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22 本当の意味


「鷹司」

「──須藤」


 俺がその名を呼ぶのと、鷹司が俺の名を呼ぶ声が重なる。

 お互いがその名を呼んだのは、ほぼ同時のことだった。




 レッスン室の扉の前で、動きを止めた俺たちは揃って顔を見合わせる。


 二人の間に沈黙が流れたところ、次のレッスンを受ける生徒が入室してきた。

 室内にいると邪魔になってしまうので、俺と鷹司は扉をくぐり、廊下へと退出する。


 ビデオを片付け終わった姉の様子を確認したところ、どうやらすれ違いで入室してきた生徒と知り合いだったらしく、榎本先生を挟んで三人で会話を始めたようだ。



 廊下にいるのは俺と鷹司の二人きり。

 俺は心からの謝罪をしたいと思いながらも、鷹司が俺に声をかけた理由について考えていた。


 『氷の花』は静かな眼差しで俺を見つめている。

 もしかしたら、俺が先に話すのを待っているのかもしれない。


 本当はすぐにでも、謝りたい。

 この数週間、そのことばかりが頭の中を占めていたのだ。


 ──先に謝罪を口にしてしまおうか。


 そう思ったけれど、逸る気持ちを必死におさえ、俺は鷹司にうかがいを立てる。


「鷹司──俺も後から話したいことがあるんだ。でも、先に君の話を聞かせてくれないか?」



 鷹司に先を譲った理由は、姉に言われた言葉が気になっていたから。


 『謝罪の押し売り』──もし、鷹司が俺に対して何か物申したいと思っていた場合、俺が先に詫びることで、彼は本心を隠してしまうかもしれない。


 文句のひとつや二つ、甘んじて受け入れるつもりで、彼に先を促したのだ。




 鷹司は、こちらを真っ直ぐ見つめ、静かに頷くと、遠慮がちに口を開いた。



「僕が、あの時──欲を出さなければ、良かったのかもしれない。いや、でも、それは、少し違う……」



 そう言ったあと、彼は何故か黙ってしまう。

 何を伝えようとしているのかさっぱり理解ができず、俺は首を傾げた。


 続きが気になって、俺は問う。


「欲を出す? 何のことだ?」


 鷹司は顎に拳を当て、少し俯くと、言葉を選びながら、その思いを口の端にのぼらせる。


「この前の須藤の演奏──」


 俺は緊張して、ビクリと身体を揺らした。

 大丈夫だ──この動揺は、彼に気づかれてはいない。


 鷹司は、やはり、前回の俺の演奏に対する不満を伝えたかったのかもしれない。

 いや、それとも──今日の演奏で、俺が勝手にイメージした内容が不服だったのだろうか。


 甘んじて、彼からの言葉を受け入れる覚悟はあったけれど、責められると思うと身構えてしまう。

 自分を否定されることは、やはり辛いものだ。


 彼がこれから口にするだろう科白に不安を覚えながらも、俺は表情を変えずに鷹司を見つめた。


 けれど、少し躊躇いがちに鷹司が口にのせた言葉は──



 「あの日、本当は、須藤の演奏が


  ──あたたかな音色を奏でる君が


  とても……羨ましかった」



 最初──鷹司が何を言っているのか、まったく理解できなかった。



 俺の演奏が?


 羨ましい?


 聞き間違い……なのだろうか?


 ──羨望の眼差しで見ていたのは、俺の方だったのに。



「須藤の演奏は、完璧ではなかったけれど、心がこもっていた。あの時の僕にはできなかった、情感ある演奏をしていた──だから、欲が出た」


 欲?

 先ほども鷹司が口にしていたこの言葉には、一体どんな意味が隠されているのだろう?


 訥々(とつとつ)と語る彼の言葉を聞き洩らすまいとするが、思いもよらぬ言葉を受けた衝撃で、心臓がドクドクと波打って鎮まらない。



「あのあたたかな音色に、もしも音程の正確さが加わったとしたら、君の演奏は間違いなく色づく──僕の目指す音色に──『天上の音色』に、君は先にたどり着ける──だから、良かれと思って……言ってしまったんだ」



 鷹司の、あの日の言葉が蘇る。



『何故、正しい音で弾こうと努力しないんだ?』



 あの言葉に隠された、本当の意味。

 鷹司が伝えたかった真意を知った俺は、ただただ愕然とするばかり。



 あの時俺は、図星をさされた悔しさから、鷹司の言葉を遮るように『言葉の刃』を放ってしまった。


 『お前こそ、何故気持ちを込めて弾かないんだ!?』


 ──と。


 鷹司から馬鹿にされたのだと勝手に決め付け、逆上した俺は、苦し紛れの言葉で彼を傷つけていたのだ。




 もともと口数の少ない少年だった鷹司。

 けれど彼は、音に関わることであれば遠慮なく口にする。

 その内容はどちらかというと注意に近いため、一部の女子からは『怖い』と言う意見があったことを思い出す。


 整った容姿は冷たさを漂わせ、その寡黙さから『氷の王子』と呼ばれていることも知っていた。


 その物静かな様子を、皆一様に大人びている感じていたが、この様子から察するに──彼はおそらく、人と話をするのが得意ではないのかもしれない。


 それでも、音楽に対してだけは、彼なりに言葉を探し、苦言だとしても必死に伝えようとしていたのだろう。

 それは──音の高みを目指す仲間として、共に成長したいと願う想いから。



「僕は須藤に、謝らなくてはいけない。言葉が足りずに、君を……傷つけたことを」



 ──違う。

 傷つけたのは、俺だ。


 俺は、彼の想いを理解しようとさえしなかった。


 今初めて、鷹司の言葉の本質を知り、彼の不器用なまでの純粋さと、音楽に対するひたむきな気持ちを理解できたのかもしれない。


 俺はあの時既に、鷹司に対する周りの評判だけで、彼の為人(ひととなり)を憶測し、心のどこかで「こういう人間だ」と決め付けてはいなかったか?


 そうだ。

 俺は耳にしていた鷹司の噂話だけを鵜呑みにして彼の虚像を作り上げ、彼自身の本当の姿を見ようとしていなかったのだ。その結果、勘違いも甚だしい返答をしてしまい、この数週間ずっと思い悩んでいたなんて、自分の浅はかさに恥じ入るばかり。


 誤解から生まれた行き違いが思わぬ刃となり、自分の心を苦しめていたことに自嘲の笑みが洩れそうになる。

 母が教えてくれた『人を勝手にジャッジしない』と言う教訓は、おそらくこう言う事態を未然に防ぐことにも繋がるのかもしれない。



 鷹司は、尚も静かに語る。



「あの時、俺は、君の演奏が羨ましかった──それを上手く伝えられずに君を傷つけたこと……申し訳なかったと……今日は、それを……謝りたかった」



 緊張した面持ちで、俺の顔を見つめる鷹司。


 彼はどんな思いで、この数週間を過ごしていたのだろう。

 そして──どんな気持ちで、謝罪の言葉を口にしているのだろう。


 自分の愚かさを恥入ると共に、彼の語った内容に胸が熱くなる。

 急速に目頭に集まる熱を溢れさせまいとして、俺は懸命に歯を食いしばった。


 鷹司も、俺と同じ、苦しい時間を過ごしていたのだろうか?

 俺が彼を想い、心を苛んでいたのと同じく、その心を──俺のために、痛めていたのだろうか。





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↑『氷の花がとけるまで』では
脇役となっております登場人物が
主要キャラとして活躍する物語
― 新着の感想 ―
[一言] なるほど、晴夏くんは…! でも当時の新太くんには彼の言葉を受け取る余裕があったかな?と思います。 晴夏くんの言う意味が分かっても、意外と反発だけした可能性も…。 今の新太くんは以前より器が…
[良い点] 思い込みや先入観で、人を傷つけ、自分も傷ついて しまったというところでしょうか? でも、正確にものごとを認識すること自体が難しいの かもしれませんね。 それを、この年齢にして悟った新太君は…
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