘束している腕の肘を曲げて、響司の頬が押し潰す。
「ぐるちい」
何ら問題ないが響司はふざけて暴れるフリをした。
「教室行く前に話があるから連行な」
学校の廊下を歩き始める晴樹。響司は全身の力を抜いて、晴樹の腕に顔を挟まれたまま運搬される。
他の生徒もいる中、周りの目を気にすることもなく、渡り廊下を歩き、東棟まで運ばれた。
東棟は生徒の間では科目棟と呼ばれている。調理実習室や化学室。そして、美術室といった特定の科目で使用する教室がほとんど入っているからだ。
朝から科目棟に集まるのは一時限目から移動教室のある生徒だけ。登校したばかりの生徒は自分のクラスに鞄を置きに行くため、朝は学校の中でも一番人が少ない。
科目棟の一階、階段付近で響司は開放される。科目棟でも人がさらに来ないところだ。晴樹が人目を気にしているとしか思えない。
「昨日、掃除が終わった後に逢沢さんと会ってただろ」
響司は鳥肌が立った。
偽物の紀里香のことを見られたかもしれない。黙っていて、と紀里香にお願いされている。
どう返したらいいかわからない響司は瞬きを何度もする。
晴樹は腕を組んで、唸る。
「やっぱり会ってたんだな。分かった」
「会ってないってば!」
慌てて返答したが、声量を間違えてしまい、科目棟の中で声が反響した。
「本当に会ってないならセツは即答してるだろ。火に油注いでどうするんだよ。騒ぎを沈下させたいんだろ?」
「それは……そうだけど……」
「忘れ物したから取りに戻ったら逢沢さんとセツが教室の前にいたからビックリしたわ」
教室の前、という情報に響司は胸を撫でおろした。
(本物と偽物の紀里香がいた場面は見られていないんだ。よかった。見られてたら、火に油とか言う話じゃなくなってるもん)
磔にされて、火あぶりの刑にあっていたかもしれないと、別の寒気が襲い掛かってくる。
「真面目な話、逢沢さんと付き合ってるとかではないんだな?」
「ないないない! 僕とじゃ釣り合わないよ」
「じゃあ、今後いい関係になりたいとかないのか?」
「ございませぬ」
きっぱりと言い切る響司。
晴樹は組んでいた腕を下ろして、肩にかかった部活の鞄のポジションを直した。
「俺としてはお前が逢沢さんと付き合いたいっていうなら応援するつもりなんだが……本気で何もなさそうだな」
東棟に来た道を戻り始めた晴樹の横を一歩遅れて響司がついていく。
「応援される理由がないよ」
「一年の頃にセツが言ってただろ。『退屈で死ぬ』って。逢沢さんが彼女になって、退屈じゃなくなればお前は死ななくなるじゃないか」
誰にも理解されない退屈から始まる死の感覚。
諦め混じりで晴樹に話したのは、半年前だ。体育でサッカーをしているとき、死の感覚に襲われてしまい、回避できるはずだったシュートを顔面で受けてしまった。
シュートの威力が強く、鼻血が止まらなくなった響司は保健室に行くことになった。シュートを決めたのが晴樹で、保健室まで付き添いもしてくれた。
「たった一回しか言わなかったのによく覚えてるね」
「最初は何言ってんだコイツって思ったさ。でも、何度かセツが胸を掴んで苦しそうにしてるの見てるからな。セツが隠し事とか嘘が下手なのも後でわかってきたし」
「下手かな?」
「行動に出るから、わかりやすいわな。顔にはあまり出てないけどよ」
響司は腕を前にで垂らして、ゾンビのように歩く。
「そういえば、文化祭の出し物が何に決まったのか、まだ聞いてない」
「昨日が昨日だったからな」
晴樹はスマホを出して、操作をし始めた。
「第一候補が演劇で、第二候補が喫茶店。他の組と被れば抽選でまた考え直しになるかもってさ」
スマホの画面に画像が映し出されていた。
黒板に出し物の候補が並んでいた。演劇、喫茶、お化け屋敷と書かれた下に正の字で票数をカウントしていた。
赤い丸が、演劇の文字を囲んでいる。喫茶店にも多くの票が入っているが負けてしまったらしい。お化け屋敷は発案者と思われる者の一票だけだった。
「演劇か……。確実に逢沢さんがいるからだよね」
「それもあるが俺たちのクラス、二年の演劇部員が半数いるらしいしな。俺としては喫茶店が良かった。逢沢さんが接客してる姿が見たかった……! できればメイドさんとかの格好で」
「是非とも逢沢さんに怒られて欲しいね。しかし、クラスの過半数が男子なのによく演劇の方が第一候補になったね」
「当日、昼休みに男子のみを集めて喫茶店に投票しようと団結していたんだが……。メイド姿よりもお姫様や男装の麗人を演じる逢沢さんが見たくないか、王子様役をしたら逢沢さんと急接近できるかもしれない、という演劇部女子からの甘言に負けた男子たちによる裏切りが発生した。お前がいれば同数で延長戦に持ち込めたのに!」
スマホの画像を改めてみると、演劇が一八票。喫茶店が一七票だった。
「演劇を愛している方々に謝罪して、本当に。文化祭の出し物決めるのに変な情報戦してるしさ……」
「お前はそういう言動が女に興味なさそうって言われるんだぞ。下心出せよ」
「みんなは剥き出しにしすぎね」
興味がないわけではない。ただ、興味を向けるだけの余裕がないのだ。
ヨルが言うところの『欲無し』状態。退屈で死んでしまう身体をどうにかしないことには他のことに時間を割けない。
(退屈で死ななくなったら、何か変わるのかな?)
廊下の窓から外を眺める。
登校中の生徒の中に腕を組んでいる男女が一組いた。距離感からも空気感からも付き合っているのは明白だった。他の生徒はカップルの空間に飲み込まれないように、数歩離れている。
羨ましいという感情よりも、自分がそんな状態になれるのか、と遠い目で響司は眺めているだけだった。




