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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
呪われた少女
17/78

「正気に戻って、逢沢さん!」


 響司は紀里香の肩を掴んで引きはがそうとする。対する紀里香は響司の抵抗関係なしに接近する。

 

 紀里香の小さな顔が響司の耳元で止まる。


「元から正気よ? ちゃんと答えてくれたらアナタの好きなようにさせてあげる」


 右耳へ媚薬を流すような紀里香の囁き。


 耳元から離れて妖しい笑みを浮かべる紀里香に響司が感じたのは恐怖だった。


 美人に教室の壁と床に押し倒されて喜ぶ人もいるかもしれない。響司も最初は胸が当てられて嬉しい瞬間もあった。あったが、紀里香の笑みで消し飛んだ。


 目が笑っていない。獲物を見る目。狩人の目だった。


「さぁ、ワタシのこと、どう思うの? 素直になりなさい」


 響司は赤面しながらも、紀里香への抵抗を続ける。

 

 相手が女の子ということで最初は全力を出さずにいた。今は違う。全力で押し返しているが、離せない。


 力を加えるたびに力が抜けそうになる。紀里香が馬乗りになってからずっとだ。


(おかしい。絶対におかしい。こんなの逢沢さんじゃない!)


 廊下で誰かが走っている。上履きが廊下を蹴っては止まり、教室の扉を壊れそうな勢いで開けていた。ちりん、と清涼感のある高音が足音とともに大きくなっていく。


(風鈴みたいな音……逢沢さんの魂鳴りだ! じゃあ、目の前にいるのは誰!?)


 二年三組の教室の扉が開いた。


「見つけた!」


 肩で息をする逢沢紀里香が大きな声で叫んだ。


 音が深い水底に落ちた。水中で空気を吐き出し続ける音。誰かが苦しそうに水面を叩いていた。


(溺れている? なんで急にこんな音が……)


 変わった音が聞こえたのは、一瞬だった。


 交差点の事故前に悪魔の音を拾ったときと近い感覚。聴覚が意思と反して、完全に魂の音に引っ張られていた。


「見つかっちゃった」

 

 響司の上に馬乗りしていた紀里香は、不愉快を表情と空気に隠すことなく、立ち上がった。


 二人の逢沢紀里香が睨み合っている。


 廊下側に立っている紀里香が一歩前に足を出せば、もう一人の紀里香が窓側へと後ずさった。距離はまったく縮まらない。


「残念ね、アナタ。応えてくれたら胸ぐらい触らせてあげたのに」


 紀里香の偽物はブラウスの引っ張って胸をちらりと響司に見せつけた。

 

 響司は首を高速で動かし、目を逸らす。逸らした先には本物の紀里香がいた。綺麗な目元が吊り上がり、小さな口を歪めていた。


「じゃあね、また会いましょう」

「待ちなさい!」


 紀里香の偽物は窓に向かって走りだした。本物が偽物を捕まえようとして、手を伸ばす。偽物のスカートを本物が掴もうと右手を伸ばす。


 確実にスカートの端を掴んでいるはずの本物の手がスカートをすり抜けた。


 スカートだけじゃない。偽物は身体ごと窓も壁も通り抜けていた。


 何食わぬ顔で外に出た偽物は窓の外に生えている木に飛び移る。


「バイバーイ」


 笑顔で投げキッスをしてから、偽物は木から飛び降りた。


 二年の教室は二階にある。普通の人間なら怪我をする。

 

 響司は慌てて、窓を開け、下を見渡す。偽物は響司に背を見せ、軽快なスキップをしていた。


「まぁ、平気だよなぁ……」


 壁抜けをしたところで、響司はもしかしてと思った。紀里香の偽物は人外。それもヨルに近い存在だ。ただ悪魔特有のノイズはしなかった。代わりに聞こえたのは誰かが溺れているような水の音。


 俯き、長い髪を垂らし、両足を床につけて座り込んでいる紀里香が響司の横にいた。座っているだけで、空気が重い。


 紀里香は『見つけた』とはっきりと言っていた。初めて自分とそっくりな存在に『見つけた』とは普通、言わない。つまり、偽物の存在を知っていたことになる。そして、先週の演劇部襲撃の発端となった『バスケ部のエースへ逢沢紀里香がアプローチした』という噂。


 響司の頭の中で、点と点が繋がっていく。


「あの偽物がこの前の噂の犯人?」

「確証はないけど、そうだと思う……」

「見た目は区別つかないし、壁のすり抜けも出来る。おまけにめちゃくちゃ力が強い。アレが何か知ってる?」


 紀里香は静かに、ゆっくりと首を横に振った。


「偽物のこと知ってる人は?」

「どうして……刹那くんはどうして冷静でいられるの?」


 紀里香は小さく震えていた。

 

 響司は、はっとして、紀里香の隣で胡坐をかいた。下から紀里香の顔を覗き込むと、唇を噛み、苦悶の表情をしていた。


 かける言葉を間違った、と響司は反省する。常識ではありえない状況に慣れてきていた響司は自分で自分の頭を一発殴った。


「ごめん」


 響司は背中を撫でようと右手を出した。

 紀里香の魂鳴りが荒れた。清涼感のあった音がただガラスがぶつかりあう音になり、空中で手を止めた。


 触れることで紀里香が壊れてしまう気がして、手を引っ込めた。何をしようか響司は迷ったあげく、隣に座って黙ることにした。

 

 響司は口元を右手で隠して頭を動かす。


(僕もヨルを初めて見たときはびっくりした。ヨルは出会った時から少し変わっていて面白かったけど、逢沢さんのは、怖いだけだ)


 ホラーが得意かと聞かれれば響司は苦手と即答する。だが、本物の紀里香が現れたときよりも、偽物の紀里香が言い寄ってきた時の方が心と思考が乱れた。


(きっとマオちゃんの件で変な耐性ついちゃったのかもしれない……)


 響司は自分の精神の変化を良しと捉えることができなかった。


「刹那くん」


 響司は紀里香に苗字を呼ばれて前を向く。紀里香は俯いていた顔を上げていた。

 

 緊張しているのか、顔がこわばっている。


「もう一人の私のことは、誰にも話さないで欲しいの」

「言うつもりないよ。言っても誰も信じないって」


 響司は足は胡坐をかいたまま、後ろに倒れた。教室の床は硬くて、人肌よりも温度が低い。


 自然と紀里香の胸とスカートの下から見える太ももに視線がいってしまっていた。


(忘れることは出来そうにないけどね……)


 紀里香の偽物は暖かくて、柔らかくて、いい匂いがした。記憶されてしまった服越しの感触が響司に罪悪感をあたえる。


「ありがとう」


 紀里香の表情がやっと緩んだ。魂鳴りも穏やかになって、また風鈴のような音色を奏でる。


「落ち着いた?」

「うん。刹那くんはずっと冷静だったね」

「焦りまくりでしたが? 何なら力負けして、めちゃくちゃ怖かったですが? 逢沢さん来てくれて助かったと思ってますが?」


 響司は上半身を起こして、紀里香と向き合う。


 紀里香は体勢を変え、胸の前で足を曲げ、腕で膝を包んだ。


「見栄とか意地を張ったりしないんだ」

「そういうの大切にする人間が今朝みたいに助けを求めたりするかな」

「それもそうね」


 静かにクスクスと笑う紀里香。暗い表情よりも、何倍も似合っていた。


「逢沢さんはやっぱり笑ってるほうがいいよ」

「時と場合によっては女の子を勘違いセリフよ、それ」

「勘違いされるようなフラグを立てた覚えはないから安心して言ってます」


 響司は腰をあげた。伸びをして、今後の行動をどうするかを考えていた。


 ヨルがこの場にいない以上、紀里香の偽物がどういった存在なのか確認できない。紀里香が偽物に困っているのはわかるが、どうしたいかもわからない。


 進む方角が決まっていない船の上にいるのと同じだった。


「逢沢さんは偽物をどうしたい?」

「できることなら変なことをしないようにしたい。でも、方法がわからないの。見つけたら追いかけてはいるけど……」

「見つけたら? 今日のは偶然?」

「近くを通ったら私の名前を叫ばれていたから、嫌な予感がして走ってきたの」


 初めは紀里香が正気じゃないと思って、叫んでいた。実際、襲ってきたのは紀里香ですらなかった。


「嫌な予感は見事的中したと。確認なんだけど、今回のことを知り合いに話していい? こういうのに詳しいから何か対処法を教えてくれるかもしれない」


 紀里香はしばらく沈黙し、悩んだ後、頷いた。


「私もどうにかしたいし、信用できる人なら……」

「人っていうか、悪魔なんだよね」

「冗談……?」

「かなり真面目に」


 響司が真顔でさらっと言った言葉に、紀里香は困惑の表情を隠しきれていなかった。

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