私メリーさん。今死体の隣にいるの。
メリーさん一行は死体の近くまで進行した。ヴィルヘルムには及ばないものの、パイカマン警視は長身で体格の良い30代半ばの男性だ。その彫りの深い顔は半分以上が立派な髭に覆われている。そんな偉丈夫が、小柄で薄い白髪とは対照的にモジャモジャな眉毛の老人に卑屈な姿勢を取っている場面は、なかなか滑稽だった。
パイカマン警視は、自分が担当する事件の現場に他の部署の警察官が近ついてきたことを咎めようとして、椅子駕籠に乗ったマリーさんの身なりを見て閉口した。面識のあるヴィルヘルムに目配せしたところ、ヴィルヘルムは小さく頷き返した。それを見てパイカマン警視はマリーさんに対して恭しく一礼した。
「これはグレイヴス女公爵様、わざわざご足労いただきありがとうございました。」
まるでメリーさんがこちらの事件のために要請されたかのような言い方は、もちろんモイエ伯爵に対する牽制だ。
「モイエ伯爵、ご機嫌よう。確かこの研究所の創設以来だから、8年4ヶ月ぶりね。」
ホーポルクにおける魔法研究の先駆者だったメリーさんの両親は第一研究所の創設に多大な寄付をしており、設立セレモニーにはメリーさんと共に出席した。
「…これはグレイヴス女公爵、ご機嫌さんよう。相変わらず見目麗しゅうですな。」
モイエ伯爵から見れば、メリーさんは相変わらずお美しいところではない。なぜなら、彼が8年前に見たメリーさんも、今目の前にいるメリーさんも、同じく10代後半くらいに見えて、つまり8年間全く年を取っていないように見える。
「この死体は例の研究所への侵入者かしら?あらまあ、魔法の一撃のもとに首を綺麗に切り落とすなんて、並大抵の使い手には無理なのね。」
死体の頭は、胴体から約6、7メートル離れたところに転がっている。
「さすがグレイヴス家の当主、鋭い観察眼ですな。国を守る技術を開発する施設として、我々が常に目指すものは、最強の戦闘魔法じゃ。」
「しかしこの切り口、切断と同時に焼灼されて、出血もほぼない…さしずめ高熱の火魔法を…そうね、塊として飛ばすか、または刃のような形にして、死者の首を溶断したところかしら。エネルギーロスやヒートロスを考えれば、おそらく後者ね。」
死体を見ただけでそこまで分析できたメリーさんにびっくりして、しばらく言葉を失ったモイエ伯爵は、口を何回もパクパクさせてから、やっと気を取り直して感想を述べた。
「グレイヴス女公爵の洞察力、まさに恐るべし!さすがに軍の機密じゃから詳しくは言えないが、女公爵の推理は、当たらずとも遠からず、とだけ言っておこう。」
「ありがとう。しかし、このような素晴らしい火魔法の呪文、聞いたこともないわ。軍務省のアドバイザーとして、軍が新しく開発した呪文のリストは更新される度チェックしているけど、こんな効果を持つ呪文を見た記憶はないの。これは新しい呪文ではなく、呪文書き換えだと断言するわ。」
この世界には魔力が充満している。原始的な生き物が酸素を呼吸するという術を学んでからより複雑な細胞構造の発達が可能になったように、魔力を体内に取り入れることで進化した生き物は、この世界の魔物だ。
しかしこの世界の人間は、体内にある魔力の量が魔物に劣る上、それを手足の如く操ることができない。人間が魔力を運用するには、意志力で体内の魔力を周囲にある魔力に合わせて動かすことで、物理的な現象を発生させるしかない。魔力を動かす定石とも言えるのが、魔法の呪文だ。呪文を詠唱することで、意志力をもって特定の現象を発生させるように魔力が動かすことができる。高位の魔法使いになると、詠唱なしで呪文を脳内で念ずるだけで魔法を使える。
さらに魔法に長けた魔法師は、既定の呪文をベースに新しい呪文を開発できる。第一研究所のようなホーポルク軍の研究施設では、研究スタッフが開発した呪文は全て軍務省に登録される。なので今回の犯行に使われた魔法は定石通りの呪文ではなく、発生させたい現象を明確なビジョンとして想定し、自分の意のままに魔力を動かしそれを実現させるのが「呪文書き換え」という方法だ。原理としては原始的なだが、ここ10年間の最先端の魔法研究でやっと体系化できたこの高度な魔法技術は、呪文で魔力を動かすより何倍も難しい。
「そ、それも軍の機密じゃが…」とたじろぐモイエ伯爵。
「まあ、いずれにしても、研究所への侵入者を撃退しただけなら、それが新しい呪文でも、呪文書き換えでも、関係ないからね。」ここでメリーさんは助け船を出した。
「そうじゃそうじゃ、これは侵入者を撃退する防衛行為じゃ。」
「この死者が本当に侵入者で、過剰防衛ではないならの話だけど。」助け船の底には穴が開いていた。
「むっ…」
「まず最初にはっきりさせたいけど、こんな切り口を作れる攻撃魔法なんて、まるでその、そう、ビームセーバーだっけ?」メリーさんはちょっと自信なさそうに聞いた。
「それを言うならライトサーベルじゃろうって。」と思わず訂正してしまったモイエ伯爵。
「そうそう、やはりモイエ伯爵は諸王の戦争の大ファンなのね。大ファンだからこそ、そこに登場するジェベの騎士の代表的な武器に憧れて、それを呪文書き換えで再現したじゃないかしら?」
「呪文書き換えでライトサーベル…溶断の火魔法を使ったからって、それがわしであると証明できるものは何1つない!」モイエ伯爵は喚いた。