13
オルゴールの奏でるメロディに包まれながら、交差点の真ん中で、響司は白いチョークをアスファルトにぶつける。
黒板とチョークがつくような小気味良い音ではなく、互いを削りあうようなみっともない音をさせる。
「ヨルがくれた時間だ。終われない」
響司は口元から流れ出た血を空いている左手で払った。
ゲームによくある体力回復のアイテムを使ったわけでもないのに、身体と頭の動きがよくなっていく。
チョークが力に耐えきれず折れた。短くなったチョークで描き進める。
最後の斜線を引き終わったときには新品だったチョークは親指の爪ぐらいの大きさになっていた。
「マオちゃん。お母さんに会おう。一緒に!」
頭を押さえて蹲っていたマオに響司は手を伸ばす。
「うん……!」
マオの脚に絡みついていた鎖が伸びた。
見えていた以上に、伸びている。
『雑魚どもに人間の魂を捕らえ続ける力があるのなら、幼子の力なぞ借りずに己が力で人間を殺せばよいのだ』
ヨルが言っていたことを響司は思い出した。
(マオちゃんを縛り付けていたのはマオちゃん自身だ。お母さんを捕らえられていると思い込んで、動けなくしていたんだ)
走ってくるマオがこけそうになって、響司はとっさに手を出した。
握ったマオの手は小さくて冷たかった。
響司とマオは手を繋いで、降霊の陣の真ん中まで歩く。
「マオちゃん。思い出してお母さんのことを。たくさん思い出して」
「わかった」
目を強くつむって、口もすぼめるマオ。
響司はマオの姿が微笑ましく思えた。
オルゴールが作り出した結界の外で張り付いている悪魔たちに響司はガンを飛ばす。
悪魔の靄の身体から殺意が出ている。
全方位から殺意と怨念の視線。
荒れ狂う砂嵐の中にいると錯覚しそうなノイズ。
「僕は断ち切るよ。ヨルの言うように間違った欲だとしても」
足元の陣が輝いた。
公園で見た光とは桁違いの光度に響司は目を腕で隠した。下から流れ出るありえない風に髪を揺らされる。
耳の奥で心臓の音が聴こえる。
強い音が数度鳴って、あとは弱くなる。
首に熱いものが流れた。
響司は片膝をつく。
「おにいちゃん、どうしたの?」
ノイズの中で清涼剤のようなマオの声が混じった。
首をかわいらしくコテンと傾けるマオに響司は精一杯強がって笑う。
「大丈夫だよ。お母さんを呼んでるだけだから」
命が削られていることの実感が増した。
心臓の鼓動が弱々しくなっていく。
(多分、僕の命の音だ。燃え尽きそうなんだ……)
死を直感した。それでも止まれない。
(今、止まったら、また泣かせちゃうじゃないか。誰にも知られず、苦痛の中で。死んでも地獄なんてあんまりじゃないか)
陣の輝きが穏やかになっていく。目はまだ開けられる状態ではない。
ただ響司の耳はしっかりと新しく表れた音を拾っていた。ゆっくりと線香花火の弾けるような魂鳴りを――。
「おかあさん!」
響司の手からマオの手が勢いよく離れた。
ゆっくりと目を開けると、白いワンピースを着た若い女性がいた。セミロングの薄く茶色がかかった黒。
ワンピースを着た女性がしゃがんで大きく手を広げた。
「真央!」
マオとお母さんが抱きしめあう。
「おがあざん! ごわがった! ごわがったよぉぉ!!」
静かに涙を流すお母さんに対して、マオは号泣しながら叫ぶ。
「ごべんなざい! ごべんなざい! いっぱいこまらせてごべんなざい!!」
「私も、ごめんね。見つけられなくてごめんね、真央」
響司は腰を地面につけた。片膝をついているだけでも辛くなったのだ。
「よかった。成功した」
マオを抱きかかえたマオの母親が響司に歩み寄ってくる。
泣きじゃくるマオは母親に顔をこすりつけていた。
「娘のところに導いて下さり、ありがとうございます。ずっと探していました。どこにいるかわからず何年も何年も彷徨っていました」
頭を下げたマオの母親。
「大したことはしてないですよ。僕はただやりたいことをしただけです。それも悪魔に手伝ってもらってですけど」
「悪魔、ですか?」
マオの母親が結界の周囲にいる悪魔たちを眺めていた。
「外にいる奴らみたいなのじゃないです」
響司は真上を見上げる。ぽっかり空いた悪魔の靄の奥。夜空に浮かぶ月を見た。
「いっつも怒ってばっかで困ってると助けてくれる変わった悪魔です」
「貴方を笑顔にしてくれる悪魔なのね」
微笑むマオの母親に響司は深く頷いた。
「おにいぢゃん、ありがど」
マオがぐずぐずになった顔を響司に向けた。
あらためてマオの母親とマオを並べてみると、なるほど、と響司は納得した。
「似てますね」
「よく言われます」
談笑しているところに腕を生やした黒い靄が結界を叩き割ろうとしていた。
響司の結界を破った悪魔だ。
オルゴールの結界は頑強で、びくともしていない。
「早くここからいなくなった方がいいですよ。後ろにあるオルゴールあるでしょ? あれが止まると多分、結界が消えます」
オルゴールはゼンマイ式だ。電池なら数時間もループできる可能性があるが、ゼンマイでそれはない。
ヨルが『鳴りやむ前に終わらせろ』と紙に書いて伝えてきたことを響司は汲み取っていた。
「貴方はどうするんですか?」
「大丈夫。僕には笑顔にしてくれる悪魔がついてるんで」
――嘘をついた。
ヨルとの契約は切れている。
本当ならヨルが響司を手助けする必要は微塵もない。
手を出さないと言い出したヨルがオルゴールを使って時間を稼いでくれた。見た瞬間におののいたライゼンのオルゴールを使って、だ。
これ以上の介入はしてこないだろう、と響司は思った。
「そうですか。では私たちは往きます。本当に。本当にありがとうございました」
「バイバイ、おにいちゃん」
空気に溶け込むように二人が消えていく。
マオが手を振ったので、響司も見えなくなるまで笑顔で手を振った。
響司は発熱しはじめて、頭が痛くなってくる。
インフルエンザにかかったときのように身体全体が悲鳴を上げていた。
二人が完全に消えたところで道路の真ん中で横たわる。
オルゴールの近くまで響司は這いずる。
「ありがとうヨル。何とかできたよ。でも、ヨルにはもう会えそうにないね」
オルゴールを抱きしめた。
ノイズまみれの世界で終わりたくなかったからオルゴールの音を刻み込む。
(ヨルに会えてよかった。最後に僕が退屈で死ぬことを知ってもらえてよかった)
怒鳴られてばっかりだった。
たった一度だけ、悪魔の音を聴いたときに褒められたのは嬉しかった。
(きっと今、ヨルに出会えたら僕はきっと願うよ)
空き缶が転がる音がした。
カラカラとみっともない音だ。
そんな音がした後、オルゴールが止まった。
響司を守っていた結界にヒビが入った。
(今度はキミのことが知りたいって)
ヒビの入ったところから、黒い靄が響司に向かって、高速で飛び込む。
「まったく。やり遂げおったか。失敗したときは喰らってやろうと思ったがな」
―― ◆ ―― ◆ ――
ヨルが気を失っている響司を真横で見下ろした。
結界が失われて飛び込もうとした悪魔たちも立ち止まる。
悪魔にとって、靄以外の姿を持つことは力を持つ者の証だからだ。
弱肉強食の悪魔の世界で、上の者に嚙みつけばどうなるか悪魔たちは知っている。
知っていたが、悪魔たちの殺気は収まるどころか激しくなっていた。
「貴様を知ればワシは答えを得ることが出来るかもしれぬ」
悪魔たちは響司に襲い掛かろうと突撃してくる。
ヨルは黒い毛の生えた右手を出して響司とオルゴールを抱えて、空を飛ぶ。
高度百メートルでヨルは滑空する。高度が高すぎれば、人間である響司の身体が耐えられないからだ。
交差点の悪魔たち一斉にはヨルの背後をとりにいく。
「小僧の魂は喰い甲斐のない魂だ。雑魚とはいえ、分からぬはずがあるまい」
ヨルは追尾してくる数多の悪魔たちを睨む。
右手に抱えた響司を上に軽く放り投げた。
悪魔たちは急な方向転換をし、上空へ飛んだ。
ヨルは他の悪魔たちよりも速いスピードで響司の身体を回収する。
「なるほどな」
魂を喰らうだけならば、地面へと落下して、死んだ後を狙うため、地上に向かう。響司の身体を追いかけたということは殺意しかない。
「餌場を潰されて腹が立っておるのか。喰うことよりも殺すことが目的か。この人間を殺したいか。殺したかろう。のう。のう! 何せ貴様らが人間の世界に留まるために必要な餌が簡単に手に入らなくなったのだからな!」
痺れを切らしたヨルが空中で停止する。
悪魔たちは逃がすまいとヨルを囲んだ。夜空よりも暗い空間が作られる。
「雑魚共、一度しか言わぬから聞け! ワシの腕の中で気を失っておる小僧――セツナキョウジはワシの獲物だ。肉も血も魂も誰にもやらぬ!」
左手の骨の爪を出してヨルは夜空の中、高らかに宣言する。
「それでも小僧を殺したければかかってこい。ワシが相手をしてやろう。腹が減っていたところだ。雑魚でもこれだけおれば腹五分目ぐらいにはなるだろうよ」




