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退屈しのぎの悪魔契約  作者: 紺ノ
交差点の悪魔
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―― ◆ ―― ◆ ――


 響司は夢を見ていた。


 温かい毛布にくるまれ、ゆりかごに揺られている夢。揺らしている人物の顔は見えず、ただしかめっ面で、赤ん坊の姿になった響司のいるゆりかごを無言で揺らしていた。


 ゆりかごと響司と誰かしか存在しない明るい空間。悪魔との戦いで死に、三途の川にいると響司が思っていたところ、想定していない光景で困惑する。


 ただ、ゆっくりと眠るには最適だった。


(このまま目をつぶってしまえば、僕は死んじゃうのかな?)


 響司は手を伸ばす。赤ん坊の丸くて、短い腕を空へと伸ばす。


 何か大切なものがあったはずなのだ。忘れたくない何かが。


(そうだね。まだお礼を言ってないよね)


 眠ってしまいそうな目を力強く開けると、光のない世界だった。暗くて何も見えない。


 首をを動かそうとしただけで全身が痙攣する。腰に刺す痛みが走った。


「あん、ぎゃっぐ!?」


 言葉にならない悲鳴を上げて身体を前に倒すと、柔らかい布団が響司の上半身を受け止めていた。


 紺色の布団のカバー。響司がいつも使っている布団のカバーだ。下半身は固い床の上に正座をするような形になっている。


 顔を埋めるように、上半身だけがベッドにのっていることを響司は理解した。


「あれ……? 僕、死んでないの?」


 紙が響司の顔に押し付けられる。

 顔を振って、紙を払った。


 辛うじて動く左腕を使って、紙を拾うと、ルーズリーフだった。最近見た筆跡で文字が書かれている。


『生きておるぞ 愚か者』


 頭の中で誰がどんな風に喋っているか簡単に思い浮かぶ。


「そっか。また僕は助けてもらえたんだね」


 寝返りを打つように布団の上で半回転させる。


 天井を見上げると、鉛筆が一本、空を飛んでいた。


「ヨル?」


 鉛筆は机まで飛んでいく。

 机の上に置かれた開封済みの二百枚入りルーズリーフの袋から一枚のルーズリーフがするりと出てきた。


 鉛筆はルーズリーフに書き込んでいく。書き終えると、響司にルーズリーフを見せつけてきた。


『なんだ』


 空中に浮かぶルーズリーフ。

 達筆というわけではないが、文字のはらいが強すぎる文字が響司に答えた。


 響司は自然と笑いが込み上げてくる。そして、目を腕で隠した。


「そっかー。見えなくなっちゃったか……」


 目の前で筆談しているのはヨルだ。確かにいるのに、響司の目にはもう悪魔のヨルの姿が映らない。


 契約を切られ、完全に人に戻ってしまった。


 戻っただけなのに、酷い喪失感だ。子供の頃、使い道もわからず大切にしていたカッコイイ恐竜のイラストのカードを落としてしまったときと似ている。結局、カードは響司の下には戻ってこなかった。


「マオちゃんとお母さんはどうなったの?」


 鉛筆がカリカリと音を立てる。


 音が止んだところで、腕と目の間にできた隙間から響司はルーズリーフの文字を読む。


『浄化した 周りにいた悪魔はワシが喰った』

「で、僕を助けてくれたと。手を貸さないって言ってたのに手厚い介護じゃない?」


 響司はからかうようにいうと、目を覆っていた腕を掴まれた。

 

(ヨルは悪魔だ。魂を喰らう者。今から魂を食べられるちゃうんだろうな)


 悪くない、と思ってしまうのは相手がヨルだからだ。ヨルになら、食べられても文句はない。


「えぇい、もう面倒だ!」


 響司は眼前に現れた動物の頭蓋骨と黒い靄に瞬きを何度も行う。

 

 ヨルの左手の指の一本から細い糸が出ていた。糸は響司の首に繋がっている。何重にも巻かれていた。


「おい貴様、ワシともう一度契約しろ!」

「なんで? 僕を食べるんじゃないの?」

「あのまま幼子の魂の浄化も出来ずに雑魚にやられたのならそうした。が、貴様は成功させた。ワシは賭けに負けたのだよ」

「賭け? 何の話?」


 ヨルはそっぽを向いて響司の質問には答えない。


 響司はため息を漏らす。そして頬を緩ませた。


「オーケー。契約しよう。ただ契約するには条件がある」

「なんだと」

「ヨルのこと、気が向いた時でいいから教えてよ。退屈を一緒に殺すんだ。相手のことは知りたいじゃないか」


 表情らしい表情のないヨルだが今はわかる。口をあんぐりと開けて、珍妙な生き物を見たような目をしている。


 骨の顔を横に振って、ヨルは響司から距離をとった。


「そちらが条件を出すならこちらも条件を二つだそう」

「二つ!? こっちは一つなのに?」


 ヨルが骨の指を一本立てた。無視して話すつもりだ。


「一つ。いつになってもいい。貴様の魂鳴りを聴かせろ」

「僕って鳴ってないの?」

「気づいておらなんだか。欲は弦のようなものだ。欲の形で弦の太さ、長さは変わる。故に魂鳴りは時には繊細で、時には力強い音を奏でる。もっとも歪んだ欲は不協和音しか生み出さず耳障りだがな」

「僕『欲無し』認定くらってるんですけど……」

「だから今すぐにとは言っておらぬだろう。いつか貴様が正しく欲を持ち、魂を鳴らすときがくる。そのとき聴かせてもらえればよい」


 正しい欲というのが響司には理解しがたかった。正否の判断基準がヨルの中にしか存在しない。判定員たるヨルは響司に『間違っている』と言い放っている。


「正しい欲っていうのが持てるかわからないけど、うん。わかった。もう一つは?」


 ヨルが二本目の指を立てるかと思いきや、響司の額に指を当ててきた。


「欲望をもっと口にしろ。ワシは貴様の願いを叶える悪魔だ。あの幼子を助けたいならワシに『助けるのを手伝え』と命令すればいいのだ。それもせず、己だけで抱え込み死にかけるなど言語道断!」

「ちゃんと確認したじゃん!」

「確認ではなく命令しろと言うとるのだ!」

「だってヨルは嫌そうだったじゃないか! 無理強いする気ないよ。僕のワガママなんだから」

「嫌がって当たり前じゃろう! 契約者である貴様ならともかく、何でワシが見ず知らずの魂の世話をせねばならぬのだ! 我を通すのであれば、より成功率の高い行動をした方がよいではないか!」

「ヨルにも感情があるでしょ! だから尊重したんだよ!」

「貴様は悪魔と死者と生者を同列で考えすぎなのだ。もっと区別して考えよ」

「いやだ!」


 一際大きな声で響司はヨルに言い放った。


「な……に……?」

「感情がある。言葉も通じるんだよ? はじめはヨルの見た目が怖かったけど、慣れたらこうやって言い合いができる。だったらちゃんとお互いに納得してから同じ方向を見て進みたい」

「甘っちょろいことを。それで死にかけたのだぞ」


 ヨルの言葉が響司の胸に刺さる。

 

 ぐうの音も出なかった。響司は口を強く結んだ。


「で、どうするのだ。条件を呑み、本当に再契約をするのか否か」

「僕はいい契約者じゃないよ? また死んだ人のために走り回ると思うよ?」

「知っておるさ。その上で提案しておる」


 心臓が動き出した気がした。生きているのだから動いていて普通。でも確かに響司の心臓が強く脈打つ。


「わかった。契約しよう。僕が間違ったらヨルが手を引っ張ってね」


 ヨルの指を響司は握った。


「ハハハハハハ! 悪魔のワシに言う言葉ではないのう! のう! よかろうよかろう。ではワシが間違ったときは貴様が正せ、小僧」

「小僧じゃなくて、刹那響司だよ。ほら、呼んでみてよ」

「断る。何故、貴様の名前を呼ばねばならぬのか」


 窓から少し光が入り込んでくる。それでも部屋の中は暗い。


 響司はポケットに入ったままのスマホを出そうとしてスマホがないことに焦る。

 昨日、動き回ったときに落としたのかもしれない。


「スマホ落とした!?」

「これのことか?」


 ヨルが左手でスマホを持っていた。


「あー、よかった。なくなったら一大事だった。ありがとうヨル」


 スマホのホーム画面を開けると、充電してくださいの警告が出ていた。

 充電してからしていったのに、減るのがあまりにも早い。


(心霊現象と電子機器は相性が悪いというけど、スマホも影響があるのかな?)


 晴樹から連絡がこない。文化祭の出し物が決まったら連絡すると言っていた。同じクラスである紀里香から教えてもらったと思っているのであれば、後で教えてもらうために響司から催促する必要がある。

 

 時刻を見ると午前四時二十分。早朝も早朝だった。


「朝四時過ぎか……。全然寝てないなぁ」

「何をいうか。丸々一日寝ていたではないか」


 ヨルの指摘でもう一度スマホを見る。

 月曜日の文字がカレンダーアプリに表示されていた。


「僕の日曜日は? というかアラームは?」

「あの喧しいのなら小僧のを見よう見まねで止めておいたぞ。あれだけの戦いの後だ。止めるだけに起こすのも忍びない」


 ヨルがスマホを持っている時点で違和感に気付くべきだった。


「あー! もう最悪! なんで一日寝ちゃうのかな!! ん? 待てよ」


 妙な汗が噴き出てくる響司。


 紀里香からもらった数学のプリントをやっていない。小テストの話もあった。


「やっばい! あっづ!?」

「身体を蛇のように動かして何をしとるのだ」


 お菓子の袋や英和辞典で封印されてしまった数学のプリントを取りに行こうとしたところ、身体の痛みに邪魔をされる。


「ヨル、お願いがあるんだけどさ」

「うむ」

「数学って書かれた紙を取ってきて……。今からやらなきゃテスト、ボロボロになっちゃう」

「ボロボロなのは小僧の身体だと思うがのう」

「テーブルの上に色んなものが山積みになったところの下にあるから!」


 ベッドの上で横になったまま、鬼気迫った表情をする響司にヨルは呆れていた。


「最初の命令がそれでいいのか、小僧よ」

「早くっ……!」


 ヨルはしぶしぶ響司の部屋を出る。


 リビングのテーブル前まで、ふわふわと浮いていく。

 響司の言っていた山がテーブルにはあった。


 お菓子の袋も英和辞典もヨルは無造作に左手で払いのけた。


 テーブルの下へ雪崩のように落下していくお菓子の袋と英和辞典。ヨルは荒れたテーブルの下を気にすることなく数学のプリントを探す。


 下から出てきた紙切れを一枚、ヨルは左手でつまむ。


 数学と書かれていることを確認して響司のいる部屋に戻ろうとする。

 

 隣の部屋にあるタンスがヨルの視界に入った。


 タンスの上には響司の母親の写真とライゼンのオルゴールが並んでいる。


「ワシ、あの小僧と再契約してよかったのかのう、ライゼンよ」


 一言だけヨルはぼやいて、新しい契約者の最初の命令をまっとうするのだった。

 

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